見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

林檎花図(趙昌筆)/畠山記念館

2006-04-15 22:29:51 | 行ったもの(美術館・見仏)
○畠山記念館 春季展Ⅰ『かがやく漆-蒔絵の美』

http://www.ebara.co.jp/socialactivity/hatakeyama/index.html

 南宋絵画の名品『林檎花図』(国宝)が出ているという。先日、東京美術倶楽部の『美術商の百年』で見たばかりだが、また見たくなって出かけた。畠山記念館は初めてである。白金台の駅から、住宅街を抜けていくと、大名屋敷のような白壁のエントランスが現れる。本館までの長いアプローチの間に、大きな枝垂れ桜が見えた。盛りを過ぎてしまったのが惜しい。

 玄関にスリッパが用意してあるのにびっくりした。靴を脱いで上がる。展示室に入ると、軸物の展示ケースの前が畳敷きになっていて、またびっくりした。少し緊張して正座し、『林檎花図』の前ににじり寄る。なるほど、百年前の日本人は、こうして絵画を観賞したのだなあ。絹本は、年月が経つと画面が暗くなるものだが、この『林檎花図』は、厚みのある白が健在である。ボリュームのある中国美人を思わせて、お白粉の匂いが香り立つようだ。隣に酒井抱一の『桜に瑠璃鳥』を並べたところは、つかず離れず、付け句の演出のようで、なかなかいい。

 ほかには、いくつかの茶道具が印象に残った。『古銅龍耳花入(銘・九州)』は、黒光りする銅製の花入れ。明代の作というが、もっとモダンな印象である。青銅器の饕餮文(とうてつもん)に似た文様が基部に使われている。古代的な魔力を洗練の極に押し込めたような、魅力的な造形だ。ふぅ~ん、徳川家伝来の茶道具を「柳営御物(りゅうえいごもつ」というのか! 物騒な名前だと思ったら。

 『呉須吉祥文共蓋水指』(明代)もいい。丸胴の水指で、乳白色の地に、浴衣のように軽快で恬淡とした文様が、藍色に近い青で染め付けてある。それから、井戸茶碗『銘・信長』(李朝)も。ほんとに何の変哲もない、ただの茶碗なのだが、裾のすぼまり方の微かな不均衡に味がある。こういうのは、国境を超えて、制作者の功と目利きの功が相俟って、今日に伝わったものだと思うから、我々の祖先の鑑識眼が誇らしくて嬉しい(略奪された文化財と違って、制作国も返せとは言わないだろう)。

 さて肝腎の蒔絵は、後期(5/2~)のほうが名品が多そうである。光琳の『紅葵花蒔絵硯箱』見たいな~。また来てみるか。
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大名の学問と著作/国立公文書館

2006-04-14 00:04:51 | 行ったもの(美術館・見仏)
○国立公文書館 特別展『大名-著書と文化-』

http://www.archives.go.jp/event/haru_aki/06haru.html

 江戸時代の大名の言行録や編著書により、殿様たちの多彩な知識と旺盛な好奇心が学問芸術の振興を促した跡をたどる企画だという。昨年の特別展『将軍のアーカイブズ』に、テーマが似過ぎているきらいもあるが、まあ良しとしよう。

 江戸ものは、もともと得意でないのだが、最近、時代劇や時代小説の影響で、少し親しみが出てきた。最初のセクションは、大名の行状録や逸話集を紹介したものだが、保科正之の名前を見て、おお、NHKの『柳生十兵衛七番勝負』(第1シリーズの最終回)で、陰謀派に担がれかけた人だ!と思った。松平伊豆守信綱(西郷輝彦)は、新シリーズ『島原の乱』にも出ている。ふぅ~ん、”智恵伊豆”と呼ばれた人物なのね。「天下の置(処置)ハ、重箱ヲスリコギニテ洗フヤウナルガヨシ」って、なかなかの名言。

