見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

あこがれの仏跡ガイド/天竺へ(奈良国立博物館)

2011-07-20 23:13:34 | 行ったもの(美術館・見仏)
奈良国立博物館 特別展『天竺へ~三蔵法師3万キロの旅』(2011年7月16日~8月28日)

 大阪の藤田美術館が所蔵する国宝絵巻『玄奘三蔵絵』全12巻の全場面を、前後期で公開する展覧会。昨年9月、藤田美術館で、初めて『玄奘三蔵絵』を見て、もっと多様な場面を見たいなあ、と思っていた矢先だったので、すごくうれしい。

 見どころは、何といっても鮮やかな色彩。さらに、登場人物が身にまとう衣服は、趣向を凝らした文様に飾られている。動物文あり、草花文あり、星座文(?!)あり。狩野一信の『五百羅漢図』でも、衣服や調度の文様の多様さに驚いたが、あれは決して「空前」ではなかったんだな、と思う。

 それから、登場人物の容貌と表情の描き分け。うーん、すごい。よく見ると、隅々の小者までキャラが立っていて、それぞれ「小芝居」をしている。パレードに参加する象や馬の1頭1頭まで、見交わす視線が意味ありげだ。階段の下であくびをする男の口からは、のんびりした稲妻のような墨線が引かれていて、言葉にならない「ふあ~ぁ」という声が聞こえてきそう。現代マンガと同じ表現をするんだなあ。

 私は、もっと玄奘の苦難が描かれた絵巻かと思っていたが、そうでもなかった。「西遊記」の(もしくは「西遊妖猿伝」の)相次ぐ危機と苦難のイメージに毒されすぎだろうか。以下はメモ。

巻1=幼少期、旅立ち、石槃陀に馬を貰う
巻2=玉門関、沙漠、高昌国
巻3=高昌国、亀茲国、雪山越え、鉄門、北天竺
巻4=仏跡を拝す、中天竺、河で海賊に遭う
巻5=舎衛国、祇園精舎跡地、鹿野園
巻6=正法蔵に瑜伽論を学ぶ、ナーランダ寺
巻7=戒日王が正法蔵に小乗僧と議論する僧の派遣を求める、玄奘が名乗り出るが延期となる
巻8=玄奘は鳩摩羅王の招請に応じる、戒日王が玄奘と鳩摩羅王を王城に招く
巻9=戒日王の無遮大施
巻10=長安に帰国、経典の翻訳始まる
巻11=唐太宗崩御、翻訳完成
巻12=玄奘の死、葬儀、後日談

 苦難と言えるのは、沙漠~雪山越えと巻4の海賊くらい。実は、巻3の後半で、早くも天竺に到着すると、楽しそうな仏跡巡礼が始まる。さすがに玄奘の表情は真剣だが、付き添う従者の僧侶は、無邪気な観光客っぽい。絵巻を見た人々も、インドの観光案内を眺めるような気持ちで、胸をときめかせたのだろうか。

 巻8~9は、華やかなパレードと祭典(無遮大施)の描写で、僧侶たちに美麗な袈裟が与えられる図が面白いと思った。戒日王(ハルシャ・ヴァルダナ)が、着ていた衣服を脱いで僧侶に施すシーンは、感動のクライマックスなんだけど、ちょっと笑ってしまった。

 このほか、藤田美術館の名宝である奈良朝写経の『大般若経(魚養経)』387巻を一堂に展示。地味だけど、こういうのは、なかなか見る機会がないので好きだ。東博の笈を背負った『玄奘三蔵像』も展示されているが、この夏、流行のレギンスにサンダルみたいな足元に笑ってしまった。

 「西遊記への道のり」のセクションでは、玄奘三蔵伝から、私たちのよく知る「西遊記」誕生までを、戯曲や説話の版本と図像で振り返る。このへんは、むかし、中野美代子先生の研究を夢中で読んだ。『安西楡林窟壁画(第2窟 水月観音図)』(薬師寺蔵)は、久しぶりに見る。岩の上の取経僧と並んで、サル顔の行者が描かれているのを、中野美代子先生の本の口絵で見て、ホンモノを(できれば敦煌まで行って壁画を、叶わなければ模写でも)見たいと、どれだけ願ったことか!

