○和泉市久保惣記念美術館 常設展『近代中国絵画-定静堂(ていせいどう)コレクションの名品-』(2011年6月11日~7月31日)ほか
9つの所蔵館で順次開催中の「関西中国書画コレクション展」。全ての会場を訪ねてみようと計画している。
今回、初訪問の久保惣記念美術館は、明治以来、和泉市で綿織物業を営み、昭和52年(1977)に廃業した久保惣株式会社並びに久保家が、和泉市に寄附したもの。数ある名品コレクションの中で、私がいちばんに思い出すのは、『青磁鳳凰耳花生(銘・万声)』である。泉北高速鉄道の和泉中央駅から『美術館前』行きバスに乗車。この駅には、なぜか見覚えがあった。西国札所第四番の施福寺に行くバスが通っているので、そのせい?と思ったら、さらに昔、河内長野市の観心寺に行った帰りに、桜井神社(割り拝殿が国宝)というところに寄っているらしい。当時の同行者(マイナー史跡好き)とも長いつきあいになる。
バスで駅から10分ほどだが、終点「美術館前」より前の停留所で、目の前に久保惣記念美術館らしき建物が見えてきて、慌てた。実は、正面入口まで、優にバス停1区間分以上の広さがあるのである。
入口に隣接する新館の第1室は、中国の工芸品を展示。青銅器コレクションがけっこうすごい。東京の根津美術館とか、泉屋博古館とか、実業家の間で、青銅器ブームがあったのかな。根津美術館の青銅器がゴツゴツしているのに対し、ここのコレクションは、壺や瓶など、わりとまろやか造形が多いように思った。それから、大小の帯鉤(たいこう。帯どめ、バックル)が並んでいて「江川コレクション」という注記がされていた。
隣りの第2室は、印象派などの西洋絵画。銅版画の古地図もあり。長い遊歩道を通って、本館へ。第3室と5室を使って行われているのが、定静堂コレクション展である。中間の第4室は中国の石造品の展示で、唐代の墓誌などがむきだしで無造作に置かれていて、ちょっとびっくりした。
定静堂こと林宗毅氏(1923-2006)は、台湾三大名家の筆頭・林本源家の嫡流で、実業家として活躍し、昭和48年(1973)日本に帰化、明清時代から近代に至る書画コレクションは、台北の国立故宮博物院、東京国立博物館、和泉市久保惣記念美術館に寄贈されているそうだ。
中国も近代絵画になると、知らない画家が多い。あと、日本の日本画に比べると、墨色と他の色彩が混ざって、画面が濁った感じのする作品が多く、あまり好きになれないなあ、と思う。色がきれいだと思ったのは、溥儒(溥心畬、愛新覚羅の一族)の作品。「南張北溥」と、張大千と並称されることもあるそうだ。その張大千も、へえ、こんな作品があるのか、というような艶麗な美女を描いた扇面図『竹窓仕女図』が出ていた。
どことなく日本人好みの『山水図』があって、作者を見たら、清末の政治家・翁同龢(おうどうわ)だったのには驚いた。趣味の域を出ないんだろうけど、遠景の山容のぼかしかたなど、巧いと思う。
各作品のキャプションを読んでいくと「光緒年間の進士、最後は狂死」とか「国民党と共産党の政争に連座し、歴史から抹殺された」とか、例によって、中国近代史の過酷さを感じさせる。
※付記。気になった「江川コレクション」を調べてみたら、旧蔵者の江川淑夫氏は、私の父親と同じ会社にいた時期があることが判明した。機会があったら、知っているか、聞いてみようかな…。
9つの所蔵館で順次開催中の「関西中国書画コレクション展」。全ての会場を訪ねてみようと計画している。
今回、初訪問の久保惣記念美術館は、明治以来、和泉市で綿織物業を営み、昭和52年(1977)に廃業した久保惣株式会社並びに久保家が、和泉市に寄附したもの。数ある名品コレクションの中で、私がいちばんに思い出すのは、『青磁鳳凰耳花生(銘・万声)』である。泉北高速鉄道の和泉中央駅から『美術館前』行きバスに乗車。この駅には、なぜか見覚えがあった。西国札所第四番の施福寺に行くバスが通っているので、そのせい?と思ったら、さらに昔、河内長野市の観心寺に行った帰りに、桜井神社(割り拝殿が国宝)というところに寄っているらしい。当時の同行者(マイナー史跡好き)とも長いつきあいになる。
バスで駅から10分ほどだが、終点「美術館前」より前の停留所で、目の前に久保惣記念美術館らしき建物が見えてきて、慌てた。実は、正面入口まで、優にバス停1区間分以上の広さがあるのである。
入口に隣接する新館の第1室は、中国の工芸品を展示。青銅器コレクションがけっこうすごい。東京の根津美術館とか、泉屋博古館とか、実業家の間で、青銅器ブームがあったのかな。根津美術館の青銅器がゴツゴツしているのに対し、ここのコレクションは、壺や瓶など、わりとまろやか造形が多いように思った。それから、大小の帯鉤(たいこう。帯どめ、バックル)が並んでいて「江川コレクション」という注記がされていた。
隣りの第2室は、印象派などの西洋絵画。銅版画の古地図もあり。長い遊歩道を通って、本館へ。第3室と5室を使って行われているのが、定静堂コレクション展である。中間の第4室は中国の石造品の展示で、唐代の墓誌などがむきだしで無造作に置かれていて、ちょっとびっくりした。
定静堂こと林宗毅氏(1923-2006)は、台湾三大名家の筆頭・林本源家の嫡流で、実業家として活躍し、昭和48年(1973)日本に帰化、明清時代から近代に至る書画コレクションは、台北の国立故宮博物院、東京国立博物館、和泉市久保惣記念美術館に寄贈されているそうだ。
中国も近代絵画になると、知らない画家が多い。あと、日本の日本画に比べると、墨色と他の色彩が混ざって、画面が濁った感じのする作品が多く、あまり好きになれないなあ、と思う。色がきれいだと思ったのは、溥儒(溥心畬、愛新覚羅の一族)の作品。「南張北溥」と、張大千と並称されることもあるそうだ。その張大千も、へえ、こんな作品があるのか、というような艶麗な美女を描いた扇面図『竹窓仕女図』が出ていた。
どことなく日本人好みの『山水図』があって、作者を見たら、清末の政治家・翁同龢(おうどうわ)だったのには驚いた。趣味の域を出ないんだろうけど、遠景の山容のぼかしかたなど、巧いと思う。
各作品のキャプションを読んでいくと「光緒年間の進士、最後は狂死」とか「国民党と共産党の政争に連座し、歴史から抹殺された」とか、例によって、中国近代史の過酷さを感じさせる。
※付記。気になった「江川コレクション」を調べてみたら、旧蔵者の江川淑夫氏は、私の父親と同じ会社にいた時期があることが判明した。機会があったら、知っているか、聞いてみようかな…。