○印刷博物館 企画展示『ミリオンセラー誕生へ!:明治・大正の雑誌メディア』(2008年9月20日~12月7日)
http://www.printing-museum.org/
幕末に生まれ、明治・大正・昭和にかけて、日本の大衆文化を支えた雑誌メディアの発展の過程をたどる展覧会。私は国文科の出身なので、かつて日本近代文学史はひととおり学んだ。そのとき、誌名だけは聞き覚えた雑誌――『団々珍聞』『明六雑誌』あるいは『しがらみ草紙』『ホトトギス』などを、目の当たりに見ることができる、なかなか感慨深い展覧会である。
文学雑誌だけではない。津田仙が創刊した『農学雑誌』は、日本で初めて通信販売(トウモロコシの苗)を実施した雑誌だそうだが、その広告の隣りに正誤表欄が設けられていて、仮名一文字も見逃さない物堅さにびっくりした。明治初年の雑誌って小さかったんだなあ(B5版)とか、明治末年~大正初めから、カラー印刷が普及し、表紙が百花繚乱の趣きを呈するなど、「歴史の手触り」を感じることができる。
やはり、異彩を放つのが宮武外骨。以前、外骨の業績だけを集めた展覧会も楽しかったけど、こうして同時代の雑誌の中においてみると、彼の突出した個性がよく分かる。印刷博物館らしい視点だと思ったのは、初期の『滑稽新聞』(1901年刊)の表紙は木版摺りだが、途中から新たな印刷技術に乗り換えていること。比べてみると発色の違いがよく分かる。
本展の展示キャプションには、書名・出版者に加えて、分かる限りは「印刷者」が付記されている。なるほど。図書館の目録は、出版者が分かれば、あえて印刷者は記録しないルールになっているが、これって印刷業界から見たら、ずいぶん腹立たしいだろうなあ。雑誌ではないが、『西国立志編』の和装版11冊と洋装版が並べてあって、もと明治4年(1871)に木版で刊行されたものを、明治10年(1877)に、創業まもない秀英舎(現・大日本印刷)が「社運をかけて」洋紙を確保し、洋装版の印刷に取り組んだのだそうだ。
後半、圧倒的に目を奪われるのは、伝説の国民雑誌『キング』の関連資料である。「雑誌王」野間清治が仕掛けた、なりふりかまわぬ宣伝戦略については、佐藤卓己さんの『キングの時代』(岩波書店、2002)に詳しいが、実際に使われたポスターや新聞広告が、こんなふうに残っているとは知らなかった。昭和2年の街頭写真には、広告のノボリと垂れ幕に埋め尽くされた、悪夢のような書店が写っている。『キング』の張リボテを背負った宣伝隊も。「日本一面白い!」なんてストレートな広告を、当時の人々は、どう受け止めていたのだろう。メディアは、知識や情報を運ぶだけではない。大衆の欲望の器でもあるのだ――と思った。それにしても、今日の大衆メディアであるインターネットの現状を、100年後の人々は見る(感じる)ことができるのかしら。
http://www.printing-museum.org/
幕末に生まれ、明治・大正・昭和にかけて、日本の大衆文化を支えた雑誌メディアの発展の過程をたどる展覧会。私は国文科の出身なので、かつて日本近代文学史はひととおり学んだ。そのとき、誌名だけは聞き覚えた雑誌――『団々珍聞』『明六雑誌』あるいは『しがらみ草紙』『ホトトギス』などを、目の当たりに見ることができる、なかなか感慨深い展覧会である。
文学雑誌だけではない。津田仙が創刊した『農学雑誌』は、日本で初めて通信販売(トウモロコシの苗)を実施した雑誌だそうだが、その広告の隣りに正誤表欄が設けられていて、仮名一文字も見逃さない物堅さにびっくりした。明治初年の雑誌って小さかったんだなあ(B5版)とか、明治末年~大正初めから、カラー印刷が普及し、表紙が百花繚乱の趣きを呈するなど、「歴史の手触り」を感じることができる。
やはり、異彩を放つのが宮武外骨。以前、外骨の業績だけを集めた展覧会も楽しかったけど、こうして同時代の雑誌の中においてみると、彼の突出した個性がよく分かる。印刷博物館らしい視点だと思ったのは、初期の『滑稽新聞』(1901年刊)の表紙は木版摺りだが、途中から新たな印刷技術に乗り換えていること。比べてみると発色の違いがよく分かる。
本展の展示キャプションには、書名・出版者に加えて、分かる限りは「印刷者」が付記されている。なるほど。図書館の目録は、出版者が分かれば、あえて印刷者は記録しないルールになっているが、これって印刷業界から見たら、ずいぶん腹立たしいだろうなあ。雑誌ではないが、『西国立志編』の和装版11冊と洋装版が並べてあって、もと明治4年(1871)に木版で刊行されたものを、明治10年(1877)に、創業まもない秀英舎(現・大日本印刷)が「社運をかけて」洋紙を確保し、洋装版の印刷に取り組んだのだそうだ。
後半、圧倒的に目を奪われるのは、伝説の国民雑誌『キング』の関連資料である。「雑誌王」野間清治が仕掛けた、なりふりかまわぬ宣伝戦略については、佐藤卓己さんの『キングの時代』(岩波書店、2002)に詳しいが、実際に使われたポスターや新聞広告が、こんなふうに残っているとは知らなかった。昭和2年の街頭写真には、広告のノボリと垂れ幕に埋め尽くされた、悪夢のような書店が写っている。『キング』の張リボテを背負った宣伝隊も。「日本一面白い!」なんてストレートな広告を、当時の人々は、どう受け止めていたのだろう。メディアは、知識や情報を運ぶだけではない。大衆の欲望の器でもあるのだ――と思った。それにしても、今日の大衆メディアであるインターネットの現状を、100年後の人々は見る(感じる)ことができるのかしら。