見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

オトナの愉しみ/百獣の楽園(京都国立博物館)

2011-07-22 00:39:49 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都国立博物館 特別展観『百獣の楽園-美術にすむ動物たち-』(2011年7月16日~8月28日)

 いかにも夏休みの家族連れや子ども客をターゲットにしたようで、つまらない企画だなあ、と思っていた。が、行ってみたら、大間違い。スミマセンでした。やっぱり京博の展示にハズレなしだ。この展観のすごさ、楽しさは、オトナの美術ファンでないと、理解できないと思う。

 企画趣旨は型通りで、テーマ(動物の種類)に合わせて、書画・彫刻・工芸などを並べていく。冒頭が「象」だったが、いきなり真正極楽寺(真如堂)所蔵の南宋絵画(重文)で度肝を抜かれる。象車を引くのは色黒の胡人。車上の老人は、手すりにもたれて、興味津々の面持ちで白象を見ている。こんな図像、見たことがない。普賢菩薩像として伝わるが、老子像ではないかともいう。『普賢羅刹女像』(仁和寺蔵)は、まあ定番として、次、富岡鉄斎筆『象図』(個人蔵)は初見。鉄斎の作品は、圧倒的に関西周辺に伝わっているのかな。ブサかわいい白象である。

 「駱駝」に、三彩陶器を並べるのはともかく、唯一の絵画作品が、明代の『五百羅漢図』(仁和寺蔵)の1幅。肩をすぼめたネコのような駱駝図に、どうしてこれにした?と、内心笑いながら首をひねる。淡い色彩に、ゆるくて平和な雰囲気がただよっていて、好きだ。

 展示構成は、1室「象」「駱駝」「猪」「羊」「牛」→2室「猿」→3室「猫」「栗鼠」「犬」「兎」→4室「虫」→5室「鹿」「馬」→6室(大ホール)「禽(とり)」→7室「虎と豹」「獅子」→8室「狐と狸」→9室「大集合」→10室「鱗介」→11室「霊獣」。

 光琳の『竹虎図』みたいな「納得」の京博コレクション、もしくは京博の常設展示館(閉館中)でおなじみだった作品もあるが、むしろこの展観のためにお蔵出ししたり、寺院や個人から借り受けてきた作品が多くて、びっくりした。

 たとえば、お蔵出しの1例は『百鳥文様打掛』(明治時代)。濃緑の地の背中央から右袖にかけて、若冲筆を思わせる鳳凰が居座っている。対角線上の逆位置(左下)には孔雀。孔雀の足下の、モコモコした変な鳥が気になるのだが…。

 「羊」のセクションで、雪舟筆『倣梁楷黄初平図』を見たときは、ちょっと噴いてしまった。選択肢はいろいろあるだろうに、え?どうして、これ?という感じで。決して嫌いではないのです。こんなミュージアムグッズがあると知っていたら、買ってきたくらい。鉄斎の『牛図』もかわいいなあ。

 うれしいことに、長沢蘆雪は厚遇されているような気がした。個人蔵『虎図』のキャプションに「蘆雪の超絶技巧にしびれたい」って、これじゃ、ただのファンの讃辞だと思う…。『楓鹿図屏風』『朝顔に蛙図襖』もいい。雪村周継も、企画者にファンがいると見た。風を呼ぶ『琴高仙人図』は大好き。『鍾馗虎図』もいいよねえ。

 すごい!と唸ったのは、海北友松筆『南泉斬猫図屏風』(京都・妙光寺蔵)。「猫」のセクションで、この画題を選ぶのもすごいし、数ある名品(天授庵の等伯筆とか、平福百穂、下村観山の筆とか)の中から、この作品を選んだ眼力に脱帽。絶体絶命のネコは、禅僧のてのひらに抑えつけられた顔ばかりが、小さく小さく描かれている。一転して、河鍋暁斎の巨大な化け猫はいいなあ。有名なビジュアルだけど、意外と作品自体は小さいんだな。

