見もの・読みもの日記

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ふたりの歴史家/『史記』と『漢書』(大木康)

2011-07-07 21:34:21 | 読んだもの(書籍)
○大木康『「史記」と「漢書」:中国文化のバロメーター』(書物誕生:あたらしい古典入門) 岩波書店 2008.11

 先日、同じ著者の『現代語訳 史記』(ちくま新書)を読んで、本書の存在を知った。「後世に大きな影響を与えた点で、いずれもひけをとらない『史記』と『漢書』」というのは、本書のカバー折目に掲載された内容紹介である。へえ、中国文学の専門家の見方は、そうなんだ!

 前漢の中頃、紀元前97年に司馬遷によって完成された『史記』と、後漢のはじめ、紀元後80年頃に完成した班固の『漢書』。その評価は、時代によって変化してきた。後漢から六朝、唐初(門閥貴族=駢儷文の時代)にかけては、あきらかに『漢書』が優勢だったが、中唐の韓愈、柳宋元は『史記』を讃えた(科挙官僚=古文復興の時代)。宋~明代も『史記』がもてはやされたが、清代に入ると、再び『漢書』が好まれる傾向が生まれた。以上が、中国における、おおまかな『史記』『漢書』の読書史である。

 『日本国見在書目録』によれば、9世紀末の日本では、中国(唐初まで)の状況を反映して「『漢書』の方が少しばかり多い」のだそうだ。意外! 紫式部が『史記』を覚えてしまったとか、『源氏物語』賢木に『史記』の引用があるとか、なんとなく、古来、日本人は『史記』びいきの印象があったもので。江戸時代は、明代文化の影響が強く、『史記』のテキストが、より多く出版された。明治以降も、引き続き『史記』のほうが読まれた。私が受けた「漢文」教育でも『史記』は教科書の定番だったが、『漢書』を読んだ記憶はない。ちなみに中島敦『李陵』も、現代文教材の定番だったと思う。

 班固は、『漢書』司馬遷伝において、司馬遷が「明哲保身」を貫けなかったことを惜しんでいる。「明哲保身」とは、『詩経』において賢人の生き方とされるもの。つまり、『史記』を好むか『漢書』を好むかは、単純化すれば、司馬遷の生き方「発憤著書」に共感するか、班固の理想「明哲保身」をとるか、に帰着するようだ。しかし、極刑を受けた司馬遷が、それでも天寿を全うしたのに対し、順調に出世した班固は、晩年、政争にまきこまれ、投獄されて没したという。獄中の班固に、いま一度、司馬遷の評価を聞いてみたかったように思う。

 本書第二部「作品世界を読む」は、『史記』「伯夷伝」および「高祖本紀」「項羽本紀」を素材に、司馬選が、歴史家の使命をどう考えていたかを考える。いずれも、かつて親しんだ本文で懐かしかった。『漢書』「古今人表」の存在は、初めて知った。古今の人物を「上の上」から「下の下」まで、九段階に序列化して、視覚的な表に整理した珍品である。後世の評価は芳しくないが、「あらゆるものを一網打尽に整理したい」という、偏執狂的な貪欲さが感じられて、可笑しさが感じられる。

※本書にて「読んだもの」エントリー700件目。600件目が昨年7月15日だったから、少しペースを取り戻したかな。とりあえず「年100冊読破」×10年完走が目下の目標である。
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