○出光美術館 やきものに親しむVI 『陶磁の東西交流-景徳鎮・柿右衛門・古伊万里からデルフト・マイセン-』
http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/index.html
楽しい展覧会である。チラシを手にしたとき、そう思った。裏面には、双子・三つ子のような、そっくりさんのやきものが数組。けれども、その産地は遠く海を隔てている。たとえば、景徳鎮オリジナルの芙蓉手に対して、よく似た日本・肥前製とドイツのハナウ製。柿右衛門オリジナルの司馬温公甕割り図に対して、ドイツのマイセン製、イギリスのチェルシー製、オーストリアのウィーン製。八角形の皿のかたちまで、そっくり。
17~18世紀、ヨーロッパの陶芸は、はるかに技術の進んだ東洋陶磁を「写す」ことによって成長した。一方、東洋磁器もヨーロッパからの注文に応えることを通じて技術を養い、産業として発展していった。本展は、双方に豊かな実りを生んだ陶磁の東西交流を、具体的な比較展示によって紹介する展覧会である。
「陶磁の東西交流」という視点は、京博の特別展『憧れのヨーロッパ陶磁』や出光美術館の『柿右衛門と鍋島』でも、隠し味として取り上げられてきたが、私は強く興味をそそられていたので、「東西交流」に正面からスポットを当てた今回の企画には、渇を癒されたように感じた。
いや、世界のどの地域でも、職人の「写し、学(まね)び」にかける情熱はすごいなあと思う。高い技術に接したときの本能みたいなものだろうか。どこの産地か、全く見分けのつかない、精巧な「伊万里写し」「景徳鎮写し」もある。とはいえ、手工業の時代であるから、全てを寸分違わず写すことはできず、原本と写しの間には、かすかな「揺らぎ」が生じる。それがまた、「マイセン風柿右衛門」とか「ウースター風古伊万里」の味わいを生むのである。――ただし、これは著作権などというものが、存在しなかった頃のお話。
私が好きなのは「粟鶉文皿」の七変化。粟の穂の下で2羽の鶉が遊ぶ図で、柿右衛門は広い余白の美しさがウリ(たぶん)。周縁部に鮮やかな緑を配した景徳鎮の皿や、植物を様式化してリズミカルな演出を加えたイギリス・ウースターの水注は、新しい美意識を開拓している。一方、オランダ・デルフトの陶器皿は、あまりに純朴。伝統的な「楼閣山水図」が、ポップで楽しいおとぎの国みたいになってしまうのもいい。
逆に東洋磁器も、ヨーロッパからの注文生産だと思われるが、西洋の紋章にはてこずっている。子供のいたずら書きみたいで、妙に稚拙。『色絵ケンタウロス文皿』も、山海経の住人たちみたいで全然カッコよくない。解説者が、注文主の心中をおもんばかって「包みを開けて、呆然としたことだろう」とか書いているのに吹き出してしまった。
柿右衛門によくある角瓶(四角ないし六角)は、轆轤(ろくろ)で整形する円形瓶より技術的に難しいこととか、中国の海禁策→解除と、肥前陶器の海外輸出の需要→衰退(→国内市場へ)がリンクしていることとか、いろいろ新しい知識を仕入れた。目と頭で楽しむ展覧会である。それにしても、これだけの「比較事例」を世界中で見つけ(どうやって?)、収集・蓄積してきた美術館の努力に拍手、脱帽。難を言うと、作品の解説ボードを産地別に色分けしてあるのは、遠目にもネタが割れてつまらないと私は思うのだが、如何?
http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/index.html
楽しい展覧会である。チラシを手にしたとき、そう思った。裏面には、双子・三つ子のような、そっくりさんのやきものが数組。けれども、その産地は遠く海を隔てている。たとえば、景徳鎮オリジナルの芙蓉手に対して、よく似た日本・肥前製とドイツのハナウ製。柿右衛門オリジナルの司馬温公甕割り図に対して、ドイツのマイセン製、イギリスのチェルシー製、オーストリアのウィーン製。八角形の皿のかたちまで、そっくり。
17~18世紀、ヨーロッパの陶芸は、はるかに技術の進んだ東洋陶磁を「写す」ことによって成長した。一方、東洋磁器もヨーロッパからの注文に応えることを通じて技術を養い、産業として発展していった。本展は、双方に豊かな実りを生んだ陶磁の東西交流を、具体的な比較展示によって紹介する展覧会である。
「陶磁の東西交流」という視点は、京博の特別展『憧れのヨーロッパ陶磁』や出光美術館の『柿右衛門と鍋島』でも、隠し味として取り上げられてきたが、私は強く興味をそそられていたので、「東西交流」に正面からスポットを当てた今回の企画には、渇を癒されたように感じた。
いや、世界のどの地域でも、職人の「写し、学(まね)び」にかける情熱はすごいなあと思う。高い技術に接したときの本能みたいなものだろうか。どこの産地か、全く見分けのつかない、精巧な「伊万里写し」「景徳鎮写し」もある。とはいえ、手工業の時代であるから、全てを寸分違わず写すことはできず、原本と写しの間には、かすかな「揺らぎ」が生じる。それがまた、「マイセン風柿右衛門」とか「ウースター風古伊万里」の味わいを生むのである。――ただし、これは著作権などというものが、存在しなかった頃のお話。
私が好きなのは「粟鶉文皿」の七変化。粟の穂の下で2羽の鶉が遊ぶ図で、柿右衛門は広い余白の美しさがウリ(たぶん)。周縁部に鮮やかな緑を配した景徳鎮の皿や、植物を様式化してリズミカルな演出を加えたイギリス・ウースターの水注は、新しい美意識を開拓している。一方、オランダ・デルフトの陶器皿は、あまりに純朴。伝統的な「楼閣山水図」が、ポップで楽しいおとぎの国みたいになってしまうのもいい。
逆に東洋磁器も、ヨーロッパからの注文生産だと思われるが、西洋の紋章にはてこずっている。子供のいたずら書きみたいで、妙に稚拙。『色絵ケンタウロス文皿』も、山海経の住人たちみたいで全然カッコよくない。解説者が、注文主の心中をおもんばかって「包みを開けて、呆然としたことだろう」とか書いているのに吹き出してしまった。
柿右衛門によくある角瓶(四角ないし六角)は、轆轤(ろくろ)で整形する円形瓶より技術的に難しいこととか、中国の海禁策→解除と、肥前陶器の海外輸出の需要→衰退(→国内市場へ)がリンクしていることとか、いろいろ新しい知識を仕入れた。目と頭で楽しむ展覧会である。それにしても、これだけの「比較事例」を世界中で見つけ(どうやって?)、収集・蓄積してきた美術館の努力に拍手、脱帽。難を言うと、作品の解説ボードを産地別に色分けしてあるのは、遠目にもネタが割れてつまらないと私は思うのだが、如何?