見もの・読みもの日記

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山西貧乏旅行【4日目】太原

2005-08-23 18:28:37 | ■中国・台湾旅行

■天龍山石窟

 薄暗い曇り空の下、天龍山石窟に向けて出発。ときどき、激しい雨足が車窓を叩きつける。「私は雨の中でガイドしたことないんだから、絶対晴れるよ」と于 さんは強気だが、我々はひそかに「今日は“山”だからなあ・・・」と思っている。我々の「高いところに行くと悪天候になる」というジンクスは、今のとこ ろ、崩れる気配がない。

 車は、勾配のきつい山の斜面をひたすら上がっていく。山頂近くまで上がって、徒歩で下りながら石窟を見るのが、定番コースのようだ。現地に到着すると、 なんとか傘なしでも外を歩ける状態だった。于さん、えらい! しかし、深い霧がかかって、眺望は絶望的。雨男の池浦さんと、晴れ男の于さんの戦い(?)は、どうやら引き分けというところか。

 


小雨に煙る天龍山石窟の楼閣。

 「天龍山石窟」の名前は、日本人には、なじみ深いものだ。大正7年(1918)、関野貞の踏査によって、世界に紹介された石窟で、東京国立博物館、根津 美術館、大阪市立博物館など、各地の美術館・博物館で、仏頭など、その請来品を見ることができる。しかし、日本と欧米諸国の探検隊によって、名品は、現地 から、根こそぎ持ち去られてしまった。

 天龍山石窟の中心に位置する楼閣には、左右に文殊・普賢を従えた巨大な十一面観音立像が残されているが、古い写真を見ると、いずれも頭部がない。現在は、頭部が復元されているが、いっそ、「強奪」の結果を、そのまま残しても良かったのではないかと思う。

■山中の遭遇

 山頂付近の石窟を見終えて、山道を下っていくと、ボソボソと日本語の話し声が聞こえてきた。2人組の男性が、別の道を下ってくるところだった。もう1 人、付き添っているのは、上下グレーのジャージ姿で、ズボンの裾を少しまくり、スニーカーを履き、お茶の瓶を片手にぶらさげた貧相なおじさんである。”日 曜日のお父さん”が、寝巻のまま、ちょっと表に出てみた、という雰囲気だった。

 このお父さんと、ガイドの于さんは、どちらからともなく挨拶を交わすと、連れ立って話し込んでいる。ガイド仲間なのかしら?と思って見ていると、しばら くして振り向いた于さんが、「山西省博物館の館長さん」だと言う。ひえ~。ちなみに、館長に案内されていた男性2人組は、上野の東京文化財研究所からの来 客だったらしい。

 于さんの話によれば、昨年、日本の書道団体が、山西省博物館で展覧会を行い、そのレセプション・パーティで、自分は司会をしたので、館長の顔を覚えてい たと言う。「今年も同じ催しがあるのに、なぜ君はこんなところにいるのか」と、館長に聞かれたのだそうだ。そこで「えっ!?」と菅野さんが驚く。その書道 団体というのは、まさしく菅野さんが所属するもの。ということは、昨年、レセプションに出席した菅野さんのお友だちは、于さんに会っているはず・・・。偶 然が偶然を呼ぶ、山中の奇遇であった。

■晋祠、山西博物院

 山を下りた頃から、雨は本降りになり、晋祠は、さすがに頑固な于さんも傘を差しての観光となった。

 市内に戻り、博物館に向かう。山西省の博物館は、従来、市内の孔子廟と道教寺院の建物を、第一部・第二部として利用していたが、最近、汾河の川岸に、巨 大な新館が建設された。中国では大規模な博物館に限って“博物院”の名称を使うが、山西博物院は、故宮(北京)、上海、南京、河南に続く5つ目の博物院だ という。

 しかし、于さんの話では、我々の到着する1週間ほど前、大雨で汾河が氾濫し、太原の町は大混乱に陥ったという。川岸の博物館も地下に水が流れ込み、当 分、開館の目途が立たないということだ。博物館の駐車場に車を止めて、于さんが交渉に向かったが、やはり入館は不可。外観の写真を撮って、引き上げるしか なかった。山西省の文物を誇りとする、太原出身の于さんも、残念でたまらない様子。我々は、これでまた、いつか、山西省に来なければならないことになって しまった。なかなか中国の旅は終わらない。

 そのあと、旧・山西省博物館を見学。菅野さんの団体の書道展は、この第二部(道教寺院)で開かれていたはずだが、前日で終了し、まさに会場撤去の最中 だった。残っていた垂れ幕の前で記念写真を撮って、おしまい。まあ、それでも、大洪水の影響もなく、書道展は予定どおり開催されたと聞いて、菅野さんも一 安心。

(2020/5月 旧geocitiesから移設)

コメント
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