○三菱一号館美術館 『もてなす悦び-ジャポニスムのうつわで愉しむお茶会』展(2011年6月14日~8月21日)
19世紀後半、欧米社会を席巻したジャポニズムを紹介する展覧会。ただし、高名な芸術家に与えた影響ではなく、新興富裕層のめざましい台頭を背景に、人々の暮らしに深く入り込んだ「日常的な品々」を彩ったジャポニズムに注目する。会場を歩きながら、なるほど、こういう視点もありか、とちょっと感銘を受けた。
銀器、ガラス器、布・服飾品など、さまざまなジャンルの工芸品(工場製品と呼ぶべきかな)が登場するが、最もバラエティ豊かなのは、何といっても磁器である。17~18世紀、日本の柿右衛門や古伊万里が、ヨーロッパの王侯貴族に熱狂的に迎えられ、多くの「写し」が生産されたことは、これまで、いくつかの展覧会で学んできた(→たとえば、出光美術館の『陶磁の東西交流』展)。19世紀後半には、この「写し」が、めざましい進化と発展を遂げている。
いま、図録を眺めながら書いているのだが、たとえば、34-35頁の「ロイヤルウースター社 伊万里写ティーセット」。確かに、紺地に金の線描と、白地を埋め尽くす勢いの赤い菊花+緑の葉、この色選び、デザイン感覚の「基本」は、よく見れば古伊万里の金襴手である。けれども、金色の花芯が大きくなって、もはや別の花に見える菊花(さらに茎を失い、イソギンチャク状に見える)とか、色彩のバランス、日本の磁器にはあり得ない、風船のようなティーポットの形状など、もはや完全に「別物」だと思う。
私は、けなしているのではない。これはこれで、とても魅力的だと思う。36-37頁を見ると、はじめに日本製の古伊万里皿があらわれる。次に、それを完璧に「コピー」した、18世紀、ウースター窯(イギリス)の古伊万里写し(ここに至るまでに、無数の「へぼコピー」があって、それはそれで、面白いのであるが)。そのあと、彼らは、完璧にわがものにした古伊万里のデザインを、自分の(欧米の顧客の)好みにあわせて、改変していく。あるいは明るくポップに、あるいはシックに…。
目を奪われるのは、52頁から始まるティーカップ&ソーサーのコレクション。これは、展覧会でも、広い会場にずらりと並んだ姿が圧巻だったが、細部を鑑賞するには、写真のほうがいい。日本の磁器にはありえない、蛍光色に近いピンクやブルー、あるいは淡いピンクの地に描かれた愛らしい花鳥。確かに、梅、桜、菊、紅葉など、もとは「日本のデザイン」だったと言われれば、え、そうなの、とは思うけれど、そもそも今の日本人の多くが、古伊万里の色彩感覚(紺・赤・金)を忘れている状態では、ふるさと帰りというより、突如あらわれた、かわいいものの集合体、という感じがする。
この無国籍な「かわいいもの」が大量に生み出された背景には、女性の関与(嗜好)があるんじゃないか、と直感的に思った。イギリスのアフタヌーンティーって、女性によって担われた慣習ではなかったか。いま思い出そうとしているのは、井野瀬久美恵著『大英帝国という経験』だが、Wikiにも「女性向けの社交の場」として始まったと書いてある。
本展の中核をなすディヴィー・コレクションは、ニューヨーク在住のジョン&ミヨコ・ディヴィー夫妻が蒐集したもので、2008年から三菱一号館美術館に寄託されており、本年、購入によって、正式に同館の所蔵品になったものだという。「質は高いとはいえ必ずしも一品制作の注文品などではなく、普通に市販されていた、一般市民でも十分入手可能だった製品なのである」と図録の解説にいう。職人たちによって生み出され、一般市民の日常生活をいろどり、とある市民夫妻の関心によって蒐集され、このたび美術館入りした品々。どこにも「芸術家」が介在した形跡のないコレクションだけど(だからこそ?)、見る者の胸をときめかせる魅力がある。解説不要で「だってかわいいんだもん!」みたいな。長く愛されてほしいと思う。
実際の食卓を使い、展示品を組み合わせたテーブルセッティングの展示もおもしろかったが、やっぱり、あのカップ&ソーサーでお茶を飲んでみたいと思った。駄目かなあ。
