見もの・読みもの日記

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日本とドイツ、二つの戦後思想(仲正昌樹)

2005-08-01 00:12:35 | 読んだもの(書籍)
○仲正昌樹『日本とドイツ、二つの戦後思想』(光文社新書)光文社 2005.7

 本のオビに「なぜ謝るのか?/なぜ謝らないのか?/根本から解き明かす」とあるのを見て、即座に、ああ、この夏流行りの”戦後60年記念”出版の1つだな、と思った。確かに本書は、日本とドイツという2つの敗戦国が、戦後責任問題にどう対処してきたかという比較から始まる。

 ドイツでは、戦後まもなく(1946年)、哲学者ヤスパースが「罪責問題について」という講演を行って、法や政治の場において公式に清算することが可能な罪と、各人が自らの良心の内で自問自答し続けるしかない罪を弁別した。これは、戦後ドイツにおいて、戦争責任を考える基本的な枠組みとして、つねに参照されることになった。

 日本では、誰(加害者)が誰(被害者)に対してどこまで責任を負うのか、という細かい検討は行われず、曖昧な「一億総懺悔」論に終始してきた。これは、ヨーロッパの真っ只中で生きていかざるを得ないドイツと、つい最近まで東アジア諸国に背を向けて、内向きでいられた日本という、両国の地理的環境の差異を反映するものでもある。

 本書は、狭義の戦争責任論に続けて、最近、日本の政治家・知識人が好んで口にしたがる「国のかたち」を、戦後のドイツがどう考えてきたかを紹介している。こういう観点の比較は、たぶん、これまであまりなかったもので、非常に興味深く読んだ。

 戦後、ドイツでは、ナチズムの台頭を許した自分たちの文化自体に対する不信感が広がり、さらに国家が分断状態に置かれたため、敗戦直後から、ドイツ国民のアイデンテティについて、真剣な論争が行われ続けた。こうした中で、ハーバマスの「憲法愛国主義」のように、国民アイデンテティの基礎を、伝統的(文化的)要因から切り離し、憲法=国家体制の選択のうちに置く考え方も生まれた。

 この点に関しても、日本では、天皇制が継続し、「日本を国民国家たらしめてきた”中心”が生きているのか死んでいるのか分からない中途半端な状態」が続いたため、実りのある議論が成立しなかった。

 実はここまでが本書の前半である。後半は、戦争責任の問題から少し離れ、両国の戦後思想史を一気に概観する。これが意外なくらい面白い。私は、正直なところ、現代思想には全く疎いので、名前ばかりで実体をあまり知らなかったハーバマス、アドルノ、ベンヤミンなどの思想が、分かりやすくまとめられていて、感激した。廣松渉、吉本隆明、浅田彰など、日本の著名な思想家も、ドイツと比較されることで、なるほど~(世界史的には)こういう位置にいるのか~ということが再確認できる。

 巻末の年表も、ドイツと日本の戦後思想にかかわる主な出来事と著作がまとめられていて、労作。本書は、戦後60年の戦争責任を考える参考書としても有意義だが、むしろ、そうした特殊問題から切り離して、高校生にも読める現代思想史の入門書としておすすめであると思う。
コメント (1)
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