見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

インターナショナルな空気/平常展+常盤山文庫の名宝(鎌倉国宝館)

2011-07-03 11:27:44 | 行ったもの(美術館・見仏)
鎌倉国宝館 平常展+特集陳列『常盤山文庫の名宝』(2011年6月2日~7月3日)

 国宝館はいつ行っても、見慣れた平常展でも和むので、ふらりと寄ってみた。そうしたら、特集陳列の常盤山文庫所蔵品が見応えありすぎて、唸ってしまった。これ「企画展」を名乗るには、数が少なすぎるのかな(中国陶器9点、書画等5点)…もったいない。

 注目は、北斉(550-577)時代の三彩5点。北斉の芸術は、次の時代(隋唐)への影響が大きく、いま国際的にも「注目の時代」なのだそうだ。フリーア美術館でシンポジウムが開かれるというのは、これ(英文)のことか。

 中国のやきものは、「白い土」と、白をキャンバスとする「三彩」の発展により、隋唐時代に確立したとされるが、北斉時代には、同じ美意識の芽吹きが十分に感じられる。まず、白いやきもの(白磁ではなく白釉らしい)の登場。そして、美しい白い肌をひろびろと残しながら、控えめに施された緑と赤褐色の釉薬のコントラストが初々しく、清々しい。

 白一色のやきものもある。隋代の白磁の完成度に比べると、北斉の「白」は、まだ黄みを帯びているが、その温かみが日本人(茶人)好みな感じがする。『白釉突起文碗』は、ガラス器か金属器をモデルにしたのだろうか、繊細な連珠文が、遠い西方の匂いを感じさせる。
 
 清拙正澄の『遺偈』(国宝)は「毘嵐巻」とも「棺割の墨蹟」とも呼ばれるもの。「斗」「神」「牛」の並んだ縦棒を見て思い出した。今年のはじめ、根津美術館の『墨宝 常盤山文庫名品展』で見たものだ。無学祖元の『重陽上堂偈』もたぶん見ている。墨蹟は、だんだん好きになりつつあるのだが、その魅力をうまく言葉にできないのが悔しい。とりあえず、常盤山文庫の墨蹟は、表具を見るだけでも楽しい、ということは言っておこう。

 それ以外では、国宝館所蔵の絵画『魚籃観音像』と『霊照女図』(どちらも室町時代)は、あまり展示されない作品ではないかと思う。前者は、キリッとした全身の立姿、後者は感じのよい市井の美女である。

 仏像は、養命寺の薬師如来、五島美術館の愛染明王坐像が、『鎌倉の至宝』展に引き続き、滞在中。それにしても、建長寺の伽藍神とか浄智寺の韋駄天とか円応寺の初江王が並んでいると、「鎌倉時代」や「南北朝時代」ではなく、「宋代」の空気が濃厚にただよっている感じがする。
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鎌倉散歩:月と星のマーク

2011-07-03 01:07:09 | 日常生活
先週、思い立って鎌倉へアジサイを見に行った。海蔵寺から、久しぶりに亀ヶ谷坂の切り通しを抜け、巨福呂坂を下って、鶴岡八幡宮に出た。このとき、巨福呂坂洞門(落石防止のトンネル)の壁に並んだ円筒形の照明設備に、星と三日月のマークが付いているのが目に入った。このトンネルは何度も通っているはずなのに、どうして、この日に限って「発見」したのか、不思議である。



すぐに思い出したのは、鎌倉国宝館の扉のステンドグラスの図と同じだということ。



これは何か謂われがあるのだろう…と思って、調べてみたら、旧・鎌倉町(明治27/1897年-昭和14/1939年)の町章だった。ちなみに、現在の鎌倉市の市章は、源頼朝の家紋にちなむササリンドウである(※鎌倉市のページ)。

なぜ星と月かというと、鎌倉には「星月夜」という地名があり、現在も「星月夜の井」(または「星の井」「星月の井」とも)という鎌倉十井の一の名前に名残をとどめている。『永久百首』にも「われひとり鎌倉山をこえゆけば 星月夜こそうれしかりけれ」という古歌が見えるそうだ。

実は、鎌倉国宝館のステンドグラスは長年の疑問だったのである。これでスッキリした。

なお、「鎌倉の極楽寺から西ヶ谷の月影地蔵堂に歩いていく途中」と「鎌倉宮そば」の2箇所に、月星印のマンホールの蓋が残っているらしい。今度、探してみよう!
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