見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

中高年は中国に向かう/北京食堂の夕暮れ(沢野ひとし)

2014-05-18 13:05:50 | 読んだもの(書籍)
○沢野ひとし『北京食堂の夕暮れ』 本の雑誌社 2014.3

 著者の沢野ひとしさんは、私より半世代(15年)くらい年上のはずである。私が学生だった1980年代前半、「本の雑誌」のイラストや椎名誠エッセイの登場人物として、親しくお名前に接していた。

 あれから30年近く経って、久しぶりに書店で沢野さんの著書と巡り合った。「北京食堂の夕暮れ」? オビには「中国路地裏歩き」とある。巻頭のカラーページには水彩画(むしろ彩色墨画)タッチで北京の街角や生活風景を描いたイラスト。いつの間に、沢野さん、中国に関心を向けるようになられたのか、と訝りながら読み始めた。

 私の不審を打ち砕いたのが、まえがきに当たる「中国へ行こう」の短章である。高校時代、漢文の時間が苦痛でならなかった沢野少年は、図書館で借りた本に「楓橋夜泊」の漢詩を見つけ、意味も分からず心惹かれて手帳に書き写した。しかし「楓橋夜泊」という漢字すら、どう読んでいいのか分からない。そこで書店に行って、漢詩の易しい入門書を探していた。

 「漢詩、漢詩」とつぶやきながら入門書を探していると「漢詩はいい、奥が深い」という野太い声がして、父親くらいの世代の和服の紳士が立っていた。著者が手帳の漢詩を見せると、紳士は読み方と意味を教えてくれて、ミルクホール風の喫茶店で紅茶とサンドイッチをご馳走になった。何を話していいか分からず、戸惑う高校生の著者を相手に、紳士はビールを飲みながら「中国は魅力ある大陸(ダール)だよ」とつぶやく。

 …つくられたドラマのようなエピソードであるが、たぶん1960年代には、まだこういう異世代の出会いがあってもおかしくなかった、と思う。特に書店や図書館は、本を介した出会いの場だった。いま、書店や図書館が交流の「場」づくりに積極的になっているけど、もともと、その下地はあったのだと思う。

 そして、1960年代から70年代には、同時代の中国の混乱にもかかわらず「中国は魅力ある大陸だよ」とつぶやく大人がまだ市井のあちこちにいた。私もそうした前世代に影響された一人である。私の場合は発症が早くて、学生時代から中国の歴史や文化に一定の関心を持ち続けてきたが、著者のように、中国と何らかかわりのない潜伏期間を経て、中高年以降に関心が表面化するケースもあるのだな、と感慨深く思った。いま、嫌韓、嫌中の文脈でしか隣国を見られない若者の行末はどうなるのだろう、と案じられる。

 あとがき「もう一度、北京へ行こう」によると、著者が中国、とりわけ北京に行き始めたのは、2010年秋、中国漁船が日本の巡視船に衝突し、中国各地で反日デモが起こり、日本から中国への旅行者が激減した頃で「ひねくれ者だからか、逆にこういう時こそ中国へ行こうと」中国に通い始めたという。もはや西安、洛陽、開封なども訪問済みらしい。そのあたりは別著があるのだろうか?

 本書の著者は「何度目かの北京を訪れた」というように、かなり北京および中国事情に通じた旅行者として登場する。北京には顔なじみの友達(日本で暮らしたことのある中国人チェリスト)もいる。ただし、妙に中国通ぶった「裏事情」の話題はない。本書の中で著者が訪れる先は、天壇公園、紫禁城、長城などの有名観光地である。けれども、天壇公園といえば写真うつりのよい祈年殿よりも空白の聖地・圜丘壇(かんきゅうだん)で、著者はここで、早朝「三跪九拝」の祈りを捧げてみたという。スタンダードな観光ガイドからは完全にはみ出した、自由な中国の楽しみ方が語られている。ゆっくり深く楽しむ大人の海外旅行はこうでないと。

