見もの・読みもの日記

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史官の役割/朝鮮王朝「儀軌」百年の流転(NHK取材班)

2011-11-15 00:56:19 | 読んだもの(書籍)
○NHK取材班編著『朝鮮王朝「儀軌」百年の流転』 NHK出版 2011.10

 申し訳ないが、読み始めてすぐ、これ…ダメだろ…と思った。本書の執筆にかかわったNHKスタッフは3名。世界各地に点在する文化遺産の流転の歴史と、その文化遺産をめぐる攻防を取材しようとしていた「私たち」は、2009年暮れ、「文化遺産の専門家」から「皇居のなかに、朝鮮王朝の貴重な記録がある」と告げられ、息をのむ(のむなよ、その程度のことで)。

 一体どういうことなのか? と途方に暮れていたところ…という、このスタイル(文体)、これから私たち(取材班)は皆さん(視聴者、読者)と一緒に、隠されていた歴史の真実を目撃するのです!と盛り立てるための常套手段なのだろうが、胡散臭くて、イライラする。そこを堪えながら読み続ける。

 説明しておくと、「朝鮮王朝儀軌」(Wikiでは朝鮮王室儀軌)とは、李氏朝鮮時代の国家主要行事を文章や絵画で記録した文書類の総称である。本書によれば、宮内庁書陵部は計81種167冊の儀軌を所蔵していた。書陵部に赴き、現物を確認した取材班は「五百年にわたって行事を行い、それを記録してきた朝鮮王朝の何千何百という人々の熱意と苦労がしのばれた」としみじみしている。ただし巻末所載のリスト(82種。1種は日本人による影写本のため、2010年の日韓図書協定でも対象外)によれば、18世紀ものが7種あるが、ほとんどは19世紀末~20世紀初めの成立。

 また、「なんといっても圧巻なのは、色鮮やかに描かれた隊列図である」と言って、『哲宗大王国葬都監儀軌』(口絵写真あり)を紹介しているが、これ、大勢の従者はスタンプでつくっていないか? むかし、国立国会図書館の貴重書展で、同様の技法を用いた行幸絵巻や陣立て絵巻を見たことを思い出した。これを「日本では類を見ない王朝絵巻である」と書いてしまう執筆者は、たぶん『年中行事絵巻』なんて存在も知らないのだろう。さらには、儀軌のほかにも「朝鮮王朝実録」や「承政院日記」「日省録」などが残されていることをもって、朝鮮王朝は「記録の王国」といわれると持ち上げているが、持ち上げられたほうも迷惑なんじゃないかと思う。

 取材班は「迫力のある儀軌の映像」を押さえるために、ソウル大学奎章閣(儀軌は韓国国内にも保有されている)の書庫内部での撮影を申し込み、けんもほろろに断られている。当然だろう。同じ日本人として恥ずかしいからやめてくれ、と頭を抱えたくなった。

 それでも、ところどころ知らなかった情報(たとえば、宮内庁書陵部の書庫は、空調を一切使わず、微妙な窓の開け閉めや採光の調整という職人技で、温湿度を管理している!)が面白いので読み進んだ。最初にあっと思ったのは、奎章閣に残る朝鮮総督府資料の中に、宮内大臣・渡邊千秋が寺内総督に宛てて、「王族公族の実録編集のことをも掌り候につき」朝鮮の書籍を帝室図書に編入したい、と書いた書簡がある、という箇所を読んだときだ。宮内省は、併合によって日本の王族となった李氏朝鮮の実録編纂事業を受け継ぐつもりだったのか、ということに、うかつにも初めて思い至ったのだ。え、これはすごいことだ。「異なる王朝の歴史を編纂する」って、中国ならともかく、日本人にとっては有史以来初の責務を引き受ける覚悟をしたわけで、「息をのむ」ならここだろう、と思ったのだが、NHKの執筆陣は何も反応してくれない。

 あれれ?と思ったが、途中に二人の歴史家、永島広紀氏と新城道彦氏の論稿が挟まれており、特に永島広紀氏が、この点をきちんと整理してくれている。佐賀県立名護屋城博物館が購入した資料の中に「有賀啓太郎」なる総督府中級官吏の個人文書が含まれていたこと。そこから、1920年10月8日付起案の「朝鮮図書無償譲与依頼に対する回答」という文書の写しが出てきたこと。それによれば、宮内省から総督府に「李太王(高宗)及び李王(純宗)時代の儀軌類」の求めがあり、総督府は「四部以上現存し事務上差し支えなきもの各一部」を譲与したという。

 筆者(永島氏)によれば、宮内庁にある儀軌類は、あきらかに傷みや虫喰いがひどいものが多く含まれており、書陵部でそうした破損が進行したとは考えにくい。おそらく保存状態のよくないものを優先して東京に送った可能性が高く、その基準に適ったものの多くが、たまたま(昌徳宮+四庫のうち)五台山史庫本だったのだろうという。ちなみに、2006年7月、東京大学から国立ソウル大学校に移管された『朝鮮王朝実録』も、この五台山史庫本である。

 著者は言う。ここはきちんと書き抜いておこう。…日本側に残る史料には、儀軌を東京に移した理由として明確に朝鮮王公族の実録を編纂する目的を謳っている。確かに儀軌の移管は骨董品や美術品の営利目的の掠奪ではなく、明確な意図と目的の下に収集された作業用の記録物であった。しかしそうした経緯と由来は宮内庁にはほとんど伝わっていない。日本政府、特に外務省と宮内庁書陵部にはフランスの場合のような文化財強奪ではなく、相応の理由があったことを日本と韓国の両国民に知らせる重い説明責任があるのである。…

 そのとおりだと思う。しかし、基本的な前提として、東アジアの王朝にとって「史書の編纂」が、いかなる意味を持つかという認識が共有されていないと、この説明も、なかなか理解されないのではないかと思う。ちなみに、第26代高宗と第27代純宗の実録は、朝鮮総督府によって編集されたため(とWikiは書いているが、正確には宮内省の仕事であろう)韓国では実録に含めない。一方、学習院東洋文化研究所刊『李朝実録』には採録されているという。

 私は東京大学旧蔵の『朝鮮王朝実録』を実見したことがあって、こんな汚い校正刷がどうして二国間問題になるんだろう、と思っていたが、本書を読んで、妙に懐かしくなってしまった。フランスが図々しくも掠奪したような美麗な御覧本でなくて、本当によかった。

韓国・五台山史庫址訪問の記

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