○根津美術館 コレクション展『古筆切 ともに楽しむために』(2011年7月13日~8月14日)
有無を言わせぬ名品がどーんと出ていて、ああ~いいな~(ヨダレ)という展覧会かと思ったら、マジメに勉強になる展覧会だった。初心者はもちろん、私のように、長年、古筆好きを名乗っているくせに、本当は分からないことが多い者にも、ありがたい企画である。
まず、古筆とは何か、という問いに答えて、切断以前の全形(歌合・歌集・経・消息など)が示される。明恵さんの消息は、そうか、先週、奈良博の『天竺へ』で『大唐天竺里程書』を見たから、記憶に新しかったんだな。フェルトペンで書いたような、癖のつよい、カクカクした大きな字である。
続いて、掛物と手鑑。『手鑑文彩帖』は菓子箱というか、千両箱みたいに嵩高い。「重要美術品」に指定されているが、根津美術館は、展示のために、昭和60年代に31葉を剥がして掛物に改装したという。比較的近年でも、そういうことをするんだな、と驚く。
以下は、いよいよ著名な古筆切(名物切)を、「命名の由来」によってグループ分けして展示する。たとえば、「書風・料紙の特徴」であったり「所持した人物」であったり「伝来した家・社寺・土地」など。手鑑の最初を飾る「大聖武」は、文字が大きく立派なところから、仏教を深く信仰した聖武天皇に「仮託」されたという説明を読んで、「伝」って、そういう含意だったのか、と納得。次に貼られることの多い「蝶鳥下絵経切」も、繊細優美な書風を光明皇后の筆に「見立て」るのだという。
やっぱり「西本願寺本三十六人歌集」はいいな~。38冊を20人が分担執筆したと考えられているそうだ。昭和4年に西本願寺が分割売却した「貫之集 下」と「伊勢集」が「石山切」。前者は、はっきり藤原定信筆と判明しているので、この展覧会では「伝」を付けない。「若さあふれる奔放な書風が見どころ」という。伝・藤原公任筆「伊勢集」の落ち着いた書風と並ぶとよく分かる。
「岡寺切」は、やはり西本願寺本の「順集」から江戸時代に流出したもので、定信筆。これも奔放かつ爽やかな書風が魅力的。「とこなつの つゆうちはらふ よひごとに くさのかうつる わがたもとかな」という夏の夜の和歌にふさわしく、濃い藍色の染紙に散らした金銀砂子が、星空か、乱舞する蛍のようにも見える。
細かいことだが、根津美術館の展覧会トップページ(2011/7/26現在)を見ると、古筆の世界では「本願寺本」っていうのか。和歌文学の世界では、必ず「西本願寺本」と言っていたように思う。それから「岡寺切」の写真キャプションに「伝 藤原公任筆」とあるけど、これ違うよな…出品リストは「藤原定信筆」になっているし。
後のほうに登場する「戸隠切」は、法華経の断簡だが、仮名文字か?というような癖の強い書風で、定信の書に近似し「定信様の写経の典型」とされるそうだ。今回は、とにかく定信の名前と書風はしっかり覚えた。定信の息子・伊行の字も「戊辰切」(和漢朗詠集)で見たが、定信ほど癖のない素直な書風だった。
定信とは真逆に、ゆったりと鷹揚な書風がいいなと思ったのは「今城切」(古今和歌集)だが、筆者が藤原教長と知って驚いた。「国宝『伴大納言絵巻』の詞書と同筆である」という解説にも。あ~言われてみれば、見覚えがある。比較的、現代人にも読みやすい仮名だと思う。Wikiを見たら、教長は能書家で、佐理の書風を好んでいたのか。政治家として歴史で覚えたり、歌人として文学史で覚えた人物の真筆を見るのは、なんだかヘンな感じだ。
展示室5「文字のある器」では、呉州青絵の『赤壁賦文鉢』がほしい。同じく『天下一銘皿』もほしい。展示室6「涼みの茶」では、膳所焼の『井筒』(蓋置)(※訂正あり)がよかった。
※7/30追記:部屋に掛けている「古筆カレンダー 2011」(毎年、東博のミュージアムショップで買っている)今月の写真が、よく見たら「二荒山本後撰和歌集」で藤原教長の筆だった。