 切りがないので、このへんにしようと思うが、あっ中国・南北朝の書物(巻子)『篆隷文体』(京都・毘沙門堂蔵、重文)に記された「亀書(きしょ)」は面白かった。「仙人書」のほうが、もっと笑えたのだが、図録に写真が収録されていないのは残念。なお、ソフトカバーで1冊800円に値段を抑えた展覧会目録はお買い得。各作品のキャプションは、複数人で担当していることが分かる。

 ところで、テーマ一覧をしみじみ見ていると、ネズミがないのが、ちょっと残念な気がする(私の干支なので)。あと、日本にはあまりないのだろうが、東アジア的には「驢馬」がほしいところだ。
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あこがれの仏跡ガイド/天竺へ(奈良国立博物館)

2011-07-20 23:13:34 | 行ったもの(美術館・見仏)
奈良国立博物館 特別展『天竺へ~三蔵法師3万キロの旅』(2011年7月16日~8月28日)

 大阪の藤田美術館が所蔵する国宝絵巻『玄奘三蔵絵』全12巻の全場面を、前後期で公開する展覧会。昨年9月、藤田美術館で、初めて『玄奘三蔵絵』を見て、もっと多様な場面を見たいなあ、と思っていた矢先だったので、すごくうれしい。

 見どころは、何といっても鮮やかな色彩。さらに、登場人物が身にまとう衣服は、趣向を凝らした文様に飾られている。動物文あり、草花文あり、星座文(?!)あり。狩野一信の『五百羅漢図』でも、衣服や調度の文様の多様さに驚いたが、あれは決して「空前」ではなかったんだな、と思う。

 それから、登場人物の容貌と表情の描き分け。うーん、すごい。よく見ると、隅々の小者までキャラが立っていて、それぞれ「小芝居」をしている。パレードに参加する象や馬の1頭1頭まで、見交わす視線が意味ありげだ。階段の下であくびをする男の口からは、のんびりした稲妻のような墨線が引かれていて、言葉にならない「ふあ~ぁ」という声が聞こえてきそう。現代マンガと同じ表現をするんだなあ。

 私は、もっと玄奘の苦難が描かれた絵巻かと思っていたが、そうでもなかった。「西遊記」の(もしくは「西遊妖猿伝」の)相次ぐ危機と苦難のイメージに毒されすぎだろうか。以下はメモ。

巻1=幼少期、旅立ち、石槃陀に馬を貰う
巻2=玉門関、沙漠、高昌国
巻3=高昌国、亀茲国、雪山越え、鉄門、北天竺
巻4=仏跡を拝す、中天竺、河で海賊に遭う
巻5=舎衛国、祇園精舎跡地、鹿野園
巻6=正法蔵に瑜伽論を学ぶ、ナーランダ寺
巻7=戒日王が正法蔵に小乗僧と議論する僧の派遣を求める、玄奘が名乗り出るが延期となる
巻8=玄奘は鳩摩羅王の招請に応じる、戒日王が玄奘と鳩摩羅王を王城に招く
巻9=戒日王の無遮大施
巻10=長安に帰国、経典の翻訳始まる
巻11=唐太宗崩御、翻訳完成
巻12=玄奘の死、葬儀、後日談

 苦難と言えるのは、沙漠~雪山越えと巻4の海賊くらい。実は、巻3の後半で、早くも天竺に到着すると、楽しそうな仏跡巡礼が始まる。さすがに玄奘の表情は真剣だが、付き添う従者の僧侶は、無邪気な観光客っぽい。絵巻を見た人々も、インドの観光案内を眺めるような気持ちで、胸をときめかせたのだろうか。

 巻8~9は、華やかなパレードと祭典(無遮大施)の描写で、僧侶たちに美麗な袈裟が与えられる図が面白いと思った。戒日王(ハルシャ・ヴァルダナ)が、着ていた衣服を脱いで僧侶に施すシーンは、感動のクライマックスなんだけど、ちょっと笑ってしまった。

 このほか、藤田美術館の名宝である奈良朝写経の『大般若経(魚養経)』387巻を一堂に展示。地味だけど、こういうのは、なかなか見る機会がないので好きだ。東博の笈を背負った『玄奘三蔵像』も展示されているが、この夏、流行のレギンスにサンダルみたいな足元に笑ってしまった。

 「西遊記への道のり」のセクションでは、玄奘三蔵伝から、私たちのよく知る「西遊記」誕生までを、戯曲や説話の版本と図像で振り返る。このへんは、むかし、中野美代子先生の研究を夢中で読んだ。『安西楡林窟壁画(第2窟 水月観音図)』(薬師寺蔵)は、久しぶりに見る。岩の上の取経僧と並んで、サル顔の行者が描かれているのを、中野美代子先生の本の口絵で見て、ホンモノを(できれば敦煌まで行って壁画を、叶わなければ模写でも)見たいと、どれだけ願ったことか!