19世紀後半、欧米社会を席巻したジャポニズムを紹介する展覧会。ただし、高名な芸術家に与えた影響ではなく、新興富裕層のめざましい台頭を背景に、人々の暮らしに深く入り込んだ「日常的な品々」を彩ったジャポニズムに注目する。会場を歩きながら、なるほど、こういう視点もありか、とちょっと感銘を受けた。
銀器、ガラス器、布・服飾品など、さまざまなジャンルの工芸品(工場製品と呼ぶべきかな)が登場するが、最もバラエティ豊かなのは、何といっても磁器である。17~18世紀、日本の柿右衛門や古伊万里が、ヨーロッパの王侯貴族に熱狂的に迎えられ、多くの「写し」が生産されたことは、これまで、いくつかの展覧会で学んできた(→たとえば、出光美術館の『陶磁の東西交流』展)。19世紀後半には、この「写し」が、めざましい進化と発展を遂げている。
いま、図録を眺めながら書いているのだが、たとえば、34-35頁の「ロイヤルウースター社 伊万里写ティーセット」。確かに、紺地に金の線描と、白地を埋め尽くす勢いの赤い菊花+緑の葉、この色選び、デザイン感覚の「基本」は、よく見れば古伊万里の金襴手である。けれども、金色の花芯が大きくなって、もはや別の花に見える菊花(さらに茎を失い、イソギンチャク状に見える)とか、色彩のバランス、日本の磁器にはあり得ない、風船のようなティーポットの形状など、もはや完全に「別物」だと思う。
私は、けなしているのではない。これはこれで、とても魅力的だと思う。36-37頁を見ると、はじめに日本製の古伊万里皿があらわれる。次に、それを完璧に「コピー」した、18世紀、ウースター窯(イギリス)の古伊万里写し(ここに至るまでに、無数の「へぼコピー」があって、それはそれで、面白いのであるが)。そのあと、彼らは、完璧にわがものにした古伊万里のデザインを、自分の(欧米の顧客の)好みにあわせて、改変していく。あるいは明るくポップに、あるいはシックに…。
目を奪われるのは、52頁から始まるティーカップ&ソーサーのコレクション。これは、展覧会でも、広い会場にずらりと並んだ姿が圧巻だったが、細部を鑑賞するには、写真のほうがいい。日本の磁器にはありえない、蛍光色に近いピンクやブルー、あるいは淡いピンクの地に描かれた愛らしい花鳥。確かに、梅、桜、菊、紅葉など、もとは「日本のデザイン」だったと言われれば、え、そうなの、とは思うけれど、そもそも今の日本人の多くが、古伊万里の色彩感覚(紺・赤・金)を忘れている状態では、ふるさと帰りというより、突如あらわれた、かわいいものの集合体、という感じがする。
この無国籍な「かわいいもの」が大量に生み出された背景には、女性の関与(嗜好)があるんじゃないか、と直感的に思った。イギリスのアフタヌーンティーって、女性によって担われた慣習ではなかったか。いま思い出そうとしているのは、井野瀬久美恵著『大英帝国という経験』だが、Wikiにも「女性向けの社交の場」として始まったと書いてある。
本展の中核をなすディヴィー・コレクションは、ニューヨーク在住のジョン&ミヨコ・ディヴィー夫妻が蒐集したもので、2008年から三菱一号館美術館に寄託されており、本年、購入によって、正式に同館の所蔵品になったものだという。「質は高いとはいえ必ずしも一品制作の注文品などではなく、普通に市販されていた、一般市民でも十分入手可能だった製品なのである」と図録の解説にいう。職人たちによって生み出され、一般市民の日常生活をいろどり、とある市民夫妻の関心によって蒐集され、このたび美術館入りした品々。どこにも「芸術家」が介在した形跡のないコレクションだけど(だからこそ?)、見る者の胸をときめかせる魅力がある。解説不要で「だってかわいいんだもん!」みたいな。長く愛されてほしいと思う。
実際の食卓を使い、展示品を組み合わせたテーブルセッティングの展示もおもしろかったが、やっぱり、あのカップ&ソーサーでお茶を飲んでみたいと思った。駄目かなあ。