見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

鎌倉・宝物風入れ(円覚寺、建長寺)

2008-11-03 23:16:56 | 行ったもの(美術館・見仏)
○円覚寺~建長寺~鎌倉国宝館

 鎌倉に行ってきた。お目当ては、毎年、文化の日を挟んだ3日間、円覚寺と建長寺で行われる宝物風入れである。以前に1度、鎌倉在住の友人に案内してもらったのは、7、8年も前になるだろうか。宋元の仏画や、鎌倉・室町の武将や名僧の墨蹟を、文字どおり目の当たりにできる、実に贅沢な催しである。その後も、この行事は気になっていたのだが、文化の日前後の連休は、関西に飛び出していることが多くて、再訪の機会を逃していた。

 北鎌倉の駅で降り、人込みに揉まれながら円覚寺へ。会場の大方丈に入ると、見渡す限りに掛け渡された五百羅漢図(33幅)。元の張思恭筆と伝える。張思恭ってどんな画家だっけ?と調べてみたら、相国寺蔵・若冲筆の『釈迦三尊像』の元絵(静嘉堂文庫所蔵)の作者であることが分かった。しかし、釈迦三尊像は、あでやかな彩色画だが、円覚寺の五百羅漢図は、描線も定かでない、くすんだ水墨画で、ちょっと結びつかなかった。でも、よく見ると、お灸をすえていたり、頭に剃刀を当てていたり、美人画みたいな観音図に見入っていたり、遊び心を感じさせるものもある。

 続いて、明兆(兆殿司、ちょうでんす)の五百羅漢図(16幅)が並ぶ。明朗な彩色のせいもあるが、張思恭に比べると、登場人物の表情が豊かで、ぐっと世話にくだけた雰囲気。あとのほうに十六羅漢図(16幅)もあったが、とにかく小者や動物が無類に可愛い(龍におびえる小者、耳掻きされる龍など)。このひと、いつも間違えてしまうが、日本人画家なのよね。

 仏画はむかしから興味があったが、この数年の精進で、だいぶ分かるようになったのが、江戸絵画。岸駒の虎は、一目でそれと分かって嬉しかった。英一蝶の梅・竹・寿老人もなかなかの佳品。応挙の虎図、探幽の出山仏像は、ほんとか?と疑いつつ見る。狩野典信の作品も多かった。

 建長寺は、賢江祥啓(啓書記)の三十三観音図(32幅が残る)が記憶鮮明だった。どこか美人画っぽいのである。チラリと見せる素足がサービスなんだと思うけど、大胆に両脛を水の流れに曝している図があって、おいおい、これはいいのか?と思った。ちなみに、この画家も日本人である。

 小品ながら気になったのは『白沢(はくたく)図』。胴体に6つの目を持つ人面獣身の怪物(聖獣)である。解説キャプションに「宝物風入れ守護神」と書いてあったのが不思議で、近くにいたお坊さんに「どうしてなんですか?」と尋ねてみたら、「元来は、おめでたいときに現れる吉祥の動物なんですよ」と、あまり歯切れのよくない回答だった。大雨や火事・地震を避けるための守護神なのかな。図書館の虫干しなどでも祀ってみてはいかがでしょう?

 どちらのお寺も、クロークから会場係まで、全てお坊さんなのが、なんだか楽しい(お寺の文化祭みたい)。特に円覚寺では、混雑する会場の隅で、お坊さんが静かに座禅を組んでいらっしゃる(目を閉じているので、監視役にはなっていない)。若いお坊さんだけでなく、ハッとするような老僧もおいでになる。建長寺は椅子を持ち出して、冊子を読んでいたり、いくぶん寛いだ雰囲気。

↓建長寺の宝物拝観はお抹茶付き


 ついでに、鎌倉国宝館の特別展『鎌倉の精華』も見てきた。「国宝館開館80周年記念」をうたっているだけのことはある。宝城坊(日向薬師)の薬師如来坐像が来ていたのには驚いた(秘仏の薬師三尊ではなくて、堂々とした男性的な丈六仏)。この仏像は、一度は同館に寄託されながら、その後、村に疫病が流行したため、返却されたいきさつがあるという。昭和10年9月10日付けの時事新報の写真が添えられていて、「村では悪疫流行 国宝仏像を返せ」「突飛な要求に 頑張る鎌倉国宝館」等の見出しが読み取れた。国宝館の管理者も困ったことだろう。でも施設は多少不備でも、信仰の対象として守られているほうが、仏像にとっては幸せなのではないか、と思う。

 一方で、寿福寺から寄託の地蔵菩薩立像には「開館から現在まで(疎開時期を除き)80年間当館にて立ち続ける地蔵像」とのキャプションが付けられていて、国宝館の職員からこの仏像への、ひとかたならぬ愛情と誇りのようなものが感じられた。これはこれで、幸せというべきだろう。
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