 法隆寺蔵『五天竺図』は初見だと思う。日本人が描いた最古の世界地図。うう、面白い! いちばん古い甲本は後期展示。いちばん古いと言っても「本図の制作年代については、鎌倉時代前期から江戸時代まで研究者の意見が分かれている」というから、まだ分からないことが多いようだ。大雪山の隣り、蚊取り線香のようにとぐろを巻いた水源は何だろうとか、いろいろと気になる。複製パネルの上に、旅する玄奘のシルエットを映写する演出もよかった。
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地域の名刹/甚目寺観音展(名古屋市博物館)

2011-07-20 20:36:13 | 行ったもの(美術館・見仏)
名古屋市博物館 仁王像修復記念『甚目寺観音展』(2011年7月16日~8月28日)

 週末は、祇園祭とあわせて、大阪→京都→奈良→名古屋をまわってきたので、遡及的に記録を起こしていく。まず、名古屋から。私と逆まわりの関西周遊に出かけた友人から「面白かった」というメールが入ったので、急遽、予定変更して、最終日に寄ることにした。

 甚目寺観音(鳳凰山甚目寺)は、愛知県あま市にある真言宗智山派の寺院。と聞いても、全然分からなかった。そもそも「じもくじ」が読めなかったし、2010年、平成の大合併で誕生した「あま市」がどこなのかも、他県の人間にはピンと来なかった(どうして郡名「海部」をひらがなに直すかな)。なので、会場入口のパネルを眺めて、まず地図上の位置を確認。なるほど、名古屋市の北西部に接しているのか。

 甚目寺は、お伽草子「うばかわ」の舞台であり、一遍聖絵にも登場する古刹である。同寺所蔵の境内絵図、参詣曼陀羅、戦国武将の朱印状や書状が多数展示されていて、興味深かった。仁王像からは、福島正則の奉納を示す墨書が見つかっている。塔頭の光明寺は、豊臣秀吉が日吉丸と呼ばれた頃、修行を積んだ寺と言われているが、そのわりに関係する遺品は少ないそうだ。

 ポスターの迫力ある仁王像2体も、会場で見ることができるが、本当の主役は、愛染明王坐像(鎌倉時代)だろう。憤怒像にしては品のある穏やかな表情で、福耳が目立つ。1996年のファイバースコープ調査によって、胎内に球形の納入品が確認されていたが、今回の解体修理で取り出したところ、容器の内側から、フィギュアのような超小型の愛染明王坐像(五指愛染と呼ぶそうだ)が発見された。か、かわいい…。市博物館のサイトの写真だと、カプセルの内側および像の表面は黄みがかった朱色だが、肉眼では、もう少し青みを帯びた紅色で、紺や緑の宝珠をつないだ瓔珞、線香花火を散らしたような袴の截金文様、蓮弁の桃色のグラデーションなど、芸が細かい(会場内パネルの拡大写真で確認)。修理完了後は、再び愛染明王坐像の胎内に収める予定なので、これを見られるのは「今だけ」だという。見に来て、よかった!

 なお、ほぼ完成した像に間隙材を入れて、体躯に厚みを持たせ、ふくよかでゆったりした様子に変更されているというのも面白かった。

 それと、めずらしかったのは、十王像+脱衣婆像。付属品として「業(ごう)の秤」があって、後ろ手に縛られた人間と山を、てんびん秤の左右に吊るしたものが供えられている。この造形が、思わず噴き出すくらい、オカシイ。

愛知の霊場(個人ブログ):尾張四観音、いずれはまわってみたい。
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中国でいちばん好きなもの/中国侠客列伝(井波律子)