 展示資料は、将軍の紅葉山文庫に献上されていたような公文書だから、名君の名君たるゆえんを記した謹厳なものが多いが、参考展示の『土芥寇讐記』(編者不明、東京大学史料編纂所蔵)は、いわば大名評判記で、大名の長所・欠点を包み隠さず挙げている。放恣な漁色を非難されている例が多い。

 昭和になって出た本だが、『浅野長勲(あさのながこと)自叙伝』(平野書房, 1937)は面白そうだと思った。著者は安芸広島藩の最後の藩主で、大名の生活が、いかに不自由なものだったかを語っている。風呂が熱くても、手近の者に「水でうめてくれ」と言えないとか、食事を残すと大騒ぎになるので、いつも平均して食べるように心がけた、って、可哀相だなあ~。

 後半は、大名の著作が主。江戸も中期以降になると、よほどヒマなのか、玄人はだしの趣味と学術に生きた殿様が多くなる。一般に殿様の学問は、科学史で注目されることが多いが、彼らが打ち込んだ対象は、もっと多様である。島津重豪は、オランダ語と中国語に堪能で、『南山俗語考』という中国語の口語辞書を編纂した。朽木昌綱の『泰西(輿地)図説』には、驚くほど詳細なパリやロンドンの市街地図が載っている。松平不昧の『古今名物類聚』は、茶道具の名品を彩色絵入りで解説したもの。

 水野忠央の『千とせのためし』にも、ちょっと感激した。古筆・古画・古器物の色刷り図譜なのだが、「古筆を木版で表現する」という大胆さがすごい。現代の写真図版だって、なかなか現物には及ばないものを。しかし、墨の濃淡や筆のかすれ具合の再現は、かなり、いい線いっていると思った。

 でも、日本では、社会が安定すると、統治階級は政治に興味がなくなって、学術や芸術に走るのは、どうしてなのかなあ。
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ヤングアダルト諸君/日本という国(小熊英二)

2006-04-13 08:51:47 | 読んだもの(書籍)
○小熊英二『日本という国』(よりみちパン!セ) 理論社 2006.4

 「中学生以上」を対象とする、いわゆるヤングアダルト本のシリーズである。同じシリーズで、みうらじゅんの『正しい保健体育』(2005.1)が出たときは、ちょっと気になったが、結局、買わなかった。その後、養老孟司や重松清など、当代の”人気作家”が起用されているのは知っていたが、本書を見たときは、うわ!小熊センセイ登場か!と膝を打った。

 このテーマ(日本の近現代史)を取り上げてくれたのは、当然のことと言いながら、嬉しい。私が中学高校で受けた歴史の授業では、本書のような内容は、ほとんど、まともに時間を割いてもらった記憶がない。最近は、歴史教育の重点の置き方も、少し変わってきているかも知れないが、逆に(かつての私のように)日本史を全く選択しない、という学生は、増えているのではないかと思う。  

 主に中高校生が対象ということで、ルビ付き、平易な語り口、構成もよく考えられている。 昨年、私は山室信一氏の『日露戦争の世紀』(岩波新書 2005.7)を読んで、高校生にも手に取ってもらえる本を意図した、という著者の努力に感動した。しかし、同書に対して、紀伊國屋書店『書評空間』の早瀬晋三さんのコラムは「多くの学生には、なお難解である」という厳しいコメントを寄せていた。さて、早瀬さんなら、本書はどう評価するだろう?

 冒頭は、「なんで学校に行かなくちゃいけないの?」という、学生にとっては最も日常的な疑問に始まる。その答えとして、明治の日本が取り入れた義務教育という制度は、国を強くすること(国のためにつくす国民を作ること)、端的には、強い軍隊を作ることを目的としたものであるという説明がなされ、「侵略される国」から「侵略する国」を目指した近代日本初期の歩みが概観される。