有無を言わせぬ名品がどーんと出ていて、ああ~いいな~(ヨダレ)という展覧会かと思ったら、マジメに勉強になる展覧会だった。初心者はもちろん、私のように、長年、古筆好きを名乗っているくせに、本当は分からないことが多い者にも、ありがたい企画である。
まず、古筆とは何か、という問いに答えて、切断以前の全形(歌合・歌集・経・消息など)が示される。明恵さんの消息は、そうか、先週、奈良博の『天竺へ』で『大唐天竺里程書』を見たから、記憶に新しかったんだな。フェルトペンで書いたような、癖のつよい、カクカクした大きな字である。
続いて、掛物と手鑑。『手鑑文彩帖』は菓子箱というか、千両箱みたいに嵩高い。「重要美術品」に指定されているが、根津美術館は、展示のために、昭和60年代に31葉を剥がして掛物に改装したという。比較的近年でも、そういうことをするんだな、と驚く。
以下は、いよいよ著名な古筆切(名物切)を、「命名の由来」によってグループ分けして展示する。たとえば、「書風・料紙の特徴」であったり「所持した人物」であったり「伝来した家・社寺・土地」など。手鑑の最初を飾る「大聖武」は、文字が大きく立派なところから、仏教を深く信仰した聖武天皇に「仮託」されたという説明を読んで、「伝」って、そういう含意だったのか、と納得。次に貼られることの多い「蝶鳥下絵経切」も、繊細優美な書風を光明皇后の筆に「見立て」るのだという。
やっぱり「西本願寺本三十六人歌集」はいいな~。38冊を20人が分担執筆したと考えられているそうだ。昭和4年に西本願寺が分割売却した「貫之集 下」と「伊勢集」が「石山切」。前者は、はっきり藤原定信筆と判明しているので、この展覧会では「伝」を付けない。「若さあふれる奔放な書風が見どころ」という。伝・藤原公任筆「伊勢集」の落ち着いた書風と並ぶとよく分かる。
「岡寺切」は、やはり西本願寺本の「順集」から江戸時代に流出したもので、定信筆。これも奔放かつ爽やかな書風が魅力的。「とこなつの つゆうちはらふ よひごとに くさのかうつる わがたもとかな」という夏の夜の和歌にふさわしく、濃い藍色の染紙に散らした金銀砂子が、星空か、乱舞する蛍のようにも見える。
細かいことだが、根津美術館の展覧会トップページ(2011/7/26現在)を見ると、古筆の世界では「本願寺本」っていうのか。和歌文学の世界では、必ず「西本願寺本」と言っていたように思う。それから「岡寺切」の写真キャプションに「伝 藤原公任筆」とあるけど、これ違うよな…出品リストは「藤原定信筆」になっているし。
後のほうに登場する「戸隠切」は、法華経の断簡だが、仮名文字か?というような癖の強い書風で、定信の書に近似し「定信様の写経の典型」とされるそうだ。今回は、とにかく定信の名前と書風はしっかり覚えた。定信の息子・伊行の字も「戊辰切」(和漢朗詠集)で見たが、定信ほど癖のない素直な書風だった。
定信とは真逆に、ゆったりと鷹揚な書風がいいなと思ったのは「今城切」(古今和歌集)だが、筆者が藤原教長と知って驚いた。「国宝『伴大納言絵巻』の詞書と同筆である」という解説にも。あ~言われてみれば、見覚えがある。比較的、現代人にも読みやすい仮名だと思う。Wikiを見たら、教長は能書家で、佐理の書風を好んでいたのか。政治家として歴史で覚えたり、歌人として文学史で覚えた人物の真筆を見るのは、なんだかヘンな感じだ。
展示室5「文字のある器」では、呉州青絵の『赤壁賦文鉢』がほしい。同じく『天下一銘皿』もほしい。展示室6「涼みの茶」では、膳所焼の『井筒』(蓋置)(※訂正あり)がよかった。
※7/30追記:部屋に掛けている「古筆カレンダー 2011」(毎年、東博のミュージアムショップで買っている)今月の写真が、よく見たら「二荒山本後撰和歌集」で藤原教長の筆だった。