○西福寺(左京区南禅寺草川町)
今年の夏、京都国立博物館の特別展観『没後200年記念 上田秋成』を見た。このとき、京都の西福寺に残る秋成の墓石(生前墓)の蟹形台座は、伊藤若冲が石峯寺で五百羅漢を彫った残りの石で作ったものと伝えられていることを知った。ネットで「西福寺」「秋成墓」を検索すると、なるほど、ハサミを閉じてうずくまるカニの姿らしき石の台座の写真を確認することができる。
できれば墓参とともに、蟹の姿を確認してみたいと思い、今回、西福寺を訪ねた。西福寺は、南禅寺の山門に続く参道の北側にあり、門前に「上田秋成墓」の札が立っているのですぐ分かる。開け放たれた門は、勝手な出入りができないよう、柵で塞がれていた。ネットで読んだ墓参記には「ご住職の許可が必要」と書かれていたので、覚悟を決めて、インターホンを押す。来意を告げると、思ったより簡単に「お入りなさい」の声。
木戸をくぐって門内に入ったものの、どちらに行ったらいいものか、きょろきょろしていると、本堂の格子戸がガラリと開いて、ご住職と思しき方が姿を見せ、「上がんなさい」とおっしゃる。え?私は墓参だけさせてもらえれば…と思ったのだが、「上がんなさい」とおっしゃるので、素直に靴を脱いで、本堂の中へ。ご住職は、座敷を横切り、反対側のガラス戸とカーテンを引き開けた。すると狭い内庭に、見覚えのある秋成の墓がただ一基。あ、こうなっているのか、と納得。
縁側に「志納」と書かれた箱が置かれていたので、財布から数枚の硬貨を取り出してお納めする。「線香は自由にお使いなさい」と言われたので、隣りに用意された線香をいただき、ライターで火を付ける。サンダルを借りて内庭に下り、秋成の墓にお供えした。合掌しながらも、目は墓石の台座に釘付け。いや~大きいカニだなあ、と苦笑する。石碑を載せるカメならともかく、こんな墓石(台座)見たことがない。許可を得て、写真も撮らせていただいた。
今年の夏、秋成展を見たんです、というお話をしたら、あのとき博物館に出した秋成像もあるよ、とおっしゃって、見せていただいた。ただし、これは大正時代の複製。本物は修理に出してね、戻ってきたけど保存庫に仕舞ってあるの、とのこと。突然の来訪にもかかわらず、快く墓参を許してくれた話好きのご住職、ありがとうございました。
ところで、この台座の由来は、秋成の「春雨梅花歌文巻」に記載されているということなので、先日、気になって本文を確認してきた。該当箇所を以下に記す(『上田秋成全集』第9巻から)。
けふは香花院の未開紅をとて来たれは、たゝ一日ふられて、色はさめにたりける。
春雨のふりてし色にゝほふ梅うつろひやすき花にさりける
此木のもとにいかめしけにうすゝまりをるは、我なき跡のしるしの石なり。蟹のかたちしたる、是は昔の若仲と云し、法のみちに志ふかゝりし人の、深草山の石峰寺にすみて、阿羅漢五百種、涅はんの御かたちや何や、石にて作りおかれし、其残りのいはほめきたるにてつくりおかれしを、翁か無腸と云号なれはとて、人の運はせてたまひし也。僥幸と云から事の、我は世のさひはひ人なりける、山霧にむされて黒ミつき、苔も青〻とつきたりけり。……
以下、この蟹石を絵に描き、賛を加えたものがあったが、難波に住んでいたときに人に奪われて失くしてしまった…というような話が続く(たぶん)。上述の「若仲と云し、法のみちに志ふかゝりし人」という表現は、あまり両者が親しかった様子を感じさせないと思うが、いかがだろうか。また、「人の運はせてたまひし也」だから、秋成が好んで貰ってきたのではなくて、少々世話焼きな仲介者がいたことも分かる。でも「いかめしけにうすゝまりをる」は、大きな蟹石にぴったりである。