2011-07-19 22:34:06 | 読んだもの(書籍)
○井波律子『中国侠客列伝』 講談社 2011.3

 いまの時代に逆らうようだが、私は中国好きである。中国の美術が好き。文学が好き。料理が、演劇が、娯楽映画が、あやしい民間宗教が好き。しかし、何と言っても好きなのは、中国の歴史・文化を、華々しくいろどり続ける「侠の精神」である。

 本書は、大きく「実の部」「虚の部」の二部構成を取り、前者では、春秋戦国、漢代、後漢末から東晋まで、主に史書に描かれた歴史上の侠客を、後者では、唐代伝奇、宋代の『水滸伝』、元・明・清代の戯曲に登場する侠客を、幅広く紹介する。中国史または中国物語文学の入門書として読むには、とても楽しい本である。

 著者は「侠」を定義して、「なんらかの信義を根底とし、これをみずからの命をかけて貫徹しようとする姿勢」と述べている。やや歯切れの悪い定義だが、多様な表現形態に、幅広く網をかけようとすると、こうなってしまうのはやむを得ない。実際の中国の歴史には、大義にもとづく公憤型の侠も存在すれば、パーソナルな関係に基づく私憤型の侠も存在する。実力(武力)行使型もいれば、非武力型やパトロン型の大侠もいる。遊侠無頼から皇帝に成り上がった者あり、犯罪者あり、妓女や芸人あり。単独で行動する侠客もいれば、集団としての侠もある。慄然とするほど暴力的・破壊的な侠もあれば、超自然的で不可思議な侠、そこはかとなく可笑しみを感じさせる侠もある。

 このように、類型はさまざまだが、ある人物の生き方が侠と呼ぶに値するか否かは、たぶん直感で「分かるひとには分かる」のである。私の場合、中国史や中国文学をひもとく目的は、侠客たちに出会う楽しみに尽きると言っても過言ではない。

 なお、陳寿の『正史三国志』は、蜀の劉備の形容に「侠」を用いないそうだ。「侠」の字義には「派手な暴力的ポーズで人を威嚇し、威勢をふるう」というマイナスイメージがあるためで、同書では、曹操のほか、暴虐非道の董卓やエセ群雄の袁術に「侠」を用いているという指摘が、興味深かった。西晋末の流民集団のリーダーとなった祖逖(そてき)と郗鑒(ちかん)の事跡、元曲の『救風塵』と清代戯曲『桃花扇』の梗概は、本書によって初めて知った。

 それから、清末の活動家、譚嗣同と梁啓超に侠の精神を見ていることには、全面的に同意。中国の近現代史を読んでいても、やっぱり大立者には、どこか侠者の風格があるように思う。国民党や共産党の時代になっても。著者は、「日本における侠客」として、江戸前期に成立する町奴、および幕末の志士をあげているけれど、私は『太平記』で活躍する悪党たちは、かなり侠客に近いものを感じる。どうでしょうか、井波先生。
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祇園祭・山鉾巡行(辻回し)2011

2011-07-17 23:43:37 | 行ったもの(美術館・見仏)
久しぶりの祇園祭。2008年にも山鉾めぐりをしているが、巡行に来合わせるのは、10年ぶりくらいじゃないかと思う。

朝の「辻回し」を見るために四条室町の四つ辻に待機。はじめ西南の角にいたら「そこは道幅が狭いのでどいてください」と警備員さんに排除されてしまい、東南の角に移った。でも「辻回し」を見るには、鉾の進行方向=東側に移って正解だったかも。

四条通りの東北側で、円弧を描くようにささらを敷いて水を撒く。



やがて室町通りの南側から、巨大な鶏鉾が北進してきて、四条通りの中ほどで止まる(後ろ側)。



引き手の綱が東南側に移動。車輪をささらに乗り上げ、一気に東(八坂神社側)に引き回す。



ささらを移動させ、角度をつけて再び引く。



三度目は微調整。一気に引くより、かえって難しい。数名が後方の車輪を押して、ようやく成功。思わず拍手が起こる。



東に向かって、再出発(ささらは鉾の腹のハンモック?に積んでいく)。茶色い半纏のおじさんが万事を仕切っていて、カッコよかった!