 著者いわく「私が中国に惹かれるのは、あの大雑把でおおらかで、時にいいかげんなところである」。これは100パーセント同意。たぶん「時にいいかげん」を気持ちよいと感ずるタイプは、本質的に中国文明との相性がいい。それから「中国の老人は生きることを最大限に楽しんでいる」というのも同意で、高齢化の進行という点では、日本も中国も同じ問題を共有しているのだが、深刻度は日本のほうが高い気がする。生活の豊かさの水準と、生活を楽しめるかどうかの水準は別物であるから。

 イラストレーターを本業とする著者らしく、毛沢東の片腕であった康生の書作品や、中国の春宮画(日本でいう春画)に関する段も興味深かった。台湾紀行もあり。それから、私の好きな大室幹雄の中国史シリーズ『劇場都市』『桃源の夢想』『園林都市』に言及があったのも嬉しかった。現在は入手が容易でない本だが、読み継がれてほしいと思っている。
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2014年4~5月:行ったもの落穂ひろい日記

2014-05-17 22:45:31 | 日常生活
 5月7日、京都→東京→埼玉で所用の合間を縫って、吉祥寺のリベストギャラリー創の江口寿史『キングオブポップ(予告編)展』(2014年5月1日~7日)を見に行った。埼京線の時刻表を調べて、お!これなら吉祥寺に行ける!と喜んだのもつかの間、私が吉祥寺に滞在できるのは11:00~12:00の間で、ギャラリーの開廊時間は12:00だったので、ウィンドウの写真のみ。



 5月10日、朝日新聞北海道支社の創立55周年記念・国際問題講演会『世界の中の日本 国際社会の中で問われる役割』(講師:姜尚中氏)を聴きに行った。情に棹差さず、学識をてらわず、分かりやすい話だった。

 5月11日、映画『悪夢ちゃん The 夢ovie』を見て来た。テレビシリーズと同じ大森寿美男さんの脚本に満足。小中学生に囲まれて映画を見るというのは、めったにない体験だった。後日、できれば詳しいレビューを書きたいと思っている。

 5月15日、東京出張の移動日が、想定外に空いてしまったので、フォトグラファー渡邉肇氏による『人間浄瑠璃 写真展第1回 文楽至宝尽(ぶんらくしほうづくし)の段』(2014年5月10日~5月23日)を見に行く。会場はお茶の水のEspace Biblio(エスパス・ビブリオ)というブックカフェ内のギャラリー。小さな会場で、30点ほどの白黒写真が展示されている。人形遣いと人形の2ショットに通い合う情愛がなんとも言えない(勘十郎さんとキツネとか)。圧巻は住大夫さんの写真で構成されたスライドショー(ほとんど顔の大写し、たまに床本に添えた手先のカットなどが入る)。稽古の鬼、芸の鬼とはよく言ったもので、慶派の仏像みたいな迫力があった。↓写真は、会場の入口。



※おまけ。4~5月に行った黒川古文化研究所、大和文華館、泉屋博古館の3館連携『松・竹・梅』展のスタンプラリー用紙。全部回ったという自己満足のため。


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2014年5月@関西:京都春季非公開文化財特別公開ほか

2014-05-16 21:25:56 | 行ったもの(美術館・見仏)
まだ連休最終日(5/6)のレポート。今年(平成26年度)の『京都春季非公開文化財特別公開』は、あまり惹かれる寺院がなかったのだが、いくつか回ることにした。

大徳寺(京都市北区)本坊

 昨年秋「曝涼(むしぼし)」を見に来た大徳寺本坊を再訪。あのときは各室に入り込んで、所狭しと掛け並べられた書画を貪るように眺めてまわった。そのとき、書画の軸の下に隠れた襖絵も、きっと文化財なんだろうな、と思っていたが、八十三面ある襖絵は全て狩野探幽の作品だという。今回は、廊下から行儀よく室内の襖絵を眺める。方丈前庭の唐門を、庭の外側から近寄って眺められるようにしたのは初めての試みとのこと。華麗で見惚れた。「門に上がれるんですか?」と馬鹿な質問をして、案内の学生さんを困惑させてしまったのは、大徳寺三門(金毛閣)と勘違いしてのこと。ところで、10人前後で申し込むと通常非公開の三門に上げてもらえる、という情報を見つけた。仏友を集めて、なんとかならないかな…。

