■奈良国立博物館 特別展『第63回 正倉院展』(2011年10月29日~11月14日)
昨年の記事を読み返したら、私は、これで10年、正倉院展に皆勤らしい。今年は東京駅や新宿駅で正倉院展の宣伝を見なかったので、少し宣伝熱が引いたかな、と期待していたのだが、とんでもなかった。朝8時半頃に行ったら、もう博物館前のテラスの行列は三折して、屋根の下からはみ出るところだった。少し待たされるかな、と思ったが、8時50分頃に開館すると、入館制限をせずに、どんどん中に入れていく。も~やだ、こんなの。
入ってすぐの東新館の南側は、すでに展示ケースが見えないくらいの混雑なので後にまわし、遠目に物体が確認できればOKの『蘭奢待』あたりから見ていく。今年は、あまり華美な装飾で人目を引く品がなくて、染物とか合子(ごうす)とか絵箱とか、日用品が多いように感じた。でも却って地味な日用品のほうが、当時の生活を髣髴とさせて面白い。
例外は『金銀鈿荘唐大刀(きんぎんでんそうのからたち)』。最前列で見たい人のための長い列ができていたが、私は人の頭越しでよしとする。個人的には、宝庫で最も重い銅鏡(52.8キロ!)『十二支八卦背円鏡(じゅうにしはっけはいのえんきょう)』と聖武天皇遺愛の『七条織成樹皮色袈裟(しちじょうしょくせいじゅひしょくのけさ)』が印象に残った。後者は、平成の複製品とあわせて鑑賞するのがいいと思う。
■奈良国立博物館 なら仏像館(2011年10月4日~)
新館(正倉院展会場)のロビーで、写真入りのリーフレット「なら仏像館展示会場案内図」を見つけた。おや、ずいぶん親切になったな、と嬉しかった。そういえば、前回(2011年7月)、仏像館の照明の変化について書いたが、いつの間にか奈良博のホームページに「なら仏像館の照明をめぐって」という文章が上がっていた。これ、照明のリニューアルが実際にいつ行われたかと、この文章がいつ公開されたかの年記が入っていないことが記録として惜しまれる。
ざっと見たところ、あまり7月と変化がないようだったが、2件の「特別公開」が気になったので行ってみた。すると、前回来訪時は「十一面・海住山寺・平安」が「特別公開」されていた(7)の位置(※配置図)に、大和高田・弥勒寺の弥勒菩薩坐像(平安)がおいでだった。子供っぽい丸顔に眠たげな半眼だが、厚みのある体躯には緊張感がある。解説に言う「足首を膝頭より奥にぐっと引く」座り方(平安中期の作風)のせいかもしれない。耳朶の網目模様に特徴がある。
もう1件の「特別公開」は第3室。東大寺法華堂の金剛力士像2体が立っていたところだ。ものすごく巨大な青黒い顔がこちら(中央第1室)を睨んでいる。映画ジュラシック・パークの恐竜に見つかったような迫力に、震え上がる。大阪・金剛寺の降三世明王坐像だという。さっき見た「会場案内図」に写真が載っていたのだが、まさかこんなに巨大だとは、思いもよらなかった。解説に「2メートルを超える」とあったのは像高だけで、台座と火炎光背を足せば4メートル近くなると思う。驚いたのは、この降三世を脇侍とする、金剛寺金堂の本尊・大日如来坐像は、さらに巨大だということ。大阪・河内長野の金剛寺へは、一度だけ行ったことがあるが、時間切れで金堂三尊は、見逃してしまったのだ。もったいないことをした。
それにしてもすごい。大きいけれど鈍重ではなく、水平に構えた五鈷杵、膝に置いて軽く握った右手など、隅々まで緊張感がみなぎっている。文句なくカッコいい。
仏像館には、もうひとつ大きな変化があった。大和高田の弥勒菩薩像の背面、長年、この位置を占めていた『東大寺西大門勅額』が忽然と消え、「かつての陳列風景」という写真パネル展示に変わった。ま、勅額の行き先は、だいたい予想がついている。
■東大寺ミュージアム 特別展『奈良時代の東大寺』(2011年10月10日~2012年4月1日)
奈良博を出て、東大寺の境内に向かう。目指すのは、10月10日にオープンしたばかりの東大寺ミュージアムである。南大門をくぐってすぐ、参道の左側(旧・東大寺学園の移転跡地)に新造されたもの。しかし、土塀に囲まれ、瓦屋根を乗せて、周囲の景観に溶け込んだ造りなので、ホッとする。「東大寺総合文化センター」というのが建物の正式名称である。