四条室町では、このあと、北から下ってきた菊水鉾の「辻回し」も見ることができた。

そのあと、四条新町の様子を見に行こうと思ったが、あまりの暑さと混雑に辟易。以前は、御池通から狭い新町通に戻ってくる山鉾を待っていたのだけど、今年はこれで切り上げる。

京都の祭には、留学生などインターナショナルな参加者の姿をよく見るのだが、南観音山だったかな、黒人さんの姿があって、思わず、弥助(信長の従者)を思い出してしまったことはナイショだ。

帽子を被っていても、鼻から頬が暑くてたまらないので、せめて扇子をかざして、日差しを遮りたくなる。「扇の骨の間から見る」というのは、絵巻物によく描かれる動作で、邪気を払う意味があるとか何とか、論文に書かれていたが、あれは単に暑いから日を避けていたんじゃないかなーと思ってしまった。
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漱石の女/橋口五葉展(千葉市美術館)

2011-07-15 00:13:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
千葉市美術館 『生誕130年 橋口五葉展』(2011年6月14日~7月31日)

 橋口五葉(1881-1921)は、装飾美術家、挿絵画家、装丁家、版画家、浮世絵研究者。自分のブログ内を「五葉」で検索したら、埼玉近美の『小村雪岱とその時代』展しか出てこなかった。いや~もっと見ているはずなのに…。なんというか、厭味がなくて、万人に受け入れやすいだけに、印象に残らない弱さがあるのかもしれない。

 本展は、郷里の鹿児島歴史資料センター黎明館の所蔵品をはじめ、豊富な資料で、五葉の業績を多面的に振りかえる。まず、東京美術学校時代のスケッチや水彩が大量に残っているが、これがもう「売りもの」になりそうなくらい、巧い。白馬会に参加しては、黒田清輝(外光派)ふうの油彩をモノしている。これも巧い。ほんとに器用だな、このひとは。

 明治30年代の浪漫主義的作品群は、『王朝風俗』とか『古代の女』とか、仮託された(理想化された)古代に取材したテーマが多い。もっとも、青木繁みたいな怒涛の芸術作品ではなくて、誰でも安心して楽しむことのできる単純平明さがいい。漱石の『吾輩ハ猫デアル』『虞美人草』等々の装丁も、そうした単純平明路線の続きにあるものだと思う。

 明治44年(1911)、三越呉服店の懸賞広告に応募して1等賞を獲得したのが『此美人』。凛とした風情の和装美女が、挑むような視線を投げかけている。ん?三越呉服店?と思って画像検索したら、たくさん出てきたのは杉浦非水(1876-1965)のポスター。同じく和装の美女を描いたもので、私は非水も好きなんだけど、ずいぶん違うなー。五葉の描く美女には、「女を怖れた」漱石と同じ匂いがする。私は『黄薔薇』を見たとき、反射的に『三四郎』の美禰子だ!と思った。

 この懸賞賞金によって、29歳の五葉は、大分県の耶馬溪へ旅行し、面白いことに、亡くなる直前まで、耶馬溪の風景を繰り返し描き続ける。時には明るい水彩画で。時には南画ふう、時には伝統的な水墨画ふうに。なぜ、そんなにも耶馬溪に執着したのか。注目の羅漢寺に加えて、耶馬溪に行ってみたい理由が、ひとつ増えてしまった。

 五葉は、耶馬溪で「浴場の女」というテーマにも出会い、以後、おびただしい数の(一説に3,000点!)裸体または浴衣の女性の鉛筆スケッチを残している。浮世絵研究の成果を加えた完成品では、伝統的な日本女性の美しさが的確に捉えられているが、むしろ、ラフスケッチに留められた、平凡で、ぼんやりした表情の女性たちの、さまざまな姿態も私は好きだ。理想化されない、たるんだ腹、平板な胸を、五葉はいとおしむように描きとどめている。

 さまざまな分野でマルチタレントぶりを発揮した五葉だが、実は41歳で亡くなっていると知ったのは驚きだった。合掌。
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極める楽しさ/橋を見に行こう(平野暉雄)

