おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
義母が9月12日に亡くなってまだ11日しか経っていないのに、18年間世話をし続けた娘である妻と、たった133日間の同居人でしかない私の受け止め方がまるで違っています。
133日間でも1日のうちの10数時間を共にしていた妻と、たった数時間の私では密度の違いは当然のことかもしれません。
妻は昨日のブログにこんなことを書いていました。
母が亡くなるまでの私の予定表は、
母の訪問看護、訪問診療、訪問歯科、デイケアサービスと
ほとんどが母の予定で埋まっていたのだが
それらが一気に全部消え、カレンダーが真っ白になった。
この手で、この目で母を確かに看取ったはずなのに
母はどこへ行ってしまったのだろうという不思議な喪失感の中にいる。
続いて、こんなことも書いています。
同居を始めたのは今年の5月から
家の中に、振り返ればそこに寝ていそうな母の気配を感じつつも、
母は133日しかここにいなかったから
夫と2人の生活感もすぐに戻り、
それだけに、余計に母はどこへ行ってしまったのだろうと思うのかもしれない。
一方の私は、喪失感、空虚感、残存感の3つが交錯しています。
話は急に変わって、9月7日に男児を授かったタクロウの家庭からは毎日「みてね」への写真・動画が加わっています。
赤ちゃんの顔は、それこそ毎日毎日変化していて、写真・動画を見る時間が多い日々です。
そのタクロウ夫婦は子どもの名前を付ける際に両家の親に相談せず、夫婦の考えに基づき命名しました。
私たち夫婦は、そのことについて干渉することはありませんでした。
独自の家庭を築けば、その家庭なりの運営方針を尊重しているからです。
私たちのきょうだいや親戚は、ある生命判断に基づき命名されていたのが伝統でした。
私自身も頼まれて数人に名前を付けたこともあります。
そのことを知っていてもタクロウは、夫婦で名前を考え、誕生後にこんな名前にした、というかたちの事後報告でした。
実際、とてもいい名前なのです。
昨日のカウンセリング道場(シニアコース)では、孫に対する義理の息子の対応を主訴とするカウンセリングを行いました。
(写真提供:春木めぐみさん)
このこともあったので、余計私は「人それぞれ、家庭それぞれ」と題して書きたくなりました。
最後に30カ国以上の言語に翻訳され、世界中の人々に愛読される『THE PROPHET(預言者)』という本に書かれた言葉を紹介していきます。
著者は、レバノンで生まれ、移民としてアメリカに渡ったカリール・ジブラン(1883 - 1931)です。
あなたの子どもは、あなたの子どもではない
待ちこがれた生そのものの息子であり、娘である
あなたを経て来たが、あなたから来たのではない
あなたと共にいるが、あなたに属してはいない
あなたは愛情を与えても、考えを与えてはならない
なぜなら、彼らには彼らの考えがあるから・・・
あなたが彼らのようになる努力はしたとしても、
彼らをあなたのようにすることを求めてはならない
なぜなら、生は後戻りしないし、
きのうのままにとどまりもしないのだから
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<お目休めコーナー> 9月の花(21)
ついでに、倉敷で撮影したアオサギの写真