■妙蓮寺(京都市上京区)

 長谷川等伯一派による襖絵を所蔵。申し訳ないが、敢えて見に行くほどの作品ではない。

尊勝院(京都市東山区)

 粟田口の細い坂道を抜けていくと、高台に小さなお堂がある。寺号の「尊勝」は鳥羽法皇から賜ったもの。本尊は元三大師(良源)像。「米地蔵(よねじぞう)」は平安朝初期の穏やかな地蔵菩薩立像。溌剌とした尼さんが堂守をしていて、ご朱印を書いてもらうとき「やっぱり人と喋るのはいいわね。仏さんも喜んでいらっしゃるわ」とおっしゃっていた。ふだんも外陣までは拝観できるそうだが(内陣は私ひとりだけのものよ、とも)拝観者はそんなに多くないのだろう。

知恩院(京都市東山区)大方丈・方丈庭園

 目玉は三門公開と思われたが、一度上ったことがあるので、今回は方丈と方丈庭園だけにしておく。襖絵は狩野尚信筆「松鶴図」。板橋区立美術館の『探幽3兄弟』で尚信について学んだばかりなので、じっくり見る。庭園の池には、襖絵と同じ灰色っぽい鶴(マナヅル?クロヅル?)がいて、面白かった。

京都市美術館 コレクション展第1期『恋する美人画-女性像に秘められた世界とは』(2014年4月5日~5月11日)

 特別公開寺院めぐりを適当に切り上げ、京都市美術館に寄る。この美術館、なんだか大仰な開催趣旨を掲げた展覧会が目立つのだが、展示自体は、それとは関係なく面白い。

 最後に、広島・厳島神社から始まった連休旅行の〆めなので、平家一門の屋敷跡でもある六波羅蜜寺に寄って、関西観光を終わりとする。
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2014年5月@関西:南山城の古寺巡礼(京都国立博物館)+チベットの仏教世界(龍谷ミュージアム)ほか

2014-05-12 23:23:55 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都国立博物館 特別展覧会『南山城の古寺巡礼』(2014年4月22日~6月15日)

 南山城、すなわちいまの京都府南部、木津川流域の寺院に伝えられた仏像・工芸品・書跡・絵画などを紹介する展覧会。この地域は、交通の便がよくなかったり、拝観に予約が必要な寺院が多いので、なかなか訪ねる機会がないが、けっこう好きだ。

 仏像だけかと思っていたので、冒頭に椿井大塚山古墳出土の三角縁神獣鏡(四神四獣鏡)や高麗寺跡出土の瓦など、考古資料が豊富に展示されているのを興味深く眺める。その後は、ひとつずつ寺院を取り上げていく。最初は海住山寺。小柄でシャープな十一面観音立像や四天王像はもちろん来ていらっしゃる。解脱上人貞慶の画像も懐かしく眺める。続いて磨崖仏のある笠置寺。ここは気になりながら、まだ行ったことがない。『笠置寺縁起絵巻』は同寺に伝わる室町時代の絵巻で、見た記憶がない作品だったが、すごく楽しい。1巻ずつ展示替えなんてケチなこと言わないで、全部見せてくれればいいのに。

 浄瑠璃寺と岩船寺を経て、順路中央の大展示室に入る。まず南山城の寺院や史跡の写真があって、その中に宇治田原町の信西首塚があったのにはハッとした。ここも行ってみたい。私は孫の貞慶上人の肖像を見ると、信西もこんな顔立ちかなあと考える。あと橘諸兄も、この地域を語るとき、忘れてはならない人物だ。