2011-07-14 01:41:10 | 読んだもの(書籍)
○平野暉雄『橋を見に行こう:伝えたい日本の橋』 自由国民社 2007.5

 三井記念美術館の『日本美術に見る「橋」ものがたり』を見たあと、ミュージアムショップで本書を見つけた。ま、関連がないとは言わないが、誰が買うんだ、こんな本、と思って手に取ったら、もう駄目。美しい写真の数々に目を奪われ、捨て置くことができなくなってしまった。

 紹介されている「日本の橋」は150箇所。意外なくいらい、知っているものが少なかった。「日本の名橋」「神社・お寺の橋」「庭園の橋」「鉄道の橋」とカテゴリーごとの代表作を紹介したあとは、北から地域別に紹介。「いかにも」という桜や紅葉に彩られた絵葉書ふうの写真もあるけれど、素っ気ない日常写真もある。

 歴史づいた建造物に惹かれる私にとって魅力的なのは、たとえば「弥彦神社玉ノ橋」(新潟県)。「公園の橋」沖縄編はどれもいい。「天女橋」「放生橋(円覚寺跡)」「識名園石橋」はどれも日本らしからぬ風景である。北海道の「タウシュベツ川橋梁」は知らなかった。日本とは思えない、驚愕の風景。「農繁期、湖の水位が下がると姿を現す」という説明を読んで、さらに驚愕する。フィクションの世界みたいだ。しかし、ネット上にもいろいろ写真が上がっているが、本書の写真にまさるものはないと思った。

 近代化遺産としては、やっぱり「碓井第三橋梁」には目がとまる。鉄道橋はどれもいいなあ。巻末に「橋の構造・形式と各部の名称」の早見表があるが、私は、トラス橋、それも三角形が橋の上側に並んでいる、典型的な鉄橋が大好きである。

 著者は本書で写真と文章を両方を担当しているが、一つのことを極めた博識に頭が下がる。50字~長くても100字足らずのキャプションに、経験を踏まえた、的確で有用な情報が詰まっている。「雄橋(おんばし)」(広島県)が「世界三大天然橋の一つ」なんて知らなかった。「こんにゃく橋」(徳島県)の「少し危険だが楽しさ思い出が詰まる橋」や「蓬莱橋」(大井川・静岡県)の「急に風向きが変わることがあるので、橋の真ん中を手をつないで渡るとよい」には、橋への愛情が感じられ、「方広寺石橋」(静岡県)の「石橋の上には、いつも羅漢様が安置されている。行く度に配置が代わっている」なんて、地味に可笑しい。

 どこを読んでも眺めていても飽きない。行ってみたい橋はたくさんあるが、巻末のアクセス案内を見ると「車で50分」など、車がないと難しいものも多そう。タクシーで行って、橋で止めてもらうか。それも物好きっぽくて、いいけど…。

 とりあえず、本書をミュージアムショップにおいた三井記念美術館の担当者さん、GJ!
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異界へのかけはし/日本美術に見る「橋」ものがたり(三井記念美術館)

2011-07-12 23:50:03 | 行ったもの(美術館・見仏)
○三井記念美術館 特別展『日本美術に見る「橋」ものがたり-天橋立から日本橋まで-』(2011年7月9日~9月4日)

 9月まで、2ヶ月間にわたる展覧会だが、急いで見にいったのにはわけがある。雪舟筆『天の橋立図』は、この週末と次の週末しか見られない(~7/21展示)からだ。近寄って見ると、細部は普通の水墨画なのだが、離れるほど不思議。ヘリコプターにでも乗って、下界を見下ろしているみたいで。こんな視点を持った水墨画はないんじゃないかと思う。

 展示室1は、工芸・茶道具から。冒頭の仁清作『色絵柳橋図水指』は、湯木美術館所蔵と聞いて、大阪のあそこか、と思った。本展は、かなり頑張って、各地から珍しい作品を集めてきてる。この愛らしい水指は、丸亀京極家伝来。京極家は、仁清の代表作、色絵茶壺などの注文主であるそうだ(→個人ブログ:讃岐の風土記「京焼と讃岐との深い縁」)。

