見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

マジメにたのしむ/古筆切(根津美術館)

2011-07-26 23:20:53 | 行ったもの(美術館・見仏)
根津美術館 コレクション展『古筆切 ともに楽しむために』(2011年7月13日~8月14日)

 有無を言わせぬ名品がどーんと出ていて、ああ~いいな~(ヨダレ)という展覧会かと思ったら、マジメに勉強になる展覧会だった。初心者はもちろん、私のように、長年、古筆好きを名乗っているくせに、本当は分からないことが多い者にも、ありがたい企画である。

 まず、古筆とは何か、という問いに答えて、切断以前の全形(歌合・歌集・経・消息など)が示される。明恵さんの消息は、そうか、先週、奈良博の『天竺へ』で『大唐天竺里程書』を見たから、記憶に新しかったんだな。フェルトペンで書いたような、癖のつよい、カクカクした大きな字である。

 続いて、掛物と手鑑。『手鑑文彩帖』は菓子箱というか、千両箱みたいに嵩高い。「重要美術品」に指定されているが、根津美術館は、展示のために、昭和60年代に31葉を剥がして掛物に改装したという。比較的近年でも、そういうことをするんだな、と驚く。

 以下は、いよいよ著名な古筆切(名物切)を、「命名の由来」によってグループ分けして展示する。たとえば、「書風・料紙の特徴」であったり「所持した人物」であったり「伝来した家・社寺・土地」など。手鑑の最初を飾る「大聖武」は、文字が大きく立派なところから、仏教を深く信仰した聖武天皇に「仮託」されたという説明を読んで、「伝」って、そういう含意だったのか、と納得。次に貼られることの多い「蝶鳥下絵経切」も、繊細優美な書風を光明皇后の筆に「見立て」るのだという。

 やっぱり「西本願寺本三十六人歌集」はいいな~。38冊を20人が分担執筆したと考えられているそうだ。昭和4年に西本願寺が分割売却した「貫之集 下」と「伊勢集」が「石山切」。前者は、はっきり藤原定信筆と判明しているので、この展覧会では「伝」を付けない。「若さあふれる奔放な書風が見どころ」という。伝・藤原公任筆「伊勢集」の落ち着いた書風と並ぶとよく分かる。

 「岡寺切」は、やはり西本願寺本の「順集」から江戸時代に流出したもので、定信筆。これも奔放かつ爽やかな書風が魅力的。「とこなつの つゆうちはらふ よひごとに くさのかうつる わがたもとかな」という夏の夜の和歌にふさわしく、濃い藍色の染紙に散らした金銀砂子が、星空か、乱舞する蛍のようにも見える。

 細かいことだが、根津美術館の展覧会トップページ(2011/7/26現在)を見ると、古筆の世界では「本願寺本」っていうのか。和歌文学の世界では、必ず「西本願寺本」と言っていたように思う。それから「岡寺切」の写真キャプションに「伝 藤原公任筆」とあるけど、これ違うよな…出品リストは「藤原定信筆」になっているし。

 後のほうに登場する「戸隠切」は、法華経の断簡だが、仮名文字か?というような癖の強い書風で、定信の書に近似し「定信様の写経の典型」とされるそうだ。今回は、とにかく定信の名前と書風はしっかり覚えた。定信の息子・伊行の字も「戊辰切」(和漢朗詠集)で見たが、定信ほど癖のない素直な書風だった。

 定信とは真逆に、ゆったりと鷹揚な書風がいいなと思ったのは「今城切」(古今和歌集)だが、筆者が藤原教長と知って驚いた。「国宝『伴大納言絵巻』の詞書と同筆である」という解説にも。あ~言われてみれば、見覚えがある。比較的、現代人にも読みやすい仮名だと思う。Wikiを見たら、教長は能書家で、佐理の書風を好んでいたのか。政治家として歴史で覚えたり、歌人として文学史で覚えた人物の真筆を見るのは、なんだかヘンな感じだ。

 展示室5「文字のある器」では、呉州青絵の『赤壁賦文鉢』がほしい。同じく『天下一銘皿』もほしい。展示室6「涼みの茶」では、膳所焼の『井筒』(蓋置)(※訂正あり)がよかった。

※7/30追記:部屋に掛けている「古筆カレンダー 2011」(毎年、東博のミュージアムショップで買っている)今月の写真が、よく見たら「二荒山本後撰和歌集」で藤原教長の筆だった。
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新たな中世へ/大学とは何か(吉見俊哉)

2011-07-26 01:14:27 | 読んだもの(書籍)
○吉見俊哉『大学とは何か』(岩波新書) 岩波書店 2011.7

 ずっと考え続けてきたことに、ひとつの「解」を与えてもらったような気がする本だった。今日、大学はかつてない困難な時代にある。そのことは、別に大学の運命など気にする必要のない、一介の事務職員にすぎない私でさえ、肌身にしみて感じている。教育学者、ジャーナリスト、有識者から一般人まで、大学について幅広い議論が巻き起こる中で、本書は、敢えて「大学とは何か」という最も根本的な命題に挑んでいる。