 大展示室には、仏像の名品が集められており、最もよいポジションをもらっているのが寿宝寺の千手観音立像。規格化された多くの脇手が、きれいな円を描いている。脇手以外の六臂、特に腹の前で碗を捧げ持つ二本の腕の曲線も円弧を強調しているようだ。寿宝寺には一度だけ行ったことがあって、三山木の駅から近い便利な場所にあったこと、自然光の下でしばらく拝観させていただいたあと、小さなお堂(収蔵庫)を暗くすると、赤い唇が浮き上がるようで、驚くほど印象が変わったこと(ね、がらりと変わりますでしょ、と案内のおじさんが嬉しそうだった)、ご朱印をお願いしたら、いや書けるかな、と困った顔をしながら書いてくださったことなどを断片的に覚えている。

 禅定寺(宇治田原町)というお寺の、文殊菩薩騎獅像、地蔵菩薩踏下像、十一面菩薩立像はどれもよかった。特に文殊菩薩を乗せた、坊主頭みたいな獅子はあまりにも異相。ううむ、このお寺も行ったことがない。神童寺(木津川市)も、古拙でいい仏像があるなあ。いま、場所とアクセスを確認しながら書いている。

 蟹満寺の銅像釈迦如来、観音寺(大御堂)の十一面観音立像は、ちょっと期待していたのだが、写真パネルしか来ていなかった。やむなし。最後は酬恩庵一休寺。原在中の絵がこんなに伝わっているとは知らなかった。

龍谷ミュージアム 『チベットの仏教世界 もうひとつの大谷探検隊』(2014年4月19日~6月8日)

 西本願寺の第22代宗主・大谷光端の命を受け、チベットで長期の留学生活を送った青木文教(あおき ぶんきょう、 1886-1956)と多田等観(ただ とうかん、1890-1967)に関する写真・資料、ゆかりの仏像・仏画など展示。見ものは、ダライラマ13世から多田等観に贈られた『釈尊絵伝』25幅だろう。あまりに色彩が鮮やかなので、19-20世紀の作品かと思っていたら、17世紀頃のものだという。チベット仏教美術の年代推定は全然できないな。多田等観の資料は、戦時中、弟が住職をしている寺に疎開させていた関係で、花巻市美術館に伝わっているそうだ。奇縁を感じる。

大阪歴史博物館 特別展『上方の浮世絵-大坂・京都の粋(すい)と技(わざ)』(2014年4月19日~6月1日)

 前日、見損ねた展覧会がどうしても気になるので、もう一回大阪に戻って見て行くことにした。一般に「浮世絵」というと、江戸で活躍した葛飾北斎や歌川広重、東洲斎写楽などが描いた「江戸絵」が想起されるが、これは18世紀末に大坂や京都で生まれた「上方絵」の展覧会。「美人画はあまりなく、作品の多くが役者絵だった」「役者を美化した江戸の作品とは異なり、写実的に描く特徴がある」というのは、展覧会サイトの解説。なるほど。私は、最も「江戸絵」らしい国芳の作品が大々好きであることはひとまず置き、全般的にいうと、当時の美意識で理想化された美女・美男子揃いの「江戸絵」よりも、どこか癖のある上方の役者絵のほうが好きかもしれない、と思った。

 古代の難波宮から近代の大大阪まで。駆け足で見た常設展示も面白かった。大阪の歴史、もっと知りたい。
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2014年5月@関西:松(黒川古文化研究所)+山の神仏(大阪市美)

2014-05-12 01:46:27 | 行ったもの(美術館・見仏)
黒川古文化研究所 第111回展観『松-美と徳の造形』(2014年4月19日~5月18日)

 三館(黒川古文化研究所、大和文華館、泉屋博古館)連携企画『松・竹・梅』展をこれでコンプリート。しかし、他の二館で押してもらったスタンプラリーのシートを、この旅行には忘れてきてしまった。別に賞品のミュージアムグッズのために回ったんじゃないもんと冷静を装いながら、ちょっと悔しい…。

 松の描き方は、竹・梅に比べて、はっきりした流派というか沿革があるのが面白かった。まず唐風の松は、枝の上に笠状の葉群が乗った松。北宋の李郭派は松葉を車輪形に描き、これが南宋の院体画を経て、明の浙派、日本の室町時代に影響を与える。一方、笠形の松は豊かな茂りを表現しやすいため、後世も吉祥画などで用いられた。なるほど、私にとって「描かれた松」の原体験は、栄太郎飴の商標や錦松梅の包み紙、千歳飴の紙袋など、いずれも「笠形の松」だったなあ、と思いながら展示を見る。

