見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

草原に眠る英雄/チンギス・カン(白石典之)

2006-04-04 08:21:09 | 読んだもの(書籍)
○白石典之『チンギス・カン:”蒼き狼”の実像』(中公新書) 中央公論新社 2006.1

 中国史には、得意な時代とそうでない時代がある――モンゴルを中国史に含めては、怒られるかもしれないが、まあ、見逃してもらおう。むかしは、何と言っても唐代だった。最近は清朝。漢は武帝の時代だけが抜群に好き。五胡十六国から南北朝の時代も、おもしろいと思う。

 そんな中で、モンゴル帝国の時代には、あまり興味を持ったことがなかった。それが、俄然、変わってきたのは、金庸の武侠小説を読んだり、テレビで見たりするようになってからだ。『射雕英雄伝』では、主人公の郭靖(両親は南宋人=漢族)は、チンギス・ハンのもとで育てられる。敵役は金の趙王完顔洪烈である。『天龍八部』は、『射雕』より少し前の時代になるのだろう、契丹、金、西夏、吐蕃、雲南大理国など、さまざまな民族が複雑に入り乱れる。

 以来、チンギス・ハンのイメージが少し変わった。以前は、突如として中華帝国を襲って覇を打ち立てた超人的な英雄だと思っていたが、むしろ、小国が乱立する中で、トーナメントみたいに勝ち上がっていく勇者のイメージが強くなった。

 著者の専攻は、モンゴル考古学であるという。わずか800年前のモンゴル帝国が”考古学”の対象というのは、奇妙な感じがするが、それは文字資料の豊富な中国史に慣れ過ぎているせいかもしれない。チンギス・ハンの時代を知るには、『集史』『元朝秘史』のような文献資料もあるにはあるが、それらの記述と、土の色や山のかたち、遺跡や発掘品を結び付けていく作業が必要なのである。

 モンゴル考古学者が追い求める最大の「謎」は、チンギス・ハンの墓の所在である。著者は、2004年にチンギス・ハンの霊廟を発見したが、これが「墓所を発掘」と誤って伝えられ、強い非難を浴びることになった。そういえば、最近も、チンギス・ハンの墓に関するニュースがあったな、と思ったら、この夏、アメリカとモンゴルの合同調査隊が発掘を予定しているらしい。即位800年の記念イベントみたいなものか。

■チンギス・ハーンの霊廟 日・モンゴル合同調査団が発見(アサヒ・コム)
http://www.asahi.com/edu/nie/kiji/kiji/TKY200410150141.html

■チンギス・カン:刊行の考古学者、白石典之さん(msnニュース)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/archive/news/2006/03/07/20060307dde014040002000c.html

■チンギスハン「墓」は本物か 今夏発掘 (産経新聞)- gooニュース
http://news.goo.ne.jp/news/sankei/kokusai/20060307/e20060307007.html
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今年のサクラ

2006-04-03 21:41:23 | なごみ写真帖
やっと新年度。昨日の雨で、桜は散ってしまったかと思ったら、そうでもなかった。
今週末ならお花見に行けるんだけど、花は残っているかしら。

写真は1週間前。まだ少し寒かったのに、待ちきれずに咲き始めた、皇居外苑のサクラ。


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殺陣の快楽/柳生十兵衛七番勝負

2006-04-02 01:09:01 | 見たもの(Webサイト・TV)
○NHK金曜時代劇『柳生十兵衛七番勝負』(再放送)

 再放送を発見してから1ヶ月。ビデオ録画のおかげで、なんとか全放送分を見ることができた。どの回も面白かった。ふだんTVドラマを見ないもので、日本の俳優さんって、こんなに味があって面白かったのか!とかなり見直した。いや、やっぱり脚本と演出の手腕なのかもしれない。

 放送を見たあとで、2ちゃんねるの実況スレを覗く愉しみも覚えてしまった。最終回の殺陣はスゴイらしいという情報を得ていたのだが、なるほど圧巻だった。杉林の中に小さなお堂があって、十兵衛と戸田勘解由の対戦は、お堂の前の空き地で始まり、杉林の中に飛び込み、再び空き地に戻る。ものすごい長尺。動きも表情もリアルで、しかもカメラワークは様式美を保っている。