 第2部では、戦後日本が、どうやって戦争の痛手を克服し、国際社会に戻ることができたかが、赤裸々に語られる。西側世界の「大親分」アメリカの後ろ盾を頼みに、アジア諸国の親米独裁政権と「手打ち」を行っただけで、本当の被害者である民衆のもとには、「謝罪」も「賠償」も届いていないという指摘。最後は、サンフランシスコ講和条約を前にした丸山真男の激烈な感想「日本は、アジアの裏切者としてデビューするのであるか」という一文でしめる。

 小熊さんの本は、論理が明快で、文章が小気味よくて、しかもツボで感動させられる。ヤングアダルト本として、難点はカッコ良すぎることかも知れない(読者の多くは、少し内攻的で思春期コンプレックスの強い青少年だと思うので、こんなカッコいい著者に同調できるかどうか)。にもかかわらず、著者は最後に自著『<民主>と<愛国>』を挙げて、「日本の戦後について、もっとくわしく知りたい人は」「読んでみるといい」と勧めている。あの厚くて高い本を! でも、図書館を利用してでも、あの本を読んでみようという中高生が増えたら嬉しい。著者の言うとおり、「読みにくい本ではない」と思う。

 そして、あの厚い本の評判を聞きながら、恐れをなしている大人は、まず本書から。言葉は平易だが、内容は濃い。世代を超えて討論するためのテキストに使ってみても面白いと思う。
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苦労する長男/論争・東大崩壊(竹内洋ほか)

2006-04-12 08:22:47 | 読んだもの(書籍)
○竹内洋+中公新書ラクレ編集部編『論争・東大崩壊』(中公新書ラクレ) 中央公論新社 2001.10

 だいたい、1990年代の後半から2001年にかけて、各種の雑誌・書籍に発表された東大関係記事のアンソロジーである。『Voice』『諸君!』から『論座』『中央公論』まで、という表現が正しいかどうか、よく分からないが、右から左まで、あるいは『広告批評』から『週刊ダイヤモンド』までを含む。編者の竹内洋さんらしい、いきとどいた目配りだと思った。内容的にも、パロディあり、社会調査あり、Z会講師が東大入試に望む提言あり、産学協同プロジェクトの紹介あり、さまざまである。

 私としては、やはり、竹内洋氏の大学論が興味深かった。学歴貴族の誕生から、学歴インフレーション(1970年代)までを論じてきた竹内氏が、その後の東京大学をどう見ているのかは、本書によって、初めて知ることができた。学歴貴族の末裔たちは、学歴大衆のとげのあるまなざしを避けるべく、できるだけ突出した表出を抑え、普通人ぽく振舞うことによって、世の中に適応しようとしている。「ふつう」強迫観念に支配されているようにさえ見える。

 こうして、学歴貴族の末裔たちが、教養や大学知から逃走を続ける限り、どれだけ広い裾野から才能を拾い上げたとしても、日本社会は、責任あるエリートを持つことができない。これは、大衆教育社会以前には、予想もできなかったかたちの「教育損失」である。

 私は東大卒ではないけれど、かなり、これに類する行動をとってきた。「ふつう」であるべしという、有形無形の圧力は、常に強く感じた。あれは1980~90年代という時代の趨勢がそうだったのか、20~30代という私の年齢に起因しているのか、よく分からないが。あの薄気味悪い圧力を、「教育損失」というかたちで客観視できるのは、少し目の前が晴れるようだ。

 もう1つ、面白かったのは、テキスト『知の技法』を作った船曳健夫氏と、橋本治氏の、放談めいた対談(バランスよく飯島耕一氏の対論も収録されている)。東大で面白い人はみんな不良であること。普通、不良は目立ってしまうのだが、東大の不良は、濃厚な無名性をたたえている人たちのほうが、かえって優れている、ということ。この2点、特に後者は、東大の内部を知る者でなければできない貴重な発言であると思う。何人かの先生の顔が浮かんでしまった。

 あと、京大育ちの竹内洋さんらしい、あとがき。「(長男)東大の栄光と苦渋がバッシングされることにあるときに、(次男)京大の栄光と苦渋はバッシングされない(常に判官びいきされる)ことにある」というのは、含蓄あるな~と思った。
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いくつもの近代/中国の衝撃(溝口雄三)