 私の整理では、本書の内容は、おおよそ三分される。第1章と第2章は、西洋における大学史。12世紀後半から13世紀初頭の中世ヨーロッパにおける大学の誕生。しかし、都市=移動の時代が終了すると、大学は「第一の死」を迎える。16世紀以降は、印刷術に媒介された知のネットワークが、大学を凌駕する知の拠点を形づくっていく。19世紀、国民国家の形成を急務としたドイツにおいて、大学は、教育と研究の一致という「フンボルト理念」によって「第二の誕生」を果たす。この影響は、英米圏、そして日本のような非西欧社会へと伝わった。

 中世の大学について、私は阿部謹也氏の『大学論』を思い出しながら読んだ。もう少し新しい時代の大学については、潮木守一氏の『世界の大学危機』とか、長谷川一氏の『出版と知のメディア論』で学んだことも多かった。

 第3章と第4章は、日本における大学史であるが、その前史として、幕末の「自由に浮動する」知識人=志士たちの活動に着目し、近代日本の大学は、制度以前に、1850年代に生まれていたともいえる、と著者が述べていることは興味深い。しかし、1886年、国家エリートの養成機関として構想された「帝国大学」の誕生によって、状況は一変する。このあたりは、著者もたびたび引用している天野郁夫氏の『大学の誕生』や、立花隆氏の『天皇と東大』に詳しい。さらに本書は、1949年の新制大学の発足、1968-69年の学生反乱が、以後の教育行政に及ぼした影響について述べる。

 第4章の後半以降は、ページ数としてはわずかであるが、現在の大学が直面している困難に直接かかわる諸問題(大網化・重点化・法人化)について、要点を語る。私は、現代思想2008年9月号「特集・大学の困難」から教えられたことが多い。

 と、敢えて、思い当たる関連文献をずらずらと並べてみたのは、西洋史における・日本近代史における・そして現代社会における大学は、いずれも語り始めれば切りのない大問題であるにもかかわらず、それらを一気に束ねてしまう、本書の「力技」を実感したかったためである。

 しかも、本書の記述は、単に先行研究の反復的な紹介にとどまらない。中世ヨーロッパの大学を語っては、自由な知識人アベラールが、学生たちを熱狂させ、今日のサンデル教授の「ハーバード白熱教室」に似た状況を生み出していた様子を、生き生きと描き出す。日本の占領期の教育改革の研究は、90年代以降、資料の発掘によって「劇的ともいえる変化」が生じていることを紹介し、大学への一元化を主軸とする改革政策が、占領軍の「押しつけ」ではなく、むしろ日本側の積極的な関与があったことを述べる。特に注意すべきは、同時代の大物リベラリストが旧制高校維持に傾いていたのに対し、一元化を推し進めた「南原繁の謎」であるという。あ、その前に、森有礼と福沢諭吉の対比とか、明治期工学教育におけるスコットランド・モデルの重要性もおもしろい。

 とにかく「大学とは何か」という問いを投げかけたあと、本書は、12世紀のヨーロッパから現代日本まで、長い長い旅路に読者を連れ回す。思考の持久力がないと、途中でへたってしまいそうだが、最後まで付き合ってみる価値はある。遍歴の最後に、現在の状況に有効に介入し得る新しい大学概念を「歴史と未来の中間地点に立って」再定義することを、著者は宣言する。

 今日、必要とされているのは、国民国家(=近代)の退潮に合わせた大学概念の再定義である。私たちの時代は16世紀に似ていなくもない。「時代はむしろ近代からより中世的な様相を帯びた世界に向かっている」と著者は言う。なるほど、納得である。ええ、中世?と困惑を感じた方には、私の読書歴から、山本義隆氏の『一六世紀文化革命』をおすすめしたい。本書でも論じられているけど、中世は、かつて考えられていたような暗黒一辺倒の時代ではない。

 現実に、大学が新しい時代に適応するには、まだ時間がかかりそうだ。「最大の理由は、事務組織や職員の意識と能力が新しい体制に追いついていない点にある」という著者の指摘は厳しい。だが、どうか私のつまみ喰い的な要約でなく、本書それ自体を読んでほしい。もっと丁寧な分析や、示唆に富む指摘が随所にあるからである。

 「21世紀半ばまでに、大学は退潮する国民国家との関係を維持しつつも、それらを超えたグローバルな知の体制へと変貌していくだろう」という著者の予言の成否を見ることができるかどうか、私には微妙なところだ。同世代の著者も同じ気持ちだろう。それでも、後継世代に期待し、未来に向かって明るい祝福の言葉を投げてくれる著者を、何というか、ありがたいと思う。

吉見俊哉「メディアとしての大学」/連続講義『日本の未来、メディアの未来』(2010年11月23日、13:00~)
けっこう重なる内容だった。
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