 こわもての敵役・戸田勘解由が、最終回でちらりと見せる人間的な表情は心に残る(2ちゃんでは「かげゆん」が愛称)。対照的にダメな敵役の典型みたいな鳥居左京亮、ほんとはいちばん悪辣なんじゃないかと思わせる柳生但馬守宗矩など、おじさん俳優が多彩で魅力的だった。これって、中国の古装劇(時代劇)で言うところの「男人劇」だなあ。

 来週、否、今週からは「木曜時代劇」に放送枠を移して続編が始まるはずだが、NHKはまだ番組サイトを更新していない。仕事が遅いぞ!!

 このドラマにハマった影響はいくつかある。ひとつはステラMOOK『NHK時代劇の世界』(NHKサービスセンター 2006.3)を買ってしまった。これと一緒に『江戸の暮らしがよく分かる/江戸時代小説はやわかり』(人文社 2006.1)というムックも買ってみた。江戸のことはよく知らないという自覚があるもので。時々、ぱらぱらめくって楽しんでいる。柳生一族といえば、私は『春の坂道』という大河ドラマを思い出す世代なので(古いな)、この原作も読んでみようかと思っている(実際は放送を前提に、山岡荘八が書き下ろした作品らしい)。

 それから、柳生の里に行ってみたくて仕方ない。これまでも、柳生街道の南半分(奈良公園から円成寺までの滝坂の道コース)は歩いたことがあるのだが、柳生の里は未踏地である。次回、奈良に行ったらぜひ。
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手塚治虫の宿題/Pluto003(浦沢直樹)

2006-04-01 23:49:01 | 読んだもの(書籍)
○浦沢直樹、手塚治虫『Pluto(プルートゥ)』第3巻 小学館 2006.5

 『Pluto』の第3巻がようやく出た。第1巻の登場はとにかく衝撃的だった。第2巻は少し展開が遅くてガッカリした。第3巻で、物語の結構がだいぶ明らかになってきたように思う。第1巻では、古典としての手塚Plutoをどのようになぞるのかに、浦沢の腕の冴えを感じたが、この第3巻では、浦沢Pluto独自の構想が、少しずつ明らかになってきている。

 しかし、その主題は、どうやら手塚の主題を真っ当に引き継いでいるようだ。ひねりも衒いもなく。その覚悟やよし、である。人間に極似し、人間以上の能力を持つ、進化したロボット。感情を持っているようにも見え、持っていないようにも見える、理解不能な隣人。ロボットの意思とは無関係に、ロボットによって職を奪われ、時にはロボットによって裁かれる人間。底辺に排除された人間は、ロボットに差別と憎しみの感情をつのらせる。それに対して、ロボットは人間を憎んではいけないのか?

 手塚の《人間とロボットの対立/共存》という主題に、人種差別の体験が色濃く影響を与えているというのは有名な話だ。ある人間の集団(人種、国籍、民族)による、別の集団に対する差別と排撃。この問題は、主たる対象を微妙に変えながら、今日に至っても何も解決していない。手塚の原点は、アメリカ人の日本人に対する差別だったけれど、いまの日本人は、自分が「差別する側」であることを公言して、何も恥じなくなっている。奈落の闇はいよいよ深い。
 
 思い返してみると、こうした問題を子供心に刻んでくれたのは、何よりも手塚マンガだった。小学校で習った「道徳」の教材は忘れ果てても、手塚マンガに投げかけられた宿題は、今も鮮烈によみがえってくる。人間とロボットは、どうして仲良く生きていけないのだろう――そうつぶやいて、街の夜景を見下ろすアトムとウランが描かれていたのは、どの話のラストシーンだったかしら。それにしても、こんなに長い長い歳月をかけて、まだ解き明かすことのできない宿題だとは、当時は思っていなかったけれど。

 手塚マンガがそばにあってよかった。私と同じ1960年代の子供だった浦沢直樹もきっとそう思っているに違いない。戦後民主主義が「虚妄」でない証拠のひとつは、きっと手塚マンガの中にある。
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