■旧制高等学校記念館
たまたま連休前に松本に行く用事ができた。とりあえず1泊することにして、観光案内所でもらった市内地図を見ていたら、隅の方に「旧制高等学校記念館」という文字が目についた。旧制松本高等学校(その後は信州大学文理学部)の校舎を利用したもので、全国の旧制高等学校に関する様々な資料を集め展示しているという。ふむ、これは、竹内洋マニアとしては、行ってみないわけにはいかない。
とはいえ、入口に立ったときは、ちょっと気後れを感じた。我ながら場違いな客だと思って…。最近は知らないが、私が子供の頃は、旧制高校OBによる日本寮歌祭というのがあって、汚い爺さんたちがガナリ立てる野蛮な姿がテレビで放映されていた。私の旧制高校に対する印象は最悪だった。それが改善されたのは、『学歴貴族の栄光と挫折』はじめ、竹内洋先生の格調高い旧制高校研究を読んで以来のことである。
近代建築マニアでもある私が面白いと思ったのは、旧制高校の建築様式には「明治型」と「大正型」があること。前者は建物の前面が正門に正対しており、威風堂々とした印象を与える。後者は建物の角に玄関を設けたもので、正門から玄関までの距離が短く、アクセスが簡便である。いかにも大正デモクラシーの建築様式らしい(時の文部大臣・中橋徳五郎の名前を取って中橋型ともいう)。思い返せば、確かに古い大学校舎には、この2種類があるようだ。
京城(ソウル)・台北・旅順に建てられた旧制高校の写真もあって、植民地においては、帝国の威厳を示すために、内地よりも立派な建物が建てられた、というのも興味深く思った。今はどうなっているんだろう、と思ったら、少なくとも京城帝国大学予科については、写真ルポを掲載した個人サイトを発見。
それから、昭和10年頃の蓬髪(長髪)の旧制高校生が意外とカッコいいのに驚いてしまった。イマ風とまではいわないが、1970年代のアイドルスターが、無理やり羽織・袴を着せられたようにも見える。姫路高校の軽食堂では、カップにソーサーでコーヒーを飲んでいて、和服姿のかわいいウェイトレスさんも写っている。ずいぶんハイカラ・モダンだったんだなあ。と思えば、新入生を集めて先輩が怪談を語る歓迎行事(四高)とか。罪のない冗談と政治諷刺の入り混じった紀念祭(学園祭)の飾りつけとか。老成と童心、硬軟の同居する、学園生活が垣間見えて、面白かった。
■旧開智学校
松本で、もう1箇所見たかったのは、旧開智学校。明治9年建設の擬洋風校舎に、江戸から現在までの教育資料を展示する教育博物館でもある。2人の天使が掲げる「開智学校」の額は、大工棟梁の立石清重(たていしせいじゅう)が、東京で目にした「東京日々新聞」のデザインを参考にしたものと言われており、これを確かめたかったのだ。「東京新聞」の版面はこちら。この2人組の天使、よほど人気だったようで、各社の新聞錦絵で大活躍している(→文生書院CD-ROM「日本錦絵新聞集成」)。
しかしながら、館内の展示資料を見ると、昭和30年代の写真は、軒下に天使の姿がない。実は、教育博物館として生まれ変わる際に、創建当時の姿に復元されたものらしい。現在の天使は、意外と若くて、戦後生まれなのである。
たまたま連休前に松本に行く用事ができた。とりあえず1泊することにして、観光案内所でもらった市内地図を見ていたら、隅の方に「旧制高等学校記念館」という文字が目についた。旧制松本高等学校(その後は信州大学文理学部)の校舎を利用したもので、全国の旧制高等学校に関する様々な資料を集め展示しているという。ふむ、これは、竹内洋マニアとしては、行ってみないわけにはいかない。
とはいえ、入口に立ったときは、ちょっと気後れを感じた。我ながら場違いな客だと思って…。最近は知らないが、私が子供の頃は、旧制高校OBによる日本寮歌祭というのがあって、汚い爺さんたちがガナリ立てる野蛮な姿がテレビで放映されていた。私の旧制高校に対する印象は最悪だった。それが改善されたのは、『学歴貴族の栄光と挫折』はじめ、竹内洋先生の格調高い旧制高校研究を読んで以来のことである。
近代建築マニアでもある私が面白いと思ったのは、旧制高校の建築様式には「明治型」と「大正型」があること。前者は建物の前面が正門に正対しており、威風堂々とした印象を与える。後者は建物の角に玄関を設けたもので、正門から玄関までの距離が短く、アクセスが簡便である。いかにも大正デモクラシーの建築様式らしい(時の文部大臣・中橋徳五郎の名前を取って中橋型ともいう)。思い返せば、確かに古い大学校舎には、この2種類があるようだ。
京城(ソウル)・台北・旅順に建てられた旧制高校の写真もあって、植民地においては、帝国の威厳を示すために、内地よりも立派な建物が建てられた、というのも興味深く思った。今はどうなっているんだろう、と思ったら、少なくとも京城帝国大学予科については、写真ルポを掲載した個人サイトを発見。
それから、昭和10年頃の蓬髪(長髪)の旧制高校生が意外とカッコいいのに驚いてしまった。イマ風とまではいわないが、1970年代のアイドルスターが、無理やり羽織・袴を着せられたようにも見える。姫路高校の軽食堂では、カップにソーサーでコーヒーを飲んでいて、和服姿のかわいいウェイトレスさんも写っている。ずいぶんハイカラ・モダンだったんだなあ。と思えば、新入生を集めて先輩が怪談を語る歓迎行事(四高)とか。罪のない冗談と政治諷刺の入り混じった紀念祭(学園祭)の飾りつけとか。老成と童心、硬軟の同居する、学園生活が垣間見えて、面白かった。
■旧開智学校
松本で、もう1箇所見たかったのは、旧開智学校。明治9年建設の擬洋風校舎に、江戸から現在までの教育資料を展示する教育博物館でもある。2人の天使が掲げる「開智学校」の額は、大工棟梁の立石清重(たていしせいじゅう)が、東京で目にした「東京日々新聞」のデザインを参考にしたものと言われており、これを確かめたかったのだ。「東京新聞」の版面はこちら。この2人組の天使、よほど人気だったようで、各社の新聞錦絵で大活躍している(→文生書院CD-ROM「日本錦絵新聞集成」)。
しかしながら、館内の展示資料を見ると、昭和30年代の写真は、軒下に天使の姿がない。実は、教育博物館として生まれ変わる際に、創建当時の姿に復元されたものらしい。現在の天使は、意外と若くて、戦後生まれなのである。