見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

山西貧乏旅行【3日目】大同~太原

2005-08-22 18:26:52 | ■中国・台湾旅行

■懸空寺、応県木塔

 大同より南下、懸空寺と応県木塔に立ち寄る。懸空寺は、断崖絶壁に張り付くように作られた、不思議な建築である。鳥取県三朝(みささ)の投入堂とか、長 野県小諸の布引観音堂を、中国的スケールの風景の中に置いたものと考えればよい。8年前に比べると、周辺の観光施設は、やはり格段にきれいになっていたが、懸空寺の建築表現としてのインパクトが強烈なので、あまり印象に差はないように思った。

 


絶壁に張り付く懸空寺。

 驚いたのは応県木塔である。全長67メートル。京都の東寺五重塔(55メートル)より、10メートルも高く、中国最古最大といわれる応県木塔は、低層建 築しかない農村風景の中では、前回、かなり遠方からも、その姿を認めることができた。今回も早めに見つけようと窓の外に気を配っていたのであるが、車は、大規模な衣料品マーケットの前で止まってしまった。ガイドの于さんが「着きました」と言う。

 狐につままれた気持ちで外に出てみると、俗に「明清街」と言われる、古い街並みを模した商店街がまっすぐ延びていて、200メートルほど先に、見覚えの ある木塔が立っている。しかも、明清街に立ち並ぶ店舗は、全て衣料品関係(靴、スポーツ用品、装身具など)のお店なのだ。木塔を見に来る観光客を当て込み、ついでに買い物もさせてしまおうということか。不思議なミス・マッチ感覚である。

 午後、車は一路、太原へ。眠っていてもいいのだが、途中、通過する雁門関だけは起きていたい。金庸原作の武侠ドラマ『天龍八部』で、冒頭と結末の舞台と なったところである。応県からしばらくは平坦な風景が続き、イメージに合わないなあと思っていたが、さすが「雁門関」の案内板が見え始めた頃から、山が険しくなり、ドラマを思い出して、わくわくした。

 太原では、双塔寺をゆっくり見学。夕食は、ホテルの近くに、山西料理のお店を見つけて入った。壁に白黒の古写真を飾り、「太原○○」「平遥××」など、 地名を冠した名物料理をメニューに揃えている。なかなか瀟洒でいいお店だったが、会計は、やっぱり5人で50元。どうも、これ以上の金額にはなりようがないみたい。

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山西貧乏旅行【2日目】大同

2005-08-21 18:21:56 | ■中国・台湾旅行

■雲崗石窟

 大同は、山西省でも最北の地。内モンゴル自治区を挟んで、国境に近い。そのため、多くの兵士が駐留している。私は見なかったが、ホテルの朝食の席にも、機関銃を携えた兵士の姿があったとか。

 最初の観光地、雲崗石窟に向かう。朝からいくぶん雲行きのあやしい天気だったが、「私は雨の中でガイドしたことはないよ。絶対晴れるよ」と胸を張る于さん。大同市内から雲崗石窟までの道中は降られたが、石窟に着くと、なるほど雨は上がっていた。

 雲崗は、数ある中国の石窟の中でも、私のいちばん好きなところだ。8年間に比べると、道路も駐車場もすっかり整備され、赤い風船に飾られた、真新しい 「世界遺産」の碑が誇らしげである。日曜日ということもあって、軽い遠出を楽しむ家族連れやカップルで賑わっている。平和と生活のゆとりが感じられて、た いへんよろしい。

 


第20窟の露天大仏は、雲崗石窟の顔。

 ここなら終日いたって飽きないと思われるが、そうも言っていられないので、三龍壁のある観音堂を見て、市内に戻る。昼食は羊肉のシャブシャブ。上華厳寺、下華厳寺、九龍壁、善化寺など、定番の名所を見てまわる。

 夕食は、我々だけで食べにいくことになったので、城壁の遺址と鼓楼のある中心部まで、ぶらぶら歩いて出かける。見回した限りでは、比較的、高級そうな鍋料理店に入ったのだが、会計を終えると、ビール込みで、ほぼ50元。肉より野菜・豆腐中心のオーダーだったからかなあ。

 親切だった小姐たちが、あとで「テーブルクロスの洗濯代も出ない!」と嘆いているのではないかと案じられた。久しぶりに下手な中国語で意思疎通を図ろうとした私は、中国人(漢民族)でないと見破られて、「モンゴル族か?」と聞かれてしまった。

