見もの・読みもの日記

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韓国のデジタル・デモクラシー(玄武岩)

2005-08-08 00:43:44 | 読んだもの(書籍)
○玄武岩(ヒョン・ムアン)『韓国のデジタル・デモクラシー』(集英社新書)集英社 2005.7

 韓国社会のIT化が急速に進行している、と聞いたのは、5年ほど前のことだ。2000年7月に「本とコンピュータ」という雑誌が「コリアン・ドリーム!~韓国電子メディア探訪」という別冊を出した。私はこの本に刺激されて、初めて韓国を訪ね、ソウルにある4つの大学と1つの出版社を見学させてもらった。

 私の韓国に対する関心が動き出したのは、このときからで、以来、本を読み、旅行にも行き、韓国に関するニュースにも注意を払ってきたつもりだったが、本書を読んで、その自信は完全に揺らいでしまった。

 本書の「序章 韓国政治でいま何が起きているのか」の扉には、2004年3月20日、盧武鉉大統領に対する弾劾に反対して、ソウルの光化門付近に集まった20万人の「ろうそく集会(キャンドル・デモ)」の写真が掲載されている。大通りを埋め尽くした小さな灯りがどこまでも整然と続く光景は、問答無用のインパクトを持っている。

 しかし、私はこの光景を日本のメディアで見た記憶がない。ええ~2004年3月って、私は何をしてたんだ? まあ、私は新聞も取っていないし、テレビのニュースも恣意的にしか見ていないが、それにしても、この衝撃的な光景を一度も見る機会がなかったって、どういうこと?

 その答えは本書の中にある。韓国の代表的な新聞「朝鮮日報」「中央日報」「東亜日報」は、全斗煥政権以来、保守勢力と密接に結びついた翼賛メディアである。1980年代の民主化闘争以来、公正な報道の必要性を切実に感じた市民とジャーナリストは、国民株主を基盤とするハンギョレ新聞を設立し、MBC、KBSなど放送局の民主化を進め、さらにインターネットという新しい言論ツールを通じて、保守系メディアと対決している。しかし、日本の大手新聞は、今なお、保守新聞の論調をそのまま垂れ流しているだけなのだ。

 また、日本はいつも、韓国の北朝鮮政策や韓米関係の帰趨、すなわち自国の安全保障に影響すると思われる観点からのみ、韓国の政治動向に注目している(だから、それ以外のことが見えない)という著者の指摘も、心に留めておきたい。

 本書は、盧武鉉政権の誕生から今日まで、韓国の民主化運動が、デジタル・メディア、インターネット・コミュニケーションの力を借りて進んできたことを詳述しているが、そればかりではない。「電子民主主義前史」と題して、1960~90年代における言論メディアの統制と抵抗運動を記述した部分もおもしろいし、デジタル・デモクラシーと言っても、決してパソコンの前で完結するものではなく、「オンライン」の連帯とともに、さまざまな「オフライン」の活動が展開されていることも興味深い。

 最新の動向として、保守勢力もインターネットの有用性に気づき始め、デジタル・メディアはもはや民主勢力の専売特許ではなくなっていること、徹底した反共を主張する保守勢力は、日本の右翼とグローバルに連帯(!)する様相を見せていること、政治パロディ(武侠片を素材にした「大選刺客」という作品が紹介されていて、これがオカシイ!!)に対する規制の強化、「インターネット実名制」の法案可決など、さまざまな問題が取り上げられている。

 かえりみて、なぜ日本では、インターネットが「公器」とならず、「ネティズン」という言葉が「(笑)」という揶揄とともにしか定着しないのか。結局、早々に「政治の季節」が終わってしまった日本と、「民主化」のために流された血の記憶がまだ消えず、祖国分断の戦後を終わらせていない韓国の差なのだろうか。そんなことも考えた。
コメント (4)
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