2006-04-11 00:16:08 | 読んだもの(書籍)
○溝口雄三『中国の衝撃』 東京大学出版会 2004.5

 本書の存在を知ったのは、丸川哲史氏の『日中一〇〇年史』(光文社 2006.1)による。日増しに大国化する中国は、やがて「日本がどのような歴史認識を持っていようが全く気にしなくなる」日が来るだろうという予測が紹介されていて、ずいぶん思い切ったことを(真実にしても)言うものだ、と思って、記憶に留めた。

 実際に読んでみると、ジャーナリスティックな要素は少ない。非常に篤実な学問的労作という印象の残る本である。著者の問題意識は、歴史学の視座にある。中国の近代を語る者は、多くの場合、アヘン戦争という「西洋の衝撃」から語り始める。列強の侵略によって、眠れる獅子(清朝)が痛撃を受け、民衆の蜂起による革命、保守派の抵抗、戦乱を経て、新中国が誕生する、という筋書きである。

 基本的には日本人も、西洋の衝撃を東アジア近代化の開幕とする観点を共有している。 そして、西洋の衝撃をうまくやり過ごし、いちはやく近代化を成し遂げたアジアの優等生が日本で、遅れをとったのが中国である、という図式は、今も日本人の優越感をくすぐり続けている。

 しかし、この「アヘン戦争近代視座」は、20世紀の各国の歩みの中で必要とされた(20世紀に時限的な)視座に過ぎない、と著者は言う。中国の歴史は、ヨーロッパ史と違って、たかだか百年の目盛で測れるものではない。「できれば千年単位、最低でも三百年単位」で俯瞰するのがよい、と言う。一見、無茶な注文で、笑ってしまった。でも、本当のことだと思う。

 東アジアの各国は、だいたい17世紀初頭から、それぞれの近代化の途を模索し始めた。中国では、地方分権化の胎動が始まり、最終的に、中央集権的な王朝体制が崩壊して、地方分権体制の上に共和国政府が成立した。一方、日本では、分権的な封建体制において、中央集権志向が高まり、天皇制中央集権政府に移行した。つまり、中国の近代化と日本の近代化は、もともと異なる構図を持つもので、一元的な先後関係をあてはめることはできないのである。

 そして、中国史の視座に戻るとすれば、20世紀の「中国革命」とは、毛沢東ら一部の指導者が、外来の社会主義理論を中国に適用させたものではなく、中国の社会システムや統治理念の中に、社会主義を受け入れる土壌(たとえば、結社や同族結合による相互扶助の重視)が、あらかじめ存在したと見るべきではないか。

 以上、著者の提唱する「新しい中国史の視座」というものが、私にはよく分かる。理論的にも、実感としても、深く納得できるものである。しかし、同時に感じるのは、日本における「アヘン戦争近代視座」(あるいは、黒船近代視座)の根強さである。「アジアの優等生だった我々」という優越感を棄てて、みんな、それぞれ努力していたのだ、ということで納得するには、まだまだ途方もない時間がかかりそうな気がする。
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極楽寺・釈迦如来と忍性塔

2006-04-09 23:09:59 | 行ったもの(美術館・見仏)
○極楽寺(神奈川県鎌倉市)釈迦如来特別御開扉と忍性塔公開

 極楽寺の本尊・清涼寺式釈迦如来は、毎年4月8日~10日に限って開扉となる。また、境内の北側にある、開山・忍性(にんしょう)上人の墓は、4月8日にだけ一般公開される。

 私が2001年の春から2年間、逗子に住み始めたとき、ちょうど4月8日が週末に当たっていた。忙しい引越しの合間に、まだ地理に不慣れな鎌倉で、桜の花散る極楽寺を訪ねて、秘仏のご本尊に見(まみ)えた。2年後、仕事の関係で東京に戻ることになったときも、やはり、ご本尊に挨拶をして、戻ることにした。だから、年に1度しかお会いできなくても、なんとなく個人的な思い入れの深い仏様である。