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山西貧乏旅行【初日】出発~北京~大同

2005-08-20 18:12:24 | ■中国・台湾旅行

■出発前

 恒例の中国旅行の季節がやってきた。その前に、この場を借りて報告しておくと、私は、今年4月、東文研から総合図書館に異動になった。新しい職場は、毎 日、カウンターに出るサービス担当なので、「長期休暇は取りにくい」のではないかと心配されたが、思ったほどの障害は無かった。

 むしろ、今年、問題になったのは行き先である。昨年、見残した江南地方にまた行きたい、シルクロード・ブーム再燃の西域、懸案の安徽省、オリンピックに向けて再開発の進む北京も見ておかねば、というわけで、議論百出。

 結局、菅野さんの所属する書道団体が、太原市の山西省博物館で書道展を開くということが判明し、これに合わせて、山西省+河南省という案で落ち着いた。 古参メンバーは1997年にも同じ地方を回っているのだが、新規参入組に配慮し、”絶対、外せない”名所旧跡を織り込んで、苦心のスケジュールが完成し た。

 ところが、直前になって、栗林夫妻が参加できないことが判明。今年は、石川さん、池浦さん、菅野さん、江川、そして、国会図書館関西館の中村さんの5人で決行となった。

■北京到着

 北京首都空港で、スルーガイドの于(ウ)鉄奇さんと落ち合う。于さんは体重100キロを超える巨漢。色黒でギョロリとした大きな目の持ち主で、鎧を着せたら、三国志の武将役でも務まりそうだ。

 専用車に乗り込むと、北京市内には入らず、高速道路に乗って、大同に向かう。山西省の大同市は北京の西、約300キロ、以前は夜行列車でちょうど一晩の行程だったが、最近は車でその日のうちに着いてしまう(ちなみに、北京―大同間の高速道路は“京大高速”と言う)。

 ヒマワリの花が揺れる、平原の風景を眺めながら、快適なドライブを楽しみ、大同のホテルに到着したのは夜の8時過ぎだった。

■大同で夕食

 夕食は、ホテルの敷地に隣接するレストランに案内され、自由に注文して食べるように言われる。時間も遅いし、お腹もすいていないので、いくぶん少なめの 皿数に抑えた。とは言え、ビールも付けたし、それなりの金額を請求されるものと思っていたら、5人で50元ちょっと。あまりの安さに拍子抜け。昨年の江南 旅行では、最終日、上海の和平飯店が7人で2,500元だったのは例外としても、1人当たり50~60元が平均値だったと記憶している。中国国内における 経済の地域格差はかくも激しいということか。

 もっとも、普通の中国人なら、もう少し食べるらしい。翌日、やけに不満顔の于さんによれば、1人10元というのは「いくら日本人でも新記録」で、「テー ブルクロスの洗濯代も出ない!」と店主から激しいクレームを受けたそうだ。いや、我々としては、十分満足だったんだけど・・・。 

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ただいま夏休み中

2005-08-20 01:15:37 | なごみ写真帖
本日より、8/31まで夏休み。恒例の中国旅行に出かけます。
今年は、雲崗石窟(2回目)、天龍山石窟(初めて)、龍門石窟(3回目)を訪ねる石窟巡礼ツアー。実は、伊東忠太、関野貞、岡倉天心らの足跡をめぐる旅でもあります。

しばらくブログの更新はありません。では、みなさま、ご機嫌よう。

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「支那」に魅入られた男/阿片王(佐野眞一)

2005-08-17 23:25:02 | 読んだもの(書籍)
○佐野眞一『阿片王:満州の夜と霧』新潮社 2005.7

 ノンフィクション作家・佐野眞一の作品を読んだのは、出版界の実態を多角的に描いた『だれが「本」を殺すのか』(プレジデント社, 2001.2)が最初だった。そのあと、さかのぼって『東電OL殺人事件』(新潮社, 2000.5)と『東電OL症候群』(新潮社, 2001.12)も読んだ。

 だから、非常に先端的な社会問題を題材にする作家だと思っていたら、あるとき、著者が、いちばん好きな(影響を受けた)ノンフィクション作品として、山室信一の『キメラ―満洲国の肖像』(中公新書, 1993)を挙げているのを見て、へえ、と意外に感じた。私も『キメラ―満洲国の肖像』は、重厚かつスリリングな名著だと信じているが、佐野眞一という作家のイメージとは結びつかなかったのだ。そんなわけで、本書を見たとき、ああ、とうとう、佐野さんは、この題材に筆を染められたんだな、と感慨深く思った。

