○耶馬渓・羅漢寺~耶馬渓風物館~中津・福沢諭吉旧居記念館
週末、福岡旅行を決めたあと、あと1日をどう過ごすかをしばし考えた。唐津は春に行ったし、熊本はちょっと遠い。国東半島も車がないと…と考えて、そうだ、耶馬渓!と思い至った。この春、江戸博で開催された、狩野一信の『五百羅漢』展シンポジウムで、山下裕二先生の"全国五百羅漢行脚"写真ルポを見せていただいたのが始まり。千葉市美術館の『橋口五葉展』では、なぜか五葉が、一度きり訪ねた耶馬溪の風景を繰り返し描き続けたことを知った。さらに旅行の直前に、耶馬渓風物館で『羅漢寺と耶馬渓展』(2011年10月15日~12月18日)という展示が始まっているというニュースも聞き込んだ。これは、行くしかないだろう。
問題は「耶馬渓へのアクセス」を調べると、マイカーまたは定期観光バス推奨とあるばかりで、公共交通を使う方法がよく分からない。ようやく、博多7:33-9:08中津(にちりんシーガイア7号、またはその後の特急でも可)、中津駅から路線バス9:40-10:08中島下車、という行きかたを見つける。初日(土曜)に行こうと思っていたのだが、あいにくの雨。天気予報が、翌日は晴れると言っていたので、急遽、スケジュールを入れ替える。
日曜は、予報どおりの晴天。中津駅に到着すると、万全のウォーキングスタイルの中高年が、にぎやかに集まっている。この日、JR九州主催のウォーキングイベント「紅葉の耶馬溪と羅漢寺・青の洞門を訪ねて」が開催されていたのだ。臨時バス(有料)がピストン輸送で、お客さんを現地に運んでいる様子。なるほど、こういうイベントをチェックすると、路線バスの少ない観光地へも行きやすいんだな、と学ぶ。
私は予定どおり、路線バスで耶馬渓へ。正確には、本耶馬渓(ほんやばけい)と呼ばれる地域である。のどかな紅葉を眺めながら15分ほど歩くと、羅漢寺の参道口が見えてくる。しかし、ここは「リフトを使ったほうがいい」と誰かが書いていたので、少し先のリフト乗り場へ。安全バーも何もない簡易リフトで、ええ~と思ったが、一気に上って、羅漢駅到着。
リフトを下りて、少し歩く覚悟だったが、ひょいと岩壁をまわったら、もう目の前が羅漢寺の山門。そうか~日本のお寺って、規模が小さいなあ、と苦笑する。つい中国の華山とか武当山のつもりになっていた。ちなみに山門に行きつく前に「石橋」の下を通るのは、中国・天台山の石橋(石梁飛瀑)をイメージしているのだろう。
「無漏窟」という額を掲げた岩陰に石の羅漢像がひしめく。えーと、確か山下先生の話では、狩野一信の羅漢図に見られる「大蛇の口の中の羅漢」や「顔をめくる羅漢」がいるはず、と思って探したが見当たらない。どうやら、彼らは洞窟の外にいたようだ。個人的には、奥のキーボード奏者ふうの羅漢さんが好き。
再びリフトで下り、道の駅・耶馬トピアに併設されている耶馬渓風物館を訪ねる。あらためて羅漢寺の由来を読んだら、インドの僧、法道仙人が金銅仏を持参したのがはじまりと伝えられている。法道仙人といえば、一乗寺、花山寺、播州清水寺など、兵庫県の西国三十三所巡りをしたとき、さんざん耳にした名前なのに、なぜか飛び地のように、ここ大分に伝説が伝わっているのが面白い。
羅漢さんのうち、特に古い「延徳三歳(1491年)」の墨書のあるもの、「応永七(1374年)」の陰刻のあるものは、いま、こちらに展示されている。それから、『蓑虫山人絵日記』という大判の冊子にも、ちょっと興奮した。板橋区立美術館の『実況中継EDO』で、この変わった名乗りの画家を、はじめて知ったばかりだったので(検索したら肖像写真も残っているんだな)。
見ものは、京都・廣誠院が所蔵する明代の羅漢図6幅の里帰り展示。収納箱に「六幅ノ仏画ハ、豊前国耶馬渓羅漢寺の所蔵ナリシ」とある。さらに遡ると、かつては博多・聖福寺に伝来したらしい。展示は2幅ずつなので、残りの図像は受付で貰ったリーフレットで確認する。動物の登場が多い。なお、木屋町の廣誠院は旧長州屋敷だそうだ。今度、京都に行ったら探してみよう。
昼食を済ませて、13:32のバスに乗り、中津駅へ戻る。これで15:04の特急ソニック38号に乗れば、博多(16:28着)経由で福岡空港を18:00発の羽田行きに間に合うはず。中津で1時間ほど余裕があったので、駅の北口から15分ほどのところにある福沢諭吉旧居記念館まで往復してきた。
藁葺き屋根の母屋と、諭吉が自ら改造して勉学に励んだ土蔵が残っている。津和野の西周旧居も、確か同様に土蔵が建っていたことを思い出す。