 工芸品には「住吉○○」と銘のついたものが多い。そうか、橋といえば住吉なんだな、と、今年5月に訪ねた住吉大社の朱塗りの太鼓橋を思い出す。しかし「住吉図に太鼓橋が描かれるのは意外に遅く室町以降」だそうだ。そうだろう。太鼓橋って、かなり高度な技術を要する建造物だと思うのである。

 本展の楽しみかたはいくつかある。ひとつは、歴史資料として橋の描かれ方を見ていくもの。古いものでは、鎌倉時代の仏画『二河白道図』に朱塗りの欄干を備えた反り橋が描かれているが、庭園の水辺や建屋間には、こうした橋があり得ても、自然の河川には難しかったのではないかと思う。『八坂法眼寺塔絵図(八坂法眼寺参詣曼陀羅)』(室町時代。法眼寺所蔵。面白い!! 初見!)には、鴨川にかかる四条橋と五条橋が描かれているが、どちらも棒杭の間に板を渡しただけ(たぶん流されたら、また架け直すつもり)の簡素な造りである。

 歴博D本『洛中洛外図屏風』では、三条と五条の橋はかなり立派に描かれているが、四条橋だけは貧相で、縦に渡した板1枚しかない。なお、五条橋って、以前は松原通りの位置にあって、豊臣秀吉が架け替えさせたということを初めて知り、調べていたら、京博の庭に「橋石材」が展示されていることが分かった。今度、見てこよう。

 それから、橋が喚起するイメージというか精神性。やはり、異界とか宗教的なものとの結びつきが強いので、縁起絵巻や参詣図曼荼羅に、橋はなくてはならないものだ。『伊勢参詣曼陀羅』2幅(三井文庫蔵)も、あまり見た記憶のないもので、面白かった。外宮図の宮川には「式年遷宮の年のみ架けられる舟橋(舟を並べてその上に板を渡すもの)」が描かれている。内宮図の五十鈴川には立派な宇治橋が見えるのに。また、日光二荒山を勝道上人が開いたときは、青・赤の蛇を握った深沙大王が現れ、蛇を放って、橋を架けたという。おお~そんな伝説もあるのか。

 私は、学生時代の国文学の演習で「橋」を詠んだ和歌を集めた記憶がある。それでいうと、「宇治橋」「瀬田の唐橋」「三河の八ッ橋」みたいに美術でも文学でも高名な名所がある一方で、「緒絶の橋(おだえのばし)」「長柄の橋」みたいに絵にならない歌枕(名所)もあるんだなあ、と思った。

 江戸時代には、江戸も大阪も「橋の都」であり、諸国にもたくさんの橋があったことが分かる。それにしても、北斎の『百橋一覧図』は作者の精神状態が疑われて、ちょっと怖いが…。歴博の『江戸景観図』は、アメリカン・ナイーフ・アート(絵本「ちいさいおうち」みたいな)色調が印象的。これは見たことある、と思ってブログ検索をかけてみたら、2008年の歴博『西のみやこ 東のみやこ』展がヒットして、嬉しかった。

 なお、茶室・如庵に掛けられた軸が寸松庵色紙で、紀友則「あまのがは あさせしらなみ たどりつつ わたりはてぬに あけぞしにける」と、かすかに「橋」を響かせているところが好きだ。
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知識への回路/「知」の十字路(原武史編)

2011-07-11 06:16:38 | 読んだもの(書籍)
○原武史編『「知」の十字路:明治学院大学国際学部付属研究所公開セミナー3』 河出書房新社 2011.5

 2009年度のセミナー2をまとめた『「知」の現場から』で、この公開連続セミナーの存在を知った。本書のもとになったセミナー3(2010年10月5日~2011年1月7日)は、早々にネットで日程をチェックして、聴きたいなあと思った講座もあったのだが、平日に仕事を早退していくのが難しくて、果たせなかった。今回も、対談者一覧を書いておこう。

佐野眞一×原武史
佐藤優×原武史
辻井喬×原武史
東浩紀×高橋源一郎
赤坂真理×原武史
奥泉光×原武史
大澤真幸×永澤佳祐
井上章一×竹尾茂樹
小熊英二×高橋源一郎
中川家礼二×原武史