 主人公は里見甫(はじめ)。東亜同文書院の出身。第二次世界大戦中、中国大陸で「阿片王」として名を馳せた男である。彼の収益は関東軍の軍事機密費として使われ、満州国のインフラを支えた。戦後は、A級戦犯容疑者として極東軍事裁判の法廷に立ったが、保釈され、一民間人として生涯をまっとうした。

 不思議な人物だ。全く一筋縄ではいかない。里見は、巨万の富を動かしながら、物欲というものがなく、ほとんど個人財産を築かなかった。他人を押しのけ、自分を大きく見せたいという権勢欲とも無縁だった。

 また、大日本帝国の威光にすり寄るナショナリストの面影もない。シナの、チャンコロの、と中国を蔑視し、中国人の生命を軽んじて、こうした犯罪を企てたわけでもない。むしろ、流暢な中国語を操り、いつも中国服に身を包み、「オレは支那が好きでたまらない。オレは支那で死ぬ」というのが、彼の口グセだった。終戦時に日本に戻りはしたものの、「二ヶ月もすれば、また中国に帰るつもりで」いたと言う。

 映画監督マキノ雅広の回想によれば、里見は、阿片売買の利益の半分を蒋介石に収め、四分の一を、蒋介石と対立する親日政権の汪兆銘に収め、残り四分の一の八分を日本軍部に上納して、ごくわずかを自分のものとしていたという。数字までは俄かに信じがたいが、あながち荒唐無稽ではないのだろう。

 私は、おぼろげに理解する。この苛烈なアナーキズムとニヒリズムこそは、中国思想史の底流によどみ、ときどき表面に浮かび上がってきては、中国の歴史と文化に複雑な陰影を与えている思想である。「中国人以上に中国を愛し、ほとんど中国人になりきった里見」を捉えていたのは、「アヘンがあれば国家はいらない。快楽があれば軍隊はいらない」という不逞な思いだったのではないか、と著者は言う。

 本書には、先日読んだ『上海時代』の松本重治も、ちらりと登場する。2人は非常に仲がよかったが、里見は松本重治について「あいつは利口すぎるから困る」「いつも理路整然としているやつはおかしいんだ」と批判していたという。

 うーむ。アメリカ帰りの知性派”リベラリスト”松本重治と、関東軍の黒幕”阿片王”里見甫。中国あるいは「支那」という国を、より多く愛していたのは、どちらだったんだろう。もしくは、中国という文明により多く愛されたのは、本当のところ、どっちというべきなんだろう。
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70年代の忘れもの/韓国からの通信(T・K生)

2005-08-16 22:59:36 | 読んだもの(書籍)
○T・K生,「世界」編集部『韓国からの通信-1972.11~1974.6-』(岩波新書)岩波書店 1974.8

 「韓国からの通信」は、1970~80年代、岩波書店の雑誌『世界』に「T・K生」のペンネームで連載された匿名記事である。韓国の軍事独裁権力による弾圧のすさまじさと、民主化を求める民衆の抵抗を生々しく伝えて、日本の知識人に大きな反響を呼んだ。一方で、この匿名通信は、「世界」編集長・安江良介氏の「捏造」である、とする憶測もあったが、2003年7月、韓国翰林大学日本学研究所長の池明観(チ・ミョングワン)氏が、筆者であることを告白し、疑惑を晴らした。

 という経緯を、私が知ったのは、つい最近のことだ。たぶん2003年7月に「T・K生」の真実が判明、というTVニュースを見た記憶があるのだが、何それ?という感じで、特に何の感銘も受けなかった。

 ごく最近、和田春樹氏の『同時代批評』(彩流社 2005.3)を読んで、この匿名通信が、連載当初に持っていたインパクトと、それゆえ、保守系論客によって「捏造」の誹謗を与えられた理由が、初めて少し分かったように思った。

 そんな折も折、書店の平積み棚で本書を見つけたときは驚いた。私は、この匿名通信が、岩波新書で刊行されていることさえ知らなかったのだ。「戦後60年、私が薦める岩波新書」と題し、6人の論客が5冊ずつの岩波新書を薦めるという企画である。本書は、姜尚中氏の「お薦め」で、どうやら緊急増刷されたものらしい。ありがたいことである。