 いわゆる「清涼寺式」の釈迦如来像であるが、京都・清涼寺の本尊が、ぷっくりした下ぶくれであるのに対して、極楽寺のお像は、細面で、鼻筋が通り、若々しい好男子の顔をしている。私は、同じお堂の中にある、説法印を結んだ坐像の釈迦如来も好きだ。いかにも東国仏らしい、意志の強さと人間臭さにあふれている。開きかけた口もとから、今にも言葉が漏れてきそうだ。

 忍性塔の拝観は、2001年の春以来である。裏木戸をくぐり出て、谷戸(やと)の住宅地を歩いていくと、そうそう、この道だった、と記憶がよみがえってくる。忍性塔は、大きな石造りの五輪塔だ。最下段に、わずかに蓮弁模様が施されているが、あとは何の装飾もない、碑文もない、実に素っ気ない石塔である。ただその大きさ(高さ3メートル)には圧倒される。すぐ隣には、北条重時の墓(宝篋印塔)があった。どこからか、風に乗った桜の花びらが飛んでくる。周囲は深い杉木立で、桜の木など見えないのに、まるで天が降らす散華のようだった。

 ちなみに、極楽寺の旧寺域には、もう1つ巨大な五輪塔があって、三代長老・順忍の墓と判明している。残念ながら、こちらは檀家さんの私有地に属するため、現在は公開されていない。宝物館の説明をしてくれたお爺さん(和尚さん?)の話では「わしも今朝早く行って、お経だけあげてきましたけどな」とのこと。

 極楽寺は、境内も忍性塔も撮影禁止のため、写真は案内札だけ。



■中世の石塔画像データ(むかしは撮影できたのだろうか? 写真はこちらで)
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/ninnsyou/sekitou-data/sekitou.htm
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天台の声明/東京国立博物館

2006-04-08 22:51:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館『天台声明公演』~特別展『最澄と天台の国宝』関連事業

http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=B01&processId=01&event_id=2775

 金曜日、声明公演を聴きに行った。このところ、日中はそこそこ暖かい陽気が続いていたので、すっかり油断していたら、日が落ちると同時に、冷たい夜風が吹き始め、野外で聴くのはかなり辛かった。途中で帰ろうかとも思ったが、人だかりの中に入ってしまうと、なんとかしのげた。

 上記のサイトに上がっている写真は、昨年秋、京都国立博物館で行われた同じイベントの様子らしい。京博では、本館の前に特設ステージが作られているが、東博では、本館正面の車寄せ(玄関の前に張り出した、屋根付きのスペース)が、そのままステージになった。車寄せの頭上には、左右に流れ下る滝のような、見事な瓦屋根が載っている。ちょっと権威主義的な装飾だが、この日は典礼の晴れがましさによく似合っていた。声明が始まると、夕暮れの空から飛天が下りてこないかと思って、ときどき、屋根を見上げていた。

 仏教の声明は、機会があれば聴きに行く。いちばん好きなのは東大寺の修二会の声明で、「南無観(ナムカン)」「観自在(カンジザイ)」という、跳ねるような撥音(ンの音)が、早いリズムで繰り返される下りが好きだ。昨年は、国立劇場で行われた万福寺の声明公演を聴きに行った。中国・明代の発音に近いという黄檗宗の声明は、やはり撥音の多い、明るいものだった。

 それに対して、天台の声明は、「アァァァ~イィィィ~」という具合に、長く尾を引く母音が耳に残る。素人の印象では、相撲甚句や民謡に似ている。日本語音と日本人の感性に適応し、土着化した声明であると思った。笙や篳篥など、雅楽の楽隊を引き連れた声明というのも初めてだった。