奈良博でおなじみだった『西大門勅額』や『弥勒仏坐像』(試みの大仏)、『誕生釈迦仏立像及び灌仏盤』などが、こっちに移動してきていた。特別展のお楽しみだった『二月堂本尊光背』や『金銅八角燈籠火袋羽目板』も、今後、ここで常設化するのだろうか。
展示室は、いかにも「いまどき」の博物館で、全体の照明は暗く、展示物だけがスポットライトで浮かび上がる。資料保存には適しているのだろうが、演出としては、もう新味がないように思う。ただ、スポットライトのおかげで、細かいところ、『灌仏盤』の花鳥文などが見やすいのは嬉しい。
そして、三月堂(法華堂)の不空羂索観音立像と久々の再会。日光、月光菩薩もお揃いで、嬉しいのだが、ちょっとした違和感。不空羂索観音が「丸裸」なのだ。あの特徴的な光背、持物の蓮華や錫杖、瓔珞、宝冠、全て取り払われている。この状態だと、上半身に比べて下半身が貧弱なこと(腰から下が短い)や、下腹の肉のだぶつきが目立って、体形的にはあまりカッコよくないなあ、と感じた。
また、胸前の合掌手の間には宝珠(水晶玉)を挟んでいるはずだが、それもない。展示リストを見ると、「不空羂索観音立像」とは別に「不空羂索観音立像宝冠及び化仏」という番号立てがされているのだが、なぜか1期から6期(~4/1)まで、どこにも「○」がついていない。展示を計画したものの、全く展示できなくなってしまったか、いつから展示できるか決まっていないか、どちらかなのだろう。
ミュージアム展示のいいところは、以前よりも至近距離から観音を拝することができるようになったことだ。観音の合掌手とお顔が重なるような角度で見上げると、その迫力に打たれる。横斜めのアングルも新鮮だった。
昨年秋の不確定情報と比較すると、吉祥天、弁財天は、東大寺ミュージアムにおいでになっていなかった。展示リストに記載もなし。あと、奈良博から消えた金剛力士像二体はどこに行かれたのだろう。本格的な修復に入ったのかなあ。いつ、我々の前に戻ってきてくれるのだろうか…。
外に出ると、天気予報どおり、小雨が降り始めていたので、参道でビニール傘を買い、次の目的地・大阪へ向かった。
昨年の記事を読み返したら、私は、これで10年、正倉院展に皆勤らしい。今年は東京駅や新宿駅で正倉院展の宣伝を見なかったので、少し宣伝熱が引いたかな、と期待していたのだが、とんでもなかった。朝8時半頃に行ったら、もう博物館前のテラスの行列は三折して、屋根の下からはみ出るところだった。少し待たされるかな、と思ったが、8時50分頃に開館すると、入館制限をせずに、どんどん中に入れていく。も~やだ、こんなの。
入ってすぐの東新館の南側は、すでに展示ケースが見えないくらいの混雑なので後にまわし、遠目に物体が確認できればOKの『蘭奢待』あたりから見ていく。今年は、あまり華美な装飾で人目を引く品がなくて、染物とか合子(ごうす)とか絵箱とか、日用品が多いように感じた。でも却って地味な日用品のほうが、当時の生活を髣髴とさせて面白い。
例外は『金銀鈿荘唐大刀(きんぎんでんそうのからたち)』。最前列で見たい人のための長い列ができていたが、私は人の頭越しでよしとする。個人的には、宝庫で最も重い銅鏡(52.8キロ!)『十二支八卦背円鏡(じゅうにしはっけはいのえんきょう)』と聖武天皇遺愛の『七条織成樹皮色袈裟(しちじょうしょくせいじゅひしょくのけさ)』が印象に残った。後者は、平成の複製品とあわせて鑑賞するのがいいと思う。
■奈良国立博物館 なら仏像館(2011年10月4日~)
新館(正倉院展会場)のロビーで、写真入りのリーフレット「なら仏像館展示会場案内図」を見つけた。おや、ずいぶん親切になったな、と嬉しかった。そういえば、前回(2011年7月)、仏像館の照明の変化について書いたが、いつの間にか奈良博のホームページに「なら仏像館の照明をめぐって」という文章が上がっていた。これ、照明のリニューアルが実際にいつ行われたかと、この文章がいつ公開されたかの年記が入っていないことが記録として惜しまれる。