 作品では大和文華館で何度も見てきたはずの『聴松図巻』の左端の蔦の靡き方、松の枝のたわみ方に初めて目が行き、風の存在を感じ取る。おじさんのひとりピクニック『坐石聴松図巻』もよいなあ。文人は竹も聴くが、松も聴くのだ。室町時代の水墨画『松雪山房図』は、格調高い賛の戒めに比べて、やや稚拙な絵なのが微笑ましくて、好きになった。あと日本には、絵画・文学ともに「姫小松」(子の日の松)を愛でる伝統があるが、これは中国や朝鮮にはないのかな?というのが気になっている。

大阪市立美術館 特別展『山の神仏(かみほとけ)-吉野・熊野・高野』(2014年4月8日~6月1日)

 行こう!ということは早くから決めていたが、どのくらいの規模の展覧会なのか、詳しい情報を入手できていなかった。それで、午後の早い時間に入れば、もう1ヶ所回れるかも、などと甘いことを考えていたら、とんでもなかった。1階の左右が「吉野・大峯」と「高野山」、2階の片側が「熊野三山」で、全館の4分の3を使っている。出品総数150点(ただし30点程度は展示替えあり)。ポスターのビジュアルが彫刻作品だったので、彫刻中心に考えていたら、絵画や工芸、考古資料も豊富だったのは嬉しすぎる誤算。

 まず「吉野・大峯」に入って、多数の蔵王権現像(等身大以上の巨像はなし)、役行者像を見る。上目づかいの前鬼、寄り目の後鬼は、玉眼の使い方にも芸が細かい。後鬼の足指の曲げ方、前鬼の肩の後ろの筋肉の盛り上がりなどにも感心する(この展覧会は、360度全方向から見られる彫像が多い)。

 大和文華館所蔵『大峯山全図』で気になったのは、見たことのある「南葵文庫」(旧紀州藩主・徳川頼倫が設立した私設図書館)らしき所蔵印が押されていたこと。あとで図録解説を確かめたら、やっぱりそうだった。吉野曼荼羅図は、南北朝(14世紀)~室町(15世紀)時代の作品が多く出ていたが、衣冠束帯の男神像は正体を定めがたいところがあるようだ。

 そして、単独の和装の女神像『吉野子守明神像』に再会して驚く。2013年の『大神社展』のメインビジュアルだった女神像だ。南北朝時代(14世紀)。しかし、もっと古い時代の図像は唐風装束が一般的で、近世にはまた唐風装束に戻っているので、何かこの南北朝時代って、思想的に特殊だったのかなあ、と考えさせられた。

 桜本坊に伝わる釈迦如来坐像(白鳳時代)は小さな金銅仏だが、たっぷりしたロングスカートみたいな下半身が珍しく、改鋳?と疑ったが、図録解説には「白鳳期造像の多様性を示す異色な作例として重要」とあった。吉野水分神社の獅子・狛犬は賢そうで強そう。金峯山寺の聖徳太子像と二王子像(山背大兄王、殖栗王と言われる)は、厳しい怒りを含んだ表情で怖い。これも鎌倉という時代が作り出したビジュアルか。

 「高野山」は、初めに四社明神を中心とする神像(絵画)。埼玉・法恩寺(越生町)に和装・横向きの丹生明神(女神)を描いた絵画が伝わっていることに驚く。金沢文庫所蔵の『金剛峯寺地形図』も、東国人として、なんとなく懐かしく眺める。三谷薬師堂の木造女神坐像・童形神坐像と瓜二つの銅像には覚えがあった。2012年、和歌山県立博物館の『高野山麓 祈りのかたち』でも見たもの。慈尊院の『弥勒菩薩像』(絵画)は、細い三日月眉、赤い唇が優しい女人を思わせる。