今年の夏、京都国立博物館の特別展観『没後200年記念 上田秋成』を見た。このとき、京都の西福寺に残る秋成の墓石(生前墓)の蟹形台座は、伊藤若冲が石峯寺で五百羅漢を彫った残りの石で作ったものと伝えられていることを知った。ネットで「西福寺」「秋成墓」を検索すると、なるほど、ハサミを閉じてうずくまるカニの姿らしき石の台座の写真を確認することができる。
できれば墓参とともに、蟹の姿を確認してみたいと思い、今回、西福寺を訪ねた。西福寺は、南禅寺の山門に続く参道の北側にあり、門前に「上田秋成墓」の札が立っているのですぐ分かる。開け放たれた門は、勝手な出入りができないよう、柵で塞がれていた。ネットで読んだ墓参記には「ご住職の許可が必要」と書かれていたので、覚悟を決めて、インターホンを押す。来意を告げると、思ったより簡単に「お入りなさい」の声。
木戸をくぐって門内に入ったものの、どちらに行ったらいいものか、きょろきょろしていると、本堂の格子戸がガラリと開いて、ご住職と思しき方が姿を見せ、「上がんなさい」とおっしゃる。え?私は墓参だけさせてもらえれば…と思ったのだが、「上がんなさい」とおっしゃるので、素直に靴を脱いで、本堂の中へ。ご住職は、座敷を横切り、反対側のガラス戸とカーテンを引き開けた。すると狭い内庭に、見覚えのある秋成の墓がただ一基。あ、こうなっているのか、と納得。
縁側に「志納」と書かれた箱が置かれていたので、財布から数枚の硬貨を取り出してお納めする。「線香は自由にお使いなさい」と言われたので、隣りに用意された線香をいただき、ライターで火を付ける。サンダルを借りて内庭に下り、秋成の墓にお供えした。合掌しながらも、目は墓石の台座に釘付け。いや~大きいカニだなあ、と苦笑する。石碑を載せるカメならともかく、こんな墓石(台座)見たことがない。許可を得て、写真も撮らせていただいた。
今年の夏、秋成展を見たんです、というお話をしたら、あのとき博物館に出した秋成像もあるよ、とおっしゃって、見せていただいた。ただし、これは大正時代の複製。本物は修理に出してね、戻ってきたけど保存庫に仕舞ってあるの、とのこと。突然の来訪にもかかわらず、快く墓参を許してくれた話好きのご住職、ありがとうございました。
ところで、この台座の由来は、秋成の「春雨梅花歌文巻」に記載されているということなので、先日、気になって本文を確認してきた。該当箇所を以下に記す(『上田秋成全集』第9巻から)。
けふは香花院の未開紅をとて来たれは、たゝ一日ふられて、色はさめにたりける。
春雨のふりてし色にゝほふ梅うつろひやすき花にさりける
此木のもとにいかめしけにうすゝまりをるは、我なき跡のしるしの石なり。蟹のかたちしたる、是は昔の若仲と云し、法のみちに志ふかゝりし人の、深草山の石峰寺にすみて、阿羅漢五百種、涅はんの御かたちや何や、石にて作りおかれし、其残りのいはほめきたるにてつくりおかれしを、翁か無腸と云号なれはとて、人の運はせてたまひし也。僥幸と云から事の、我は世のさひはひ人なりける、山霧にむされて黒ミつき、苔も青〻とつきたりけり。……
以下、この蟹石を絵に描き、賛を加えたものがあったが、難波に住んでいたときに人に奪われて失くしてしまった…というような話が続く(たぶん)。上述の「若仲と云し、法のみちに志ふかゝりし人」という表現は、あまり両者が親しかった様子を感じさせないと思うが、いかがだろうか。また、「人の運はせてたまひし也」だから、秋成が好んで貰ってきたのではなくて、少々世話焼きな仲介者がいたことも分かる。でも「いかめしけにうすゝまりをる」は、大きな蟹石にぴったりである。