ざっと見たところ、あまり7月と変化がないようだったが、2件の「特別公開」が気になったので行ってみた。すると、前回来訪時は「十一面・海住山寺・平安」が「特別公開」されていた(7)の位置(※配置図)に、大和高田・弥勒寺の弥勒菩薩坐像(平安)がおいでだった。子供っぽい丸顔に眠たげな半眼だが、厚みのある体躯には緊張感がある。解説に言う「足首を膝頭より奥にぐっと引く」座り方(平安中期の作風)のせいかもしれない。耳朶の網目模様に特徴がある。
もう1件の「特別公開」は第3室。東大寺法華堂の金剛力士像2体が立っていたところだ。ものすごく巨大な青黒い顔がこちら(中央第1室)を睨んでいる。映画ジュラシック・パークの恐竜に見つかったような迫力に、震え上がる。大阪・金剛寺の降三世明王坐像だという。さっき見た「会場案内図」に写真が載っていたのだが、まさかこんなに巨大だとは、思いもよらなかった。解説に「2メートルを超える」とあったのは像高だけで、台座と火炎光背を足せば4メートル近くなると思う。驚いたのは、この降三世を脇侍とする、金剛寺金堂の本尊・大日如来坐像は、さらに巨大だということ。大阪・河内長野の金剛寺へは、一度だけ行ったことがあるが、時間切れで金堂三尊は、見逃してしまったのだ。もったいないことをした。
それにしてもすごい。大きいけれど鈍重ではなく、水平に構えた五鈷杵、膝に置いて軽く握った右手など、隅々まで緊張感がみなぎっている。文句なくカッコいい。
仏像館には、もうひとつ大きな変化があった。大和高田の弥勒菩薩像の背面、長年、この位置を占めていた『東大寺西大門勅額』が忽然と消え、「かつての陳列風景」という写真パネル展示に変わった。ま、勅額の行き先は、だいたい予想がついている。
■東大寺ミュージアム 特別展『奈良時代の東大寺』(2011年10月10日~2012年4月1日)
奈良博を出て、東大寺の境内に向かう。目指すのは、10月10日にオープンしたばかりの東大寺ミュージアムである。南大門をくぐってすぐ、参道の左側(旧・東大寺学園の移転跡地)に新造されたもの。しかし、土塀に囲まれ、瓦屋根を乗せて、周囲の景観に溶け込んだ造りなので、ホッとする。「東大寺総合文化センター」というのが建物の正式名称である。
奈良博でおなじみだった『西大門勅額』や『弥勒仏坐像』(試みの大仏)、『誕生釈迦仏立像及び灌仏盤』などが、こっちに移動してきていた。特別展のお楽しみだった『二月堂本尊光背』や『金銅八角燈籠火袋羽目板』も、今後、ここで常設化するのだろうか。
展示室は、いかにも「いまどき」の博物館で、全体の照明は暗く、展示物だけがスポットライトで浮かび上がる。資料保存には適しているのだろうが、演出としては、もう新味がないように思う。ただ、スポットライトのおかげで、細かいところ、『灌仏盤』の花鳥文などが見やすいのは嬉しい。
そして、三月堂(法華堂)の不空羂索観音立像と久々の再会。日光、月光菩薩もお揃いで、嬉しいのだが、ちょっとした違和感。不空羂索観音が「丸裸」なのだ。あの特徴的な光背、持物の蓮華や錫杖、瓔珞、宝冠、全て取り払われている。この状態だと、上半身に比べて下半身が貧弱なこと(腰から下が短い)や、下腹の肉のだぶつきが目立って、体形的にはあまりカッコよくないなあ、と感じた。
また、胸前の合掌手の間には宝珠(水晶玉)を挟んでいるはずだが、それもない。展示リストを見ると、「不空羂索観音立像」とは別に「不空羂索観音立像宝冠及び化仏」という番号立てがされているのだが、なぜか1期から6期(~4/1)まで、どこにも「○」がついていない。展示を計画したものの、全く展示できなくなってしまったか、いつから展示できるか決まっていないか、どちらかなのだろう。
ミュージアム展示のいいところは、以前よりも至近距離から観音を拝することができるようになったことだ。観音の合掌手とお顔が重なるような角度で見上げると、その迫力に打たれる。横斜めのアングルも新鮮だった。
昨年秋の不確定情報と比較すると、吉祥天、弁財天は、東大寺ミュージアムにおいでになっていなかった。展示リストに記載もなし。あと、奈良博から消えた金剛力士像二体はどこに行かれたのだろう。本格的な修復に入ったのかなあ。いつ、我々の前に戻ってきてくれるのだろうか…。
外に出ると、天気予報どおり、小雨が降り始めていたので、参道でビニール傘を買い、次の目的地・大阪へ向かった。