○大和文華館 特別展『崇高なる山水-中国・朝鮮、李郭系山水画の系譜-』
http://www.kintetsu.jp/kouhou/yamato/
正倉院展のあと、興福寺の南円堂で、友人と待ち合わせ。日頃、あまり会えない友人なので、昼食~デザートと、つい話し込んでしまう。友人と別れて、大和文華館に到着したのは午後2時過ぎだった。ギャラリー内に人のかたまりができている。どこかの大学のゼミかしら?と思って、耳を傾けてみたら、喋っているのは、同館学芸員の塚本麿充さんらしい。私はひそかにファンなので、慌てて輪の外側に加わる。
あとで大和文華館のサイトをチェックしたら、日曜日の講演会は講師の名前入りで情報が上がっているけれど、土曜日の列品解説は「当館学芸部による」としか書いていない。それで私は気にしていなかったのだ。3分の1ほど聞き逃してしまったが、高麗・朝鮮および明清時代の見どころについてはお話を聞くことができた。どの作品も、好きで好きでたまらないという雰囲気で解説をなさるので、聞いているほうも、あ~なるほど、いい絵だなあ、と乗せられてしまう。特に、泉屋博古館の石涛(石濤)筆『廬山観瀑図』については、「これは僕が最初に好きになった中国絵画です」と、ほんとに幸せそうだった。
この展覧会は、五代・北宋の画家、李成と郭煕によって大成された「李郭派」の山水画を紹介するもの。素人の理解でまとめてしまうと、華北の厳しく雄大な自然に学び、大観的、構築的な山水を描いた人々である。この対抗軸が、江南で生まれた、写実的で親しみやすい「南宋院体画」ということになるのかな。
解説って必要だなあ、と思ったのは、国宝『冬景山水図』(金地院)。絶対、一度見た記憶があったのだが、隣りのご夫婦が「ほれ、サルがいるわ」と話しているのを聞いて、びっくりした。よくよく画面を見直して、岩陰に張り出した枯れ枝の上にサルの姿を発見。ところが、解説を読んでみたら「2匹」と書いてある。え?!と再び画面を見直して、2匹目を見出した(画像を貼っておくので探してください)。さらに対幅の『秋景山水図』は、2羽のツルが飛んでいるというのだが、これがまた、夕日の輝きに溶け込むようにコッソリと描かれている(同じく)。
塚本さんの解説も、大きな構図の妙とともに、「峰の中腹の紅葉は落葉してしまったけど、ふもとはまだ散り残っています」とか「谷底からかすかに立ちのぼる霞」とか「窓辺で妓女の吹く笛の音」とか、人事・自然の繊細な描写に、たびたび注意を向けていらした。むかしの人の目が特別よかったわけではなくて、こういう大きな山水画って、時間をかけてゆっくり眺めて、いろんなことに気付いて、何度も味わいなおしていたんじゃないかなあ、と思う。
私は明清に受容・復興された李郭派山水がすごく好きだ。久しぶりに方士庶の『山水図冊』が見られて嬉しかった。王雲の『山水楼閣図冊』は彩色が無類に美しい。画面は構成的なのに叙情的で、広重みたい。これ、東博にあるのか~。見た記憶ないなあ。静嘉堂文庫の袁江筆『梁園飛雪図』は、中国絵画を見始めた最初期に好きになった作品で、すぐ思い出した。いま、むかしの記事を検索してみたら、あっ王雲・袁江って、京博の『楼閣山水図屏風』の作者か!(昨年見た)と了解してしまった。これだから、検索&リンク機能のあるブログって、ただのノートの何倍もありがたいのである。
http://www.kintetsu.jp/kouhou/yamato/
正倉院展のあと、興福寺の南円堂で、友人と待ち合わせ。日頃、あまり会えない友人なので、昼食~デザートと、つい話し込んでしまう。友人と別れて、大和文華館に到着したのは午後2時過ぎだった。ギャラリー内に人のかたまりができている。どこかの大学のゼミかしら?と思って、耳を傾けてみたら、喋っているのは、同館学芸員の塚本麿充さんらしい。私はひそかにファンなので、慌てて輪の外側に加わる。
あとで大和文華館のサイトをチェックしたら、日曜日の講演会は講師の名前入りで情報が上がっているけれど、土曜日の列品解説は「当館学芸部による」としか書いていない。それで私は気にしていなかったのだ。3分の1ほど聞き逃してしまったが、高麗・朝鮮および明清時代の見どころについてはお話を聞くことができた。どの作品も、好きで好きでたまらないという雰囲気で解説をなさるので、聞いているほうも、あ~なるほど、いい絵だなあ、と乗せられてしまう。特に、泉屋博古館の石涛(石濤)筆『廬山観瀑図』については、「これは僕が最初に好きになった中国絵画です」と、ほんとに幸せそうだった。
この展覧会は、五代・北宋の画家、李成と郭煕によって大成された「李郭派」の山水画を紹介するもの。素人の理解でまとめてしまうと、華北の厳しく雄大な自然に学び、大観的、構築的な山水を描いた人々である。この対抗軸が、江南で生まれた、写実的で親しみやすい「南宋院体画」ということになるのかな。
解説って必要だなあ、と思ったのは、国宝『冬景山水図』(金地院)。絶対、一度見た記憶があったのだが、隣りのご夫婦が「ほれ、サルがいるわ」と話しているのを聞いて、びっくりした。よくよく画面を見直して、岩陰に張り出した枯れ枝の上にサルの姿を発見。ところが、解説を読んでみたら「2匹」と書いてある。え?!と再び画面を見直して、2匹目を見出した(画像を貼っておくので探してください)。さらに対幅の『秋景山水図』は、2羽のツルが飛んでいるというのだが、これがまた、夕日の輝きに溶け込むようにコッソリと描かれている(同じく)。
塚本さんの解説も、大きな構図の妙とともに、「峰の中腹の紅葉は落葉してしまったけど、ふもとはまだ散り残っています」とか「谷底からかすかに立ちのぼる霞」とか「窓辺で妓女の吹く笛の音」とか、人事・自然の繊細な描写に、たびたび注意を向けていらした。むかしの人の目が特別よかったわけではなくて、こういう大きな山水画って、時間をかけてゆっくり眺めて、いろんなことに気付いて、何度も味わいなおしていたんじゃないかなあ、と思う。
私は明清に受容・復興された李郭派山水がすごく好きだ。久しぶりに方士庶の『山水図冊』が見られて嬉しかった。王雲の『山水楼閣図冊』は彩色が無類に美しい。画面は構成的なのに叙情的で、広重みたい。これ、東博にあるのか~。見た記憶ないなあ。静嘉堂文庫の袁江筆『梁園飛雪図』は、中国絵画を見始めた最初期に好きになった作品で、すぐ思い出した。いま、むかしの記事を検索してみたら、あっ王雲・袁江って、京博の『楼閣山水図屏風』の作者か!(昨年見た)と了解してしまった。これだから、検索&リンク機能のあるブログって、ただのノートの何倍もありがたいのである。