週末、福岡旅行を決めたあと、あと1日をどう過ごすかをしばし考えた。唐津は春に行ったし、熊本はちょっと遠い。国東半島も車がないと…と考えて、そうだ、耶馬渓!と思い至った。この春、江戸博で開催された、狩野一信の『五百羅漢』展シンポジウムで、山下裕二先生の"全国五百羅漢行脚"写真ルポを見せていただいたのが始まり。千葉市美術館の『橋口五葉展』では、なぜか五葉が、一度きり訪ねた耶馬溪の風景を繰り返し描き続けたことを知った。さらに旅行の直前に、耶馬渓風物館で『羅漢寺と耶馬渓展』(2011年10月15日~12月18日)という展示が始まっているというニュースも聞き込んだ。これは、行くしかないだろう。
問題は「耶馬渓へのアクセス」を調べると、マイカーまたは定期観光バス推奨とあるばかりで、公共交通を使う方法がよく分からない。ようやく、博多7:33-9:08中津(にちりんシーガイア7号、またはその後の特急でも可)、中津駅から路線バス9:40-10:08中島下車、という行きかたを見つける。初日(土曜)に行こうと思っていたのだが、あいにくの雨。天気予報が、翌日は晴れると言っていたので、急遽、スケジュールを入れ替える。
日曜は、予報どおりの晴天。中津駅に到着すると、万全のウォーキングスタイルの中高年が、にぎやかに集まっている。この日、JR九州主催のウォーキングイベント「紅葉の耶馬溪と羅漢寺・青の洞門を訪ねて」が開催されていたのだ。臨時バス(有料)がピストン輸送で、お客さんを現地に運んでいる様子。なるほど、こういうイベントをチェックすると、路線バスの少ない観光地へも行きやすいんだな、と学ぶ。
私は予定どおり、路線バスで耶馬渓へ。正確には、本耶馬渓(ほんやばけい)と呼ばれる地域である。のどかな紅葉を眺めながら15分ほど歩くと、羅漢寺の参道口が見えてくる。しかし、ここは「リフトを使ったほうがいい」と誰かが書いていたので、少し先のリフト乗り場へ。安全バーも何もない簡易リフトで、ええ~と思ったが、一気に上って、羅漢駅到着。
リフトを下りて、少し歩く覚悟だったが、ひょいと岩壁をまわったら、もう目の前が羅漢寺の山門。そうか~日本のお寺って、規模が小さいなあ、と苦笑する。つい中国の華山とか武当山のつもりになっていた。ちなみに山門に行きつく前に「石橋」の下を通るのは、中国・天台山の石橋(石梁飛瀑)をイメージしているのだろう。
「無漏窟」という額を掲げた岩陰に石の羅漢像がひしめく。えーと、確か山下先生の話では、狩野一信の羅漢図に見られる「大蛇の口の中の羅漢」や「顔をめくる羅漢」がいるはず、と思って探したが見当たらない。どうやら、彼らは洞窟の外にいたようだ。個人的には、奥のキーボード奏者ふうの羅漢さんが好き。
再びリフトで下り、道の駅・耶馬トピアに併設されている耶馬渓風物館を訪ねる。あらためて羅漢寺の由来を読んだら、インドの僧、法道仙人が金銅仏を持参したのがはじまりと伝えられている。法道仙人といえば、一乗寺、花山寺、播州清水寺など、兵庫県の西国三十三所巡りをしたとき、さんざん耳にした名前なのに、なぜか飛び地のように、ここ大分に伝説が伝わっているのが面白い。
羅漢さんのうち、特に古い「延徳三歳(1491年)」の墨書のあるもの、「応永七(1374年)」の陰刻のあるものは、いま、こちらに展示されている。それから、『蓑虫山人絵日記』という大判の冊子にも、ちょっと興奮した。板橋区立美術館の『実況中継EDO』で、この変わった名乗りの画家を、はじめて知ったばかりだったので(検索したら肖像写真も残っているんだな)。
見ものは、京都・廣誠院が所蔵する明代の羅漢図6幅の里帰り展示。収納箱に「六幅ノ仏画ハ、豊前国耶馬渓羅漢寺の所蔵ナリシ」とある。さらに遡ると、かつては博多・聖福寺に伝来したらしい。展示は2幅ずつなので、残りの図像は受付で貰ったリーフレットで確認する。動物の登場が多い。なお、木屋町の廣誠院は旧長州屋敷だそうだ。今度、京都に行ったら探してみよう。
昼食を済ませて、13:32のバスに乗り、中津駅へ戻る。これで15:04の特急ソニック38号に乗れば、博多(16:28着)経由で福岡空港を18:00発の羽田行きに間に合うはず。中津で1時間ほど余裕があったので、駅の北口から15分ほどのところにある福沢諭吉旧居記念館まで往復してきた。
藁葺き屋根の母屋と、諭吉が自ら改造して勉学に励んだ土蔵が残っている。津和野の西周旧居も、確か同様に土蔵が建っていたことを思い出す。