 本書で取り上げられている時代は、1972年11月から1974年6月。朴大統領による戒厳令の宣布直後から、金大中氏拉致事件、詩人の金芝河氏への死刑宣告などを含む。

 日本は、大阪万博、札幌冬季オリンピックを成功させ、平和と繁栄に浮かれていた頃だ。私はこの間に中学生になった。世界にはさまざまな国があり、言葉や習慣の違う人々が住んでいることまでは理解できた。でも「政治体制」が違うという意味は、まだ理解できなかったなあ。

 どこの国、どこの地域の人々も、だいたい、同じように「自由」を享受し、同じような「権利」を行使して生活しているのだと漠然と信じていた。旱魃や天災で穀物が取れないとか、工業化が進んでいる/いないというような差異はあるにしても、現政府の批判を口にしたら逮捕されて、拷問で生命を落としかねないとか、普通の人々が相互スパイや密告におびえながら暮らすという不幸が同時代に存在することは、全く想像もできなかった。

 まあ、私が特別に鈍い中学生だったわけではないと思いたい。いま、大人になって本書を読んでも、やっぱり、韓国の近現代史って、分かりにくいなあと思う。もちろん朴政権の独裁と悪逆非道ぶりは憎むべきなのだが、にもかかわらず、誰がどうして悪者なのか、どうもスッパリ割り切れない感がある。本来、敵対してはならない同一民族が分断されているせいか、または、日本政府(および企業)が、隠微な絡み方をしているせいかなあ。まだまだ、韓国現代史をきちんと語るには、私には勉強が必要だ。
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アート オブ スター・ウォーズ/東京国際フォーラム

2005-08-14 23:24:36 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国際フォーラム『アート オブ スター・ウォーズ エピソード3展』

http://www.starwarsjapan.com/museum/topics/topics0505/tokyo_exhibition.html

 2003~2004年に、京都国立博物館や上野の科学博物館で『スター・ウォーズ展』が開かれたときは、へえ~変わったことをやるなあ、と思ったが、結局、見には行かなかった。今回は、シリーズ完結という思い入れもあり、昨日、スクリーンで見てきた『エピソード3』が、衣装、映像、SFX、やっぱりこれはすごいかもしれない、と思ったので、見に行ってしまった。

 展覧会を見ると、SF映画って、実にさまざまな職人が結集した総合芸術なんだなあ、ということが実感できる。しかし、展示の規模は期待したほどではなくて、いまいち。展示品それ自体よりも、会場に掲げられたスタッフの証言ビデオとか、カタログの抜粋ページを読んで歩くほうが面白かった。

 展示品は、メカニック系のモックアップが多い。こういうカッコよさは分からないではないけどね~。私はどちらかといえばクリーチャー好きなので、それも物足りなさを感じた一因かもしれない。

 ユアン・マクレガーとアレック・ギネスは、目鼻のつくる三角形の角度がそっくり、という証言ビデオには、膝を打った。彼(マクレガー)の存在がなかったら、エピソード3から4へと物語が円環する神話性に、これほどの説得力はなかっただろう。天の配剤である。
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STAR WARS回顧/エピソード3

2005-08-13 23:22:49 | 見たもの(Webサイト・TV)
○映画『STAR WARS エピソード3 シスの復讐』

http://www.foxjapan.com/movies/episode3/

 面白かった。しかし、何が面白かったかと言われると困るのだ。話のスジは見る前からほとんど分かっているのだから。

 それにしても感慨深い。スター・ウォーズの第1作目の封切りは1977年だという。私は中学生だった。映画館で映画を見るということを覚え立ての頃だったと思う。なんか学校がおもしろくない日々が続いていて(でも学校をサボれるほどワルではなかったので)、週末にひとりで映画館に出かけ、スター・ウォーズを見た。実に分かりやす~い筋立てで、絵に描いたようなハッピーエンドで、しばし現実生活から逃避するには最適だったと思う。

 何たって、ハリソン・フォードのハン・ソロがカッコよかった! でも私はアレック・ギネスのオビ・ワン・ケノービが忘れられない。新3部作でオビ・ワンを演じているユアン・マクレガーもいいですけどね。マクレガーは、エピソード4のフィルムを何度も何度も見直して、アレック・ギネスの演技を研究したらしい。本作では、かなりその成果が出ていたように思う。確かに雰囲気が似てる!

