○武田雅哉『万里の長城は月から見えるの?』 講談社 2011.10
万里の長城は、月から見える唯一の建築物である。――確かに私はこの言いまわしを、どこかで聞いたことがある。テレビのナレーションだったか、書物の上だったか、それとも中国旅行で出会ったガイドさんの発言だったかもしれない。無論、科学的にはありえないと思ったし、今でも思っているが、向こうも用心深く「…と言われています」と表現しているものを、まっこうから否定するのも大人気ないので、鷹揚に笑って済ませたような気がする。
それを、よせばいいのに、とことん追究してみたのが本書である。まず、「月から(あるいは宇宙から)見える長城」という伝説は、伝統的な中華思想(中国=最高の価値という思想)の持ち主である中国人が作り出したのかと思ったら、そうではなくて、むしろヨーロッパ人が中国について書いた初期の文献に散見される、というのが面白かった。
16世紀のポルトガル人宣教師による報告が、長城の存在を西洋に伝えた最古の一例だという。早いか遅いか…意外と遅い感じがした(ちなみに日本人はいつから知っているんだろう?)。その後、18世紀半ば、イギリス人の古代遺跡研究者、ウィリアム・ステュークリ(William Stukeley)が「(長城は)月から見分けることができるかもしれません」と書いたのが早い例で、19世紀末のヨーロッパのジャーナリストは「月から見ることのできる地球上で唯一の人間の手になる建造物であるという評判をも享受している」と書いているので、すでに伝説が人口に膾炙していたことが分かる。
そして、20世紀初頭には、我らが岡倉天心も「月から見えるほどの長さをもつ地球上唯一の建造物といわれる」と書いている。一方で『ニュー・サイエンティスト』などの科学雑誌では、啓蒙的な科学者が、この伝説を否定する啓蒙記事を何度か書いている。しかし、「月から見える」という伝説は、「…と言われる」「…という評判がある」等の曖昧表現を伴いつつ、何度も繰り返し言及され続けた。要するに、人類は、民族や国籍を問わず、この種の壮大なホラ話が大好きなんだと思う。
人類が実際に月に到達するようになっても、伝説は終わらない。ここでも、西洋人の宇宙飛行士がリップサービスで「見えた」と言ってしまったこともあるのに対し、2003年、中国人宇宙飛行士の楊利偉は、正直に「長城は見えなかった」と発言して、大紛糾を引き起こしたというのが可笑しい。中国では、小学生の教科書に「長城のレンガ」という読み物が使われており(近代的なビルディングをうらやましいと思っていた長城のレンガが、月から見える偉大な建築の一部だと知って自信を取り戻す、なかなか愛国的な教材)、その是非をめぐって、議論が起きたという。まあ読み物なんだし…月にウサギがいてもいいのと同じくらい、いいんじゃないの?と私は思う。
それより苦笑を禁じ得ないのは、「見えぬなら、見せてしまえ」的な中国人の発想。著者も最後に書いているように、中国人の心の拠りどころである長城(日本人にとっての富士山みたいなものか)は、今後、ますます長く、立派に"復元"されていくに違いない。さらには強力な電飾を施され、いつか本当に月から見える長城に大改造されるのではなかろうか。うん、それでこそ中国(笑)という気がする。
万里の長城は、月から見える唯一の建築物である。――確かに私はこの言いまわしを、どこかで聞いたことがある。テレビのナレーションだったか、書物の上だったか、それとも中国旅行で出会ったガイドさんの発言だったかもしれない。無論、科学的にはありえないと思ったし、今でも思っているが、向こうも用心深く「…と言われています」と表現しているものを、まっこうから否定するのも大人気ないので、鷹揚に笑って済ませたような気がする。
それを、よせばいいのに、とことん追究してみたのが本書である。まず、「月から(あるいは宇宙から)見える長城」という伝説は、伝統的な中華思想(中国=最高の価値という思想)の持ち主である中国人が作り出したのかと思ったら、そうではなくて、むしろヨーロッパ人が中国について書いた初期の文献に散見される、というのが面白かった。
16世紀のポルトガル人宣教師による報告が、長城の存在を西洋に伝えた最古の一例だという。早いか遅いか…意外と遅い感じがした(ちなみに日本人はいつから知っているんだろう?)。その後、18世紀半ば、イギリス人の古代遺跡研究者、ウィリアム・ステュークリ(William Stukeley)が「(長城は)月から見分けることができるかもしれません」と書いたのが早い例で、19世紀末のヨーロッパのジャーナリストは「月から見ることのできる地球上で唯一の人間の手になる建造物であるという評判をも享受している」と書いているので、すでに伝説が人口に膾炙していたことが分かる。
そして、20世紀初頭には、我らが岡倉天心も「月から見えるほどの長さをもつ地球上唯一の建造物といわれる」と書いている。一方で『ニュー・サイエンティスト』などの科学雑誌では、啓蒙的な科学者が、この伝説を否定する啓蒙記事を何度か書いている。しかし、「月から見える」という伝説は、「…と言われる」「…という評判がある」等の曖昧表現を伴いつつ、何度も繰り返し言及され続けた。要するに、人類は、民族や国籍を問わず、この種の壮大なホラ話が大好きなんだと思う。
人類が実際に月に到達するようになっても、伝説は終わらない。ここでも、西洋人の宇宙飛行士がリップサービスで「見えた」と言ってしまったこともあるのに対し、2003年、中国人宇宙飛行士の楊利偉は、正直に「長城は見えなかった」と発言して、大紛糾を引き起こしたというのが可笑しい。中国では、小学生の教科書に「長城のレンガ」という読み物が使われており(近代的なビルディングをうらやましいと思っていた長城のレンガが、月から見える偉大な建築の一部だと知って自信を取り戻す、なかなか愛国的な教材)、その是非をめぐって、議論が起きたという。まあ読み物なんだし…月にウサギがいてもいいのと同じくらい、いいんじゃないの?と私は思う。
それより苦笑を禁じ得ないのは、「見えぬなら、見せてしまえ」的な中国人の発想。著者も最後に書いているように、中国人の心の拠りどころである長城(日本人にとっての富士山みたいなものか)は、今後、ますます長く、立派に"復元"されていくに違いない。さらには強力な電飾を施され、いつか本当に月から見える長城に大改造されるのではなかろうか。うん、それでこそ中国(笑)という気がする。