見もの・読みもの日記

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オタク第2世代の自己分析/動物化するポストモダン(東浩紀)

2007-04-11 23:04:20 | 読んだもの(書籍)
○東浩紀『動物化するポストモダン:オタクから見た日本社会』(講談社現代新書) 2001.11

 「ポストモダン」とは、おおよそ1960~1970年代以降の文化世界を指す言葉である。日本では、1970年の大阪万博をメルクマールとし、それ以降の時代状況を指すと考えてよい。そして、日本の「ポストモダン」を特徴づけているのが、オタク系文化である。

 本書は、オタク系文化の担い手を3つの世代に分けて考える。第1世代は、1960年前後生まれを中心に『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』を10代で見た世代。第2世代は、先行世代が作り上げたオタク系文化を10代で享受した1970年前後生まれ。そして第3世代は、10代半ばにインターネット普及期を迎えた1980年前後生まれをいう。

 著者は1971年生まれのオタク第2世代だ(『東京から考える』で対談していた北田暁大さんも)。ちなみに私は第1世代である。私の世代の呼ばれ方には、「均等法世代」「Hanako世代」「新人類」なんてのもあったが、これらは全て、先行世代に名付けられたものだ。それに対して「オタク第1世代」には、後続世代からの、そこはかとないリスペクトが感じられて、私はいちばん誇らしい名称だと思っている。

 1980年代後半、「オタク」という言葉が、まだ不定形で両義的だった頃――世界に誇れる新しい日本文化という認識も、幼女連続殺人事件を契機とした激しいバッシングもなかった頃、颯爽と論壇に現れて(と思っていたのは私の世代だけかもしれない)、オタク系文化の意義をいちはやく論じたのは、やはりオタク第1世代の大塚英志だった。

 本書は、大塚の『物語消費論』(新曜社, 1989)が解き明かしたオタク第1世代の文化状況を全面的に参照しながら、第2世代以降の変貌を論じている。まず、大塚の論点を復習しよう。かつて我々は「宗教」とか「国家」とか「イデオロギー」という「大きな物語」に意味づけられて生きていた。しかし、近代の終わりとともに「大きな物語」の権威は失墜し、以後、我々は、小さな物語の断片の消費を繰り返しながら、その背後に仕掛けられた大きな物語に接近を試みることしかできなくなってしまった。これが1980年代の「物語消費」である。

 ところが、1990年代に入ると、もはや大きな物語の捏造を必要としない世代が現れた。彼らは物語のメッセージ性よりも、個々のキャラ設定に強く執着する。いわば、任意の「萌え要素」をデータベース的に消費する「データベース消費」であり、「意味」を求めないという点では「動物的」消費行動である。

 「物語消費」から「データベース消費」へ――これは非常に納得できて、分かりやすい。ただ、読みながら何かが違うように思ったのは、著者が「データベース消費」の構造を「超平面的な世界」と言い換えて、インターネットの世界に喩えているあたりだ。「たとえばウェブでは、世界的に有名なサイトでも単なる個人サイトでも等価にリンクされてしまう」。それゆえ、消費者は全てを踏破(収集)することの情熱に捉われると、無限の消費の欲望から抜け出ることができない、と著者はいう。

 うーむ。これって「Google以前」のモデルだなあ、と反射的に思った。本書の書かれたのが2001年。微妙な端境期である。いま、ウェブが「世界的に有名なサイトでも単なる個人サイトでも等価」な世界であるとは言えないだろう。オタク第4世代は、検索エンジンが無数の「小さな物語」を秩序づけ、新たな「大きな物語」を(我々の無意識の中から?)紡ぎ出す時代を生きていくのだろうか。

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