 あと、私はエピソード4でオビ・ワンの乗っていたビークルが、大好きだった。封切り直後、江口寿史が「すすめ!パイレーツ」で、このビークルと、アレック・ギネスのオビ・ワンをパロディにしてた、なんてのも40代以上にしか通じない思い出だろうなあ、たぶん。

 第1作のヨーダは、耳が大きいので「年取った江川卓」とか言われていた。まさか最終作で、画面を縦横無尽に飛びまわり、こんな重要な役どころを占めるとは思っていなかった。どのキャラクターも30年近いつきあいだねえ。

 スター・ウォーズの旧3部作の見どころは、宇宙空間でのドッグファイト(空中戦)だったと思う。誰も経験したことのない、未来の空中戦を、いかにリアルに、カッコよく作り出すかが、SFXの腕の見せどころだった。

 ところが、面白いことに、新3部作になると、ライト・セイバーによる剣戟アクションの比重が増大する。旧3部作では、ハン・ソロのように、銃を武器とする正義のキャラクターも混じっていたのに、新3部作では、銃は敵側の(しかも雑兵の)武器でしかない。ジェダイの武器は、ライト・セイバーとフォースで、敵側の主要キャラも同様の武器で応戦する。本作の戦闘シーンでは、ワイヤーアクションも多用されていて、まるで中国映画の武侠片を見ているみたいだった。

 一般にSFといえば、裸同然のコスチュームで色気を振りまく美女がつきものなのに(偏見?)、このシリーズは、最後まで禁欲的だった。女性だけでなく、男性の服装も、多くは修道士か中世の王族みたいに長いマントに身を包み、肌や体の線の露出を避けているのが、いまどき、新鮮に感じた。

 女性の描き方も興味深い。旧3部作のレイア姫は、戦闘の最前線に乗り出してくるような行動するお姫様だったが、新3部作には、アナキンの母親、恋人パドメなど、きわめて古典的な女性キャラしか出てこない(画面の隅に、飾りもの的な女性ジェダイはいたけど)。本作には、実はひそかに、ストイックな男性至上主義が流れているのではないかと思う。

 こうるさいジェンダーフリー論者に見つかると大変なんじゃないかな。まあ、私は、作品が面白かったので許すが。
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今夜のデザート

2005-08-12 21:29:17 | なごみ写真帖
セブンイレブンの「旨みあずき」アイスクリーム。



今週はず~っと肉体労働だったので、ごぼうび。
世間はお盆モードの週末だけど、
私は明日も出勤して、仕事のハカを稼いでおく予定である。

私の夏休みまでは、あと1週間!
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あの世とこの世/神秘家列伝(水木しげる)

2005-08-11 23:12:06 | 読んだもの(書籍)
○水木しげる『神秘家列伝』(其ノ1)(其ノ4)(角川ソフィア文庫)角川文庫 2004.7/2005.7

 この本の存在には、前から気づいていたが、ふーん、妖怪マンガじゃなくて人物評伝かあ、と思って素通りしていた。表紙の似顔絵も、誰だかよく分からない西洋人(1巻)だったし。それが、最新刊の4巻の表紙を見たら、「あ、泉鏡花だ!」とすぐ分かったので、手に取って中を覗いてみた。ついでに隣にあった1巻も開いてみたら、明恵さんが載っていたので、買うことにした(2巻と3巻は無かったので、また後日)。

 このシリーズ、生まれつき、見えないものが見える、もしくはそういうものを見ようとして、いろいろと工夫した人々、いわゆる「神秘家」の評伝集である。1巻に取り上げられているのは、スウェーデンボルグ(18世紀の神秘家)、ミラレパ(チベットの聖者)、マカンダル(ブードゥー教の呪術師)、そして明恵上人。著者の幅広い関心を示している。ミラレパ、マカンダルなんて、全く初耳だったけど、事実とも作り話とも分け目を付けがたいくらい、面白かった。

 4巻は日本人揃いだが、泉鏡花、柳田国男、天狗小僧寅吉(平田篤胤を翻弄した少年)くらいまではともかく、仙台四郎(仙台限定の招福キャラ、幕末・明治に実在)、駿府の安鶴(幕末の侠客)という具合。「あとがき」を任された小松和彦教授でなくても、「いったい水木さんの『神秘家』の基準はどこにあるのか」、困惑を感じてしまうことだろう。

 まあ、しかし、そんなのは「この世」しか見えない凡人の困惑であって、「あの世」に半身をつっこんだ”屍解仙”状態(荒俣宏氏)の水木センセイには、誰が「神秘家」で、誰がそうでないか、ちゃんと見えているのかもしれない。
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