 言語学では母音を陽性と陰性に分ける考え方がある。と思ったが、いま、ネットで探してみると、朝鮮語やモンゴル語についてはあっても、日本語についてはめぼしい記述がない。子供の名付け方や名前占いのレベルだったかしら。しかし、実際、伸ばす「ア」は明るく感じられるのに対して、「イ」は暗い。メロディも声量も変わらないのに、発音が「ア」から「イ」に切り替わると、光が翳り、寒さが増すように感じた。

 そこで思ったのだが、「君が代」が嫌われるのは、「イ」音の多さと関係がないだろうか。国歌を定めるなら、内容はともかく、「ア」音や「オ」音の目立つ歌詞にすればいいのに、と思う。
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ボタンザクラ・昼と夜

2006-04-07 21:56:00 | なごみ写真帖
遅咲きの牡丹桜(八重桜)が、ようやく八分咲きになった。

ぽってりした濃いピンクの花びらと若葉の新緑が、桜餅の色合いそのままで、なんとなく美味しそう!
夜になると、街灯の光が透けて、天使の羽根ぶとんのような、幻想的な風景になる。



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バーミヤン大仏/横浜ユーラシア文化館

2006-04-06 23:41:57 | 行ったもの(美術館・見仏)
○横浜ユーラシア文化館 企画展『バーミヤン大仏-カメラがとらえた爆破直前の姿-』

http://www.eurasia.city.yokohama.jp/home.html

 2001年3月、イスラム原理主義勢力によるバーミヤン大仏破壊のニュースは衝撃的だった。貴重な古代遺産が失われたこと――と言うより、自分が観光客として、大仏を見に行く機会が永遠に失われたことを、私は残念がったのだ。

 それからしばらくして、『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない、恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(現代企画室 2001.11)を読み、私は自分の無知と傲慢を恥じた。アフガニスタンでは、この四半世紀、戦乱と飢餓によって、多くの人々が苦しみ続けてきた。しかし、大仏の破壊は世界中の同情を集めても、百万のアフガン人の死に対しては、誰も注意を向けようとしない――いったい、大切なものは文化遺産なのか、人の生命なのか。そのように告発されて、私は、自分の中の「オリエンタリズム」と、初めて向き合うことになった。

 だから、この企画展のポスターを見たときも、文化遺産としてのバーミヤン大仏に心ひかれながら、一方で、そういう自分を自戒する気持ちが強く働いた。結局、迷いながら、見に行った。

 ひとりでパネルの写真を見ていると、スタッフの札を下げた、背の高い白髪のおじさんが近づいてきて、「ちょっとだけ説明しましょう」と言う。面倒臭いなあ、と思いながら、うなずいて耳だけ傾けていると、どうやら、この方は、実際にバーミヤンの写真を撮り続けてきた菅沼隆二さんという方らしい。

 タリバン勢力の中にも、信仰とは別に、バーミヤン大仏の重要性を理解している文化官僚がいて、かつては、大仏を守ろうというキャンペーンも行われていたこと。首都カブールの博物館は空襲でめちゃめちゃに破壊されたが、少しずつ復旧が進んでいることなど、アフガニスタンの過去・現在について、いろいろ教えていただいた。

 展示品の中に、2001年3月から始まるイスラム暦のカレンダーがあった。パキスタンで出回っていたもので、大仏に向けて飛んでいくミサイル弾と、破壊の瞬間の写真が掲載されてる。大仏の破壊は誇るべき壮挙であるという、イスラムの立場で作られたカレンダーだ。このカレンダー、9.11事件の前後からは、プッツリと姿を消したという(言論統制なのか、自粛なのか)。

 その後、移り気な我々の関心は、イラクや北朝鮮に移り、アフガニスタンという国は、再び忘れられようとしている。輝く大仏のよみがえる日は来るのだろうか。
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戦時プロパガンダポスター・コレクション(東京大学)

