○奈良県立美術館 特別展『応挙と蘆雪-天才と奇才の師弟-』
http://www.mahoroba.ne.jp/~museum/okyo/okyo/index.html
ここだけの話――というほどの秘密ではないのだが、1泊2日の出張で京都・奈良から帰ったあとの週末、私は再び奈良に出かけてしまった。どうしても、この『応挙と蘆雪』の後期が見たかったからである。行ってよかった。いちばん見たかったのは、応挙の『大瀑布図』だったのだが、ほとんどの作品が展示替えになっており、新しい展覧会を見るような気分で楽しむことができた。
最初に目が留まったのは、蘆雪の『山姥図』。真っ赤な怪童を連れた、奇怪な容貌の山姥を描いたものだ。蘆雪晩年の「過剰演出」「グロテスク趣味」の代表と言われることもあるが、実物を見てみると、それほど不快な印象ではない。全体のトーンは落ち着いているし、山姥のつぎはぎだらけの着物に、琳派ふうの華やかな文様が、装飾的にあしらわれているのが面白い。クリムトを思い出したら、唐突に過ぎるだろうか。
2階の最初の展示室は、応挙と蘆雪の唐子図の競演だった。蘆雪の『唐子琴棋書画図』は、悪童どもの悪戯ぶりを描いたものだが、左端の2人の子供は、ひとまわり小さな後ろ姿となって、画面の奥に駆け去ろうとしている。1人目の子供は、泣いているように顔を押さえ、2人目の子供は、前の子をいじめようというのか、それとも優しく抱きとめようというのか、両手を広げて後を追っている。蘆雪がたびたび描いた「背を向けて走り去る子供」には、亡き子に寄せる彼の思いが表われているのではないかと指摘されていることは、前期のレポートで述べた。後期のこの作品は、鮮やかな色彩(とりわけ、駆け去る子供の赤い上衣)が胸に突き刺さるようで、前期の『唐子遊図』以上に哀しさを誘う。
不思議なもので、前期は「蘆雪を見に来た」と言いながら、応挙にハマってしまった。後期は「応挙を見に来た」と言いながら、蘆雪のことばかり書いている。応挙の作品をひとつ取り上げるとしたら、『雲龍図』だろう。六曲一双屏風に、2匹の龍を描いたものだ。その龍の、のたくりかたが妙にリアルなのだ。油絵みたいというか、パルプマガジンの挿絵みたいというか。とにかく日本画の域を超えた量感と質感がある。応挙の『孔雀牡丹図』も、つまらない絵だと思っていたが、いろんな画家の孔雀を見たあとで、この絵の前に戻ってみると、孔雀の尾羽の正確な量感(重過ぎもせず、軽過ぎもせず)に圧倒される。すごいわ、応挙の「写生」って。
さて、最大の見もの、応挙の『大瀑布図』は、最後の最後にあった。巨大な軸装で、展示ケースの天井ギリギリから掛けても、全長の2割くらいが床に着いて、L字形に折れ曲がってしまう。しかし、これはこれでいいのである。この絵は、上の8割は、垂直に流れ落ちる大瀑布を描いたあと、軸端の2割は、滝壺から水平に流れ去る水流を描いている。だから、途中で折れ曲がるように掛けるのが正しい――という説を、どこかで聞いた記憶がある。
ところが、今回の展示ケースは、下の方に少し「目隠し」があるため、軸全体が見えるようにケースから離れて立つと、軸端が見えなくなってしまうのだ。う~残念~。これじゃダメでしょう。この絵は、庭の松の木に掛けたという伝説もあるそうだが、私なら、お座敷で鑑賞したい。そうしたら、自分の座っている畳の上に、どろどろと轟音の鳴り響く滝壺が示現し、膝のあたりにさらさらと水面が広がっていく幻想を味わえるだろう。
http://www.mahoroba.ne.jp/~museum/okyo/okyo/index.html
ここだけの話――というほどの秘密ではないのだが、1泊2日の出張で京都・奈良から帰ったあとの週末、私は再び奈良に出かけてしまった。どうしても、この『応挙と蘆雪』の後期が見たかったからである。行ってよかった。いちばん見たかったのは、応挙の『大瀑布図』だったのだが、ほとんどの作品が展示替えになっており、新しい展覧会を見るような気分で楽しむことができた。
最初に目が留まったのは、蘆雪の『山姥図』。真っ赤な怪童を連れた、奇怪な容貌の山姥を描いたものだ。蘆雪晩年の「過剰演出」「グロテスク趣味」の代表と言われることもあるが、実物を見てみると、それほど不快な印象ではない。全体のトーンは落ち着いているし、山姥のつぎはぎだらけの着物に、琳派ふうの華やかな文様が、装飾的にあしらわれているのが面白い。クリムトを思い出したら、唐突に過ぎるだろうか。
2階の最初の展示室は、応挙と蘆雪の唐子図の競演だった。蘆雪の『唐子琴棋書画図』は、悪童どもの悪戯ぶりを描いたものだが、左端の2人の子供は、ひとまわり小さな後ろ姿となって、画面の奥に駆け去ろうとしている。1人目の子供は、泣いているように顔を押さえ、2人目の子供は、前の子をいじめようというのか、それとも優しく抱きとめようというのか、両手を広げて後を追っている。蘆雪がたびたび描いた「背を向けて走り去る子供」には、亡き子に寄せる彼の思いが表われているのではないかと指摘されていることは、前期のレポートで述べた。後期のこの作品は、鮮やかな色彩(とりわけ、駆け去る子供の赤い上衣)が胸に突き刺さるようで、前期の『唐子遊図』以上に哀しさを誘う。
不思議なもので、前期は「蘆雪を見に来た」と言いながら、応挙にハマってしまった。後期は「応挙を見に来た」と言いながら、蘆雪のことばかり書いている。応挙の作品をひとつ取り上げるとしたら、『雲龍図』だろう。六曲一双屏風に、2匹の龍を描いたものだ。その龍の、のたくりかたが妙にリアルなのだ。油絵みたいというか、パルプマガジンの挿絵みたいというか。とにかく日本画の域を超えた量感と質感がある。応挙の『孔雀牡丹図』も、つまらない絵だと思っていたが、いろんな画家の孔雀を見たあとで、この絵の前に戻ってみると、孔雀の尾羽の正確な量感(重過ぎもせず、軽過ぎもせず)に圧倒される。すごいわ、応挙の「写生」って。
さて、最大の見もの、応挙の『大瀑布図』は、最後の最後にあった。巨大な軸装で、展示ケースの天井ギリギリから掛けても、全長の2割くらいが床に着いて、L字形に折れ曲がってしまう。しかし、これはこれでいいのである。この絵は、上の8割は、垂直に流れ落ちる大瀑布を描いたあと、軸端の2割は、滝壺から水平に流れ去る水流を描いている。だから、途中で折れ曲がるように掛けるのが正しい――という説を、どこかで聞いた記憶がある。
ところが、今回の展示ケースは、下の方に少し「目隠し」があるため、軸全体が見えるようにケースから離れて立つと、軸端が見えなくなってしまうのだ。う~残念~。これじゃダメでしょう。この絵は、庭の松の木に掛けたという伝説もあるそうだが、私なら、お座敷で鑑賞したい。そうしたら、自分の座っている畳の上に、どろどろと轟音の鳴り響く滝壺が示現し、膝のあたりにさらさらと水面が広がっていく幻想を味わえるだろう。