 法隆寺蔵『五天竺図』は初見だと思う。日本人が描いた最古の世界地図。うう、面白い! いちばん古い甲本は後期展示。いちばん古いと言っても「本図の制作年代については、鎌倉時代前期から江戸時代まで研究者の意見が分かれている」というから、まだ分からないことが多いようだ。大雪山の隣り、蚊取り線香のようにとぐろを巻いた水源は何だろうとか、いろいろと気になる。複製パネルの上に、旅する玄奘のシルエットを映写する演出もよかった。
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地域の名刹/甚目寺観音展(名古屋市博物館)

2011-07-20 20:36:13 | 行ったもの(美術館・見仏)
名古屋市博物館 仁王像修復記念『甚目寺観音展』(2011年7月16日~8月28日)

 週末は、祇園祭とあわせて、大阪→京都→奈良→名古屋をまわってきたので、遡及的に記録を起こしていく。まず、名古屋から。私と逆まわりの関西周遊に出かけた友人から「面白かった」というメールが入ったので、急遽、予定変更して、最終日に寄ることにした。

 甚目寺観音(鳳凰山甚目寺)は、愛知県あま市にある真言宗智山派の寺院。と聞いても、全然分からなかった。そもそも「じもくじ」が読めなかったし、2010年、平成の大合併で誕生した「あま市」がどこなのかも、他県の人間にはピンと来なかった(どうして郡名「海部」をひらがなに直すかな)。なので、会場入口のパネルを眺めて、まず地図上の位置を確認。なるほど、名古屋市の北西部に接しているのか。

 甚目寺は、お伽草子「うばかわ」の舞台であり、一遍聖絵にも登場する古刹である。同寺所蔵の境内絵図、参詣曼陀羅、戦国武将の朱印状や書状が多数展示されていて、興味深かった。仁王像からは、福島正則の奉納を示す墨書が見つかっている。塔頭の光明寺は、豊臣秀吉が日吉丸と呼ばれた頃、修行を積んだ寺と言われているが、そのわりに関係する遺品は少ないそうだ。

 ポスターの迫力ある仁王像2体も、会場で見ることができるが、本当の主役は、愛染明王坐像(鎌倉時代)だろう。憤怒像にしては品のある穏やかな表情で、福耳が目立つ。1996年のファイバースコープ調査によって、胎内に球形の納入品が確認されていたが、今回の解体修理で取り出したところ、容器の内側から、フィギュアのような超小型の愛染明王坐像(五指愛染と呼ぶそうだ)が発見された。か、かわいい…。市博物館のサイトの写真だと、カプセルの内側および像の表面は黄みがかった朱色だが、肉眼では、もう少し青みを帯びた紅色で、紺や緑の宝珠をつないだ瓔珞、線香花火を散らしたような袴の截金文様、蓮弁の桃色のグラデーションなど、芸が細かい(会場内パネルの拡大写真で確認)。修理完了後は、再び愛染明王坐像の胎内に収める予定なので、これを見られるのは「今だけ」だという。見に来て、よかった!

 なお、ほぼ完成した像に間隙材を入れて、体躯に厚みを持たせ、ふくよかでゆったりした様子に変更されているというのも面白かった。

 それと、めずらしかったのは、十王像+脱衣婆像。付属品として「業(ごう)の秤」があって、後ろ手に縛られた人間と山を、てんびん秤の左右に吊るしたものが供えられている。この造形が、思わず噴き出すくらい、オカシイ。

愛知の霊場(個人ブログ):尾張四観音、いずれはまわってみたい。
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