2006-04-05 00:44:32 | 見たもの(Webサイト・TV)
○東京大学大学院情報学環アーカイブ『第一次世界大戦期プロパガンダポスター・コレクション』

http://archives.iii.u-tokyo.ac.jp/

 国立大学は、相変わらず、年度単位で動いている。そのため、4月は、前年度の研究費で動いていた、さまざまな事業の成果が公開される季節である。試しに各大学のサイトを巡回してみるとよい。中には、意外と楽しいアーカイブも待っている。

 東京大学大学院情報学環(じょうほうがっかん)――と言ってもなじみがないと思うが、以前は、社会情報研究所(社情研)、その前は、新聞研究所(新聞研)と呼ばれた研究所だった。メディア的には、あの姜尚中氏が所属する研究科、というのが、いちばん分かりがいいだろうか。そこが所蔵する、第一次大戦期のプロパガンダポスター計661点が、このほど、デジタル・アーカイブとして公開された。

 しばらくはFlashムービーで流れる作品を眺めてみるのもいい。あるいは「すべてを見る」をクリックしてみよう(ちょっと重いけど)。すると、色鮮やかなポスターのサムネイルが目に飛び込んでくる。気に入ったものをクリックすると拡大画像が表示され、ポスター内のキャッチフレーズに、日本語訳が添えられている。「WOMEN AWAKE! YOUR COUNTRY NEEDS YOU(女性のみなさん、目を覚ましましょう!あなたの国があなたを必要としているのです)」といった具合。

 プロパガンダというのは、要するに政治宣伝である。「軍隊は君を求めている!」という端的なリクルートタイプ、「国債を買おう」「貯蓄しよう」と市民に呼びかけるもの、「勝利は我等に」「自由は死なず」等、感覚的な戦意昂揚タイプなど。第二次世界大戦では、圧倒的な物量で日本を打ち負かしたアメリカだが、この時期は、まだそれほど豊かではなかったのだろうか。パンの絵に「SAVE A LOAF A WEEK(一週間に一斤節約しよう)」なんていう、涙ぐましいのもある。制作国はアメリカが大半だが、カナダ、イギリス、フランス、インドのものもある。

 デザインはどれも念入りで、美しい。ノーマン・ロックウェル風だったり、アルフォンス・ミュシャ風だったり、アヴァンギャルドの匂いがしたり、とにかく目が釘付けになるようなグラフィック作品が多い。

 吉見俊哉氏の「ご挨拶」によれば、この戦時ポスター・プロジェクトは、1990年代に始まった。第一次大戦の頃のポスター印刷は、技術の転換期にあったため、版式解読に高度な専門能力を要することが、次第に分かってきたが、「本データベースを第一線の研究に役立つものにしていくには、各ポスターの印刷形式や色数の詳細なデータが不可欠」であるという信念を貫き、10年近い年月をかけてデータを整理し、ようやく公開に至ったという。絵画でも文献でも、デジタル化してポンと公開してしまえばいいという、最近の風潮に異を唱えるもので、大学の研究成果公開というのは、本来、こうあるべきものだと思う。

 こっそり書いておくと、私は1990年代末に、このコレクションの本物を見たことがある。そのときは、ポスターの美麗さと大きさ(どれも非常に大きくて、縦は1メートルを超えるものがザラにある)に、無邪気に息を呑むばかりだった。

 あれから7、8年が経つうちに、「アメリカ」の位置づけや、「戦時」「愛国」への距離感は、ずいぶん変わってしまった。いま、このコレクションを眺めると、星条旗の過剰が目につくというよりは、鼻につく。以前は記憶にも残らなかった1枚に目が留まった。「THAT LIBERTY SHALL NOT PERISH FROM THE EARTH(地球上から自由が消滅しないように)」と題して、自由の女神像が猛火で焼け落ちていく図を描いたもので、2002年のニューヨークの悪夢を思い起こさずにはいられない。今や「戦時プロパガンダ」は過去のものではない――さまざまな意味で、今日、このアーカイブ公開の意義は大きいと言えよう。

■概要だけ閲覧したい方はこちらへ(FileMakerソリューションズのページ)
http://www.filemaker.co.jp/solutions/posters.html
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