 仏像では、僧形の『伝龍猛菩薩立像』(和歌山・泰雲院)が印象的。解説に「平安時代の僧形像あるいは地蔵菩薩像には、本像をはじめとする異形とも称すべき造像がみられる」という。私が思い出したのは、奈良博によく出ている弘仁寺の明星菩薩像。画像検索してみたけど、少し表情が似てないかな…。天野社伝来のスリムな大日如来坐像も好きだ。同じ天野社伝来でも、両頭愛染明王坐像は、肩の上に愛染明王と不動明王の両頭を並べる異形仏。そんなに古くないだろうと思ったら、解説に「平安時代に真言宗の僧侶によって新しく作られた明王像」とあって、十分古い。

 ここまででぐったり消耗したので、カフェで一息(昼食抜いていたし)入れて、最後の「熊野」に臨む。神像多数。熊野参詣曼荼羅、熊野観心十界図のバリエーションが楽しい。参詣曼荼羅には、那智の瀧が必ず右端に描き込まれており、そのそばにあるのが金色の日輪であることを思うと、根津美術館の『那智瀧図』に描かれているのは、やっぱり日輪(太陽)じゃないかなあ、と思った。

 「熊野」第1室に入ると、細長い会場の出口の奥に、第2室に据えられた熊野速玉大神坐像の姿が見えていて、ドキリとする。そして、暗い通路をくぐって、その正面に進み出るのは、かなり勇気がいる。なんだか冥界の王ハデスに魅入られて、冥府に下りていくようで、足取りがふわふわしてしまった。そのくらいの迫力と魅力を感じる展示だった。余計な背景(色)とか装飾・解説を、一切剥ぎ取ったところがいいのだろう。

 あと気になったのは、和歌山・阿弥陀寺の釈迦如来立像。袖の中で両手を拱手している? 最後に、以前から見たかった京都・檀王法林寺の『熊野権現影向図』が見られて満足。見たい見たいと思っていると、思わぬところでかなうものだ。
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2014年5月@関西:厳島詣(広島・宮島)

2014-05-10 18:58:55 | 行ったもの(美術館・見仏)
 連休後半は関西で遊んでこようと決めていたが、いつも京都・大阪・奈良では芸がないので、ちょっと足を延ばす方法がないかを考えた。金曜の夕方、いつもより少し早い出発だが、札幌→広島の便がある。これを利用し、連休初日は厳島詣に決めた。

 宮島へは子供の頃に一度、大人になってから一度行ったことがあり、どちらも宮島口からフェリーに乗った。今回は、平和記念公園と宮島を結ぶ高速遊覧船を利用することにする。乗船場に行ってみると、朝の2便はすでに満席だったので、しばらく周辺を散策する。実は原爆ドームを間近で見るのは初めてのこと。緑陰にほどよく隠されていて、古代遺跡みたいに美しい。



 宮島までは45分。海上に出てしばらくすると「このあたりから、むかし清盛さんが難波の港を出て厳島神社に向かったときと同じ航路をたどります」という説明があって、周囲の島影を眺めながらしみじみする。宮島の眺望は進行方向に向かって左側のほうがよい。

 宮島桟橋付近の清盛像。最近、建立されたものだそうだ。



 潮はかなり満ちていた。小舟が近づくと、鳥居の巨大さが分かる。



 いいな~この社殿光景。よくこんな発想をし、実際に形にしたなあと思う。
 


 社殿に奉納されていた清酒「清盛」は、広島県音戸町の榎酒造のお酒。2012年には大河ドラマにあやかって、新しいラベルも作ったらしいが、この平治物語絵詞そのままの商標が、歴史好き・文化財好きには嬉しい。女官に扮した二条天皇が逃走する場面。



 宝物館、清盛神社、大聖院などをうろうろして、弥山(みせん)にも登ってみようと思い、ロープウェー駅に行ってみたら、びっくりするような大混雑。整理券を配るなど、対応はしっかりしていたが、乗車できるまで30分くらい待たされた。途中に乗り換え駅があって、ここでまた30分待ち。こんなに並んだのは、中国・華山(かざん)のロープウェー以来である。でも頂上(付近)から見下ろした瀬戸内海の美しかったこと。



