見もの・読みもの日記

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災害カーニバルの中で/検証 東日本大震災の流言・デマ(荻上チキ)

2011-07-28 00:07:41 | 読んだもの(書籍)
○荻上チキ『検証 東日本大震災の流言・デマ』(光文社新書) 光文社 2011.5

 東日本大震災の特徴として、本書は、(1)被害範囲が甚大であったこと、(2)情報技術が浸透して以降の大災害であったこと、(3)原発事故という要素があったこと、の3点を挙げている。私は、とりわけ(2)を興味深く思う。

 インターネット、携帯電話、ツイッターや動画サイトの存在は、災害報道のありかたを、すっかり変えてしまった。もちろん従来のメディアも頑張っていた。『緊急解説!福島第一原発事故と放射線』の感想に書いた通り、信頼性という点では、やっぱりNHKの報道が他を圧倒していたと思う(ただし、もっぱらネット配信で見ていた)。

 一方、ネットの上には、実に多種多様な「災害情報」が流れて消えていった。私はツイッターを使っていないので、比較的、動きの遅い掲示板と動画サイトくらいしか見ていないのだが、それでも、十分うんざりする状況だったと思う。

 著者は、当時の状況を「『災害カーニバル』とも呼ぶべきムード」と評している。これは、ノンフィクション作家ソルニットの著書『災害ユートピア』をもじった表現で、多くの情報ボランティアたちが「ボランティアズ・ハイ」になり、「祭り」のような高揚感にとらわれて、延々と情報拡散を続けていた。こういう「祭り」からは「一抜けた」といって目をつむる(少なくとも、不適切な拡散に加担しないよう、自分の口は閉じる)のが、正しい行動だと思うのだが、なかなかそうはいかなかったようだ。

 本書には、著者が実際に収集し、検証したデマや流言が多数紹介されている。その中には、実際に私もネットで見聞し、即座に「デマだろう」と思ったものもあれば(例:放射能にはヨードが効く)、「デマとは決めつけられないけど、拡散する意図があやしい」と思ったもの(例:仙台市三条中学校の避難所で、中国人がやりたい放題)、つまらない話題だと思いながら、けっこう信じていたもの(例:仙石元官房長官が大地震を「ラッキー」と表現)も含まれる。

 ちなみに、最初の例は解説不要として、2番目は、同避難所が3/14に閉鎖されていたにもかかわらず、3/17に元ネタが流されたもの。さらに「現地で過ごしていた学者の方」が「略奪しようにも略奪できる物資がなかったのだから、笑えないデマではある」と、後日ブログに記している。本書は「デマ・流言」の発信元となってしまった個人サイトについては、人名を明らかにしていないが(でも調べると分かってしまうのが、ネットの怖いところ)、「検証屋」として機能したサイトは、URLが明記されている。この「学者の方」は、URLから、あ、小田中直樹先生か、と分かってしまった。

 3番目、仙石氏は地元・徳島の後援会挨拶でこう述べたことになっているが、当日は徳島にいなかったという。しかし、これは、かなりよく出来た作り話だと思った。

 節電に関し、パチンコ叩きの元ネタになった読売新聞の記事も、本書で初めて確認した。「東京ドームプロ野球1試合」の消費電力を「自動車・電機など」「化学」「鉄鋼」「鉄道」「食品」「パチンコ」「飲料自販機」「東京ディズニーリゾート」の1日あたり電力消費量(東京電力管内)と比べている。どう見たって「自動車・電機など」~「食品」の各産業が大切なことは分かるので、「パチンコ」や「飲料自販機」が「東京ドームプロ野球1試合」よりずっと電力を食っている、と言いたいがための記事であることは、ネタかと思うくらい、あからさまである。

 「静岡のガンダムが倒れた?」というコラ画像つきの記事には笑った。でも、意図のあからさま度から言えば、読売新聞の記事も、このコラ画像と同レベルじゃないかと思う。

 著者のいうとおり、人間どうしがコミュニケーションを行う限り、デマや流言の発生は避けられない。しかし、本書に挙げられた多様な実例を一読しておくことは、今後、同様の事態に遭遇した時、流言拡散に加担しないための「ワクチン」の役割を果たすのではないかと思う。大事なのは、まわりが喧しくさえずり始めた時こそ、頭を冷やして「沈黙に耐える」ことだろう。
コメント
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