 各回の分量は、20~30ページ。ひとつのテーマを語るのに十分とは言えない頁数だが、どの回もちゃんと中味があるのは、編集に苦労なさった結果ではないかと思う。このことをもっと知りたい、あるいは、この本読みたい!と思わせる箇所が、まるで罠のように無数に仕掛けられている。いくつか書きぬいてみよう。

 佐野眞一さん→「歴史は必ず尻尾を残すものだと私は確信しています」。これはグッとくる発言である。近代天皇制における皇后の役割、突出して「できすぎ」の美智子妃の存在は、かえって、次世代の危機を深化させているのではないか。

 佐藤勝さん→(尖閣問題に関連して)国際法の規定とは別に、やっていいことといけないことは、目に見えないルールで決まっている。外交は難しいなあ。和辻哲郎の『風土』は、1944年に第3章「シナ論」が改訂されていて、そこに(改訂後?)「エリート層である帝国の中心部がなかなかしぶとい」ということが書かれている由。読みなおしてみたい。朝鮮についても「日韓併合よりもむしろ1920年代の神社参拝のほうが問題でしょう」と指摘。

 東浩紀さん→ルソーは「代議制は奴隷制度だ」と言っている。これも面白い。「一般意志」というけれど、実は人々の合意なんて一切考えていないとか、コミュニケーションが無いほうが「一般意志」はよいものになるとか、妙にインターネット時代にフィットしていて、民主主義の元祖みたいなルソーのイメージが、ガラガラと崩れてしまった。東浩紀の注解でルソーを読んでみたい。

 井上章一さん→アカデミズムの人々は、国家主義や軍国主義によって、学問がねじまげられたという。しかし、実際の学問は、もっとみみっちいことに左右されている。「むしろみみっちいものに縛られていることを忘れたいために、国家などという抽象的な御託を並べて悦に入ってはる人が多いんじゃないかな」。これはキツイが、よくできた発言。

 最後の原先生と中川家礼二さん(漫才師)との「鉄道漫談」は、聴きたかった対談のひとつ。大阪の長い駅名「西中島南方」の英語アナウンスのイントネーションがおかしいとか、鶴見緑地線の発車ベルが音楽調なのはいいが、最後にうめき声みたいなのが聞こえるとか、大阪ネタが多い。最近、西国巡礼で、大阪に行く機会が増えたので、今度行ったら、気をつけてみよう。礼二さんの『笑う鉄道』も読んでみたい。まだ手に入るかな?

※明治学院大学国際学部付属研究所:2011年度 公開セミナー「歴史と現在」
10月4日開講。うまくすれば、1回くらい聴けるかも…。
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浅草寺のほおずき市(四万六千日)

2011-07-10 19:15:58 | なごみ写真帖
浅草寺のほおずき市に行ってきた。たぶん物心ついてから初めての経験。東京下町育ちのわりには、東京の年中行事に全く疎いのである。京都の祇園祭とか、奈良の修二会には、あんなに熱心に通っているのに…。



どのお店も、江戸風鈴つきで、1鉢2,500円。



枝売り1本800円。枝売りのほおずきはオレンジ色に熟しているが、鉢ものはまだ花が終わったばかりで、緑一色。もっと市全体がオレンジ色になるのかと思ったら、全然そうではなかった。



山門(仁王門)前の「2番」のお店(屋号不明)で買ってみた。ベランダ園芸、昨年は子規庵の朝顔を育てたけど、今年は浅草寺のほおずきで行く。朝夕、水をやればOKとのこと。



ところで、本来7月10日は「四万六千日」と言って、この日参拝すれば四万六千日(約126年間)毎日参拝したのと同じ功徳を得られると言われている。このことは、東京育ちの父母から聞いて、子供のころから知っていた。妙に合理的(功利的?)だなと思ったものだ。

浅草寺では、7月9日、10日の2日間に限って「雷除札」を授与いただける。ついでに、今夏も計画中の中国旅行に備えて、龍の図入りの交通安全守も買ってみた。



裏側。



この日はご朱印も特別バージョンになるというので期待していたが、「四万六千日」というゴム印みたいな無粋な印が押してあっただけで、書跡も朱印の押し方も雑でガッカリした。忙しいのは分かるが、もう少し丁寧に扱ってよ…。
コメント (2)
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