見もの・読みもの日記

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2011秋の関西遊:大阪/中国書画・阿部コレクション(大阪市美)

2011-11-08 00:43:11 | 行ったもの(美術館・見仏)
大阪市立美術館 常設展『中国書画II-阿部コレクション』(2011年10月20日~11月23日)

 9つの所蔵館が開催する「関西中国書画コレクション展」シリーズの中で、いちばん楽しみにしていたのがこれ。大阪市美のサイトを見て「常設展」(観覧料300円)と知ったときは、目を疑ったが、質量ともに圧巻の展覧会だった。

 「阿部コレクション」は、実業家・阿部房次郎氏(1868-1937)のコレクション。総数は160件にのぼり、「その白眉は、完顔景賢旧蔵の宋元以前にさかのぼる作品群」であると、関西中国書画コレクション展のサイトに説明されている。完顔景賢(1875-1931)は、清末民国初期における書画・古籍の屈指の収蔵家。今年の初めに聞きに行った、京都大学東京オフィスの市民講座で、初めて聞き覚えた名前である。また、2011年10月22日・23日に行われた国際シンポジウム『関西中国書画コレクションの過去と未来』(←行きたかった~) のレジュメが公開されていて、そこにも何度か登場する。

 本展では、美術館2階の4室を使って60余点が展示されている。半数が明清ものだが、宋元及びそれ以前のものが半数(!)を占める。まずは、元と両宋の山水図で、本場ものの「重厚長大」感をしみじみ味わう。伝・李成筆『読碑窠石図』には見覚えがあった。「李郭派」という名前を知るきっかけになった、2008年の大和文華館『崇高なる山水』で見たのではないかと思う。伝・郭忠恕筆『明皇避暑宮図』は、大画面の「界画」(=定規を用いて、入りくんだ楼閣などを精密に描く作品)。前々日に京博で見た、細川コレクションの『咸陽宮図』といい勝負(!?)である。

 さらに時代を遡る(かもしれない)のが、6世紀の『五星二十八宿神形図』。2009年、『道教の美術』のチラ見せでハマってしまった作品だが、今回は、巻頭から巻末までを一気に見せる太っ腹な公開に、ぐふふと変な声を漏らしそうになる。獣頭人身の神々など、謎めいた図様に施された丁寧な色彩。妖しい字体(篆書)も魅力的だ。

 8世紀の伝・呉道玄筆『送子天王図』は、浄飯王が幼い釈迦を抱いて神廟に詣でると、全ての神像が動き出したという説話を描いたもの。コミカルな躍動感が楽しく、闊達な墨画の線が、鳥獣戯画などの絵巻作品を思い出させる。12-13世紀(金代)の『明妃出塞図』は、寒風吹きすさぶ中、塞外の地に旅立つ人々の悲愴感が感じられ、中国にも、ストーリー性のある画巻の伝統があったんだということを認識する。

 次室は『石渠宝笈』収載の絵画を公開。『石渠宝笈』は、乾隆~嘉慶年間に編纂された清朝宮廷の書画目録で、阿部コレクションには8件が収められている。本展は、この8件を全て公開しており、『聚猿図』『蘭図』については、清朝の書画庫で使われていた包袱(ほうふく、風呂敷)が一緒に伝わっているのがすごい。風呂敷の内側には墨書(ハンコ?)で、作品の題と作者名が記されている。

 それにしても、牛だらけの『散牧図』、おサルさんだらけの『聚猿図』は絵本のようで、中国美術の先入観を完全に裏切られる。特にルーズソックスを穿いたような足の牛が、可愛い。『芸術新潮』2011年9月号「ニッポンの『かわいい』」特集に「基本"かわいくない"中国美術」というフレーズがあって、妙に同感したのだが、実は「"かわいくない"中国美術」というのも、日本人が文化戦略的に選んだ結果のような気がしてきた。あの乾隆帝が、こんなかわいい作品に御題を書きつけているのも微笑ましい。

 後半、明清の書画になると、知っている名前が増えてくる。石濤の『東坡時序詩意図冊』は、いかにも石濤らしい抒情的な色彩(同名の画冊が「近代デジタルライブラリー」に入っているのを見つけたけど、白黒じゃあなあ)。明の邵彌 『雲山平遠図』や清の王時敏『墨筆山水図』も好きだ。八大山人が着彩の山水画を描いていたり、書家・傅山の絵があったのも面白かった。

 しかし、併設の常設展『雲の上を行く-仏教美術II』も見ごたえがあるのに、あまりにもお客さんがいなくて、もったいない。最近の国立博物館はやりすぎだが、大阪市美、もうちょっと営業努力をすればいいのに。
コメント (2)
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