 弥山(みせん)ロープウェーに時間を取られて、豊国神社(千畳閣)に戻ってきたときは、もう公開終了時刻の16:30になってしまった。残念! ここの雰囲気も大好きなのに。

 最後に、ドラマのワンシーンみたいな防波堤の光景。



 帰りはフェリーで宮島口へ。広島から新幹線で移動して大阪泊。翌日に備える。
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2014年4月@東京:法隆寺-祈りとかたち(東京藝大美術館)ほか

2014-05-09 22:59:23 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京藝術大学大学美術館 東日本大震災復興祈念・新潟県中越地震復興10年『法隆寺-祈りとかたち』(2014年4月26日~6月22日)

 前日の東博に続き、再び上野へ。公式サイトは「法隆寺の至宝を総合的に紹介する、東京では約20年ぶりの大規模な展覧会」をうたっているが、先に見て来た友人は「スカスカだよ」とあまりよい評価を下していなかった。展示品リストを見ると、まあそうかなと思ったが、「岡倉天心にはじまる東京藝術大学とのかかわり」をひもとくという視点が面白そうなので、いちおう見てきた。

 冒頭から、岡倉天心の調査ノートと今に伝わる仏像・書画を対比させた展示になっているのが興味深い。自分のための覚え書きだからか、率直に「二級品」と記載されている寺宝もあって、天心先生、口が悪い、と苦笑してしまった。二曲一隻の『蓮池図』(鎌倉時代または南宋)は、奈良博などで見た覚えがあって、私の好きな作品。たおやかに揺れる蓮の花群の蔭にオシドリとサギがつがいで隠れている。天心のノートに「蓮ノ線金岡風アリ」という。巨勢金岡のことだろうが、どのへんをいうのだろう。

 東京美術学校および東京藝術大学の関係者が制作した法隆寺ゆかりの美術品をまとめて見る、というのも面白い体験だった。平櫛田中制作の聖徳太子摂政像は、法隆寺に奉納されている。彩色は前田青邨。森鳳声制作の聖徳太子摂政像は、尺を片手に持って掲げるポーズが変わっている。石帯の留め方も他と違う(背中で曲げて帯に挟まない)。

 和田英作の『金堂落慶之図』は、まず、帯とか袈裟とか香炉とかの小道具に、正倉院宝物や法隆寺献納宝物の実在の品のイメージを利用しているのが面白い。もうひとつ、登場人物にはきっとモデルがいるんだろうな、と思って、図録の解説を読んでみたら、聖徳太子を先導する止利仏師は高村光雲、太子は徳川頼倫、蘇我馬子と思われる人物は東京美術学校の校長・正木直彦という説があるそうだ。

 しかし一番驚いたのは、鈴木空如による『法隆寺金堂壁画模写』。私は初めて知ったが、鈴木空如は秋田県大仙市の生まれ、明治から昭和初期にかけて活躍した仏画家。法隆寺金堂壁画には、東京美術学校関係者を中心とした、公的プロジェクトとしての模写制作(集団制作)が何度か行われているが、空如は明治末から昭和初期にかけて、三組の模写を全てひとりで完成させたという。こういう画家がいたんだなあ…。背景を含めた壁全体の現状模写ではなくて、尊像だけを切り取るように模写しているので、その姿が把握しやすい。作品は郷里の大仙市に所蔵されている。いろいろ調べたら、2011年3月18日から大仙市で「鈴木空如模写・法隆寺金堂壁画展」が開催される予定だったが、直前の大震災で中止になっている。ともかくも作品が無事で、こうして公開に至ってよかった。

■東京藝術大学大学美術館・陳列館 『別品の祈り-法隆寺金堂壁画-』(2014年4月26日~6月22日)

 藝大に法隆寺展を見に行くなら、忘れず訪ねてほしいのが、こちらの展示(無料)。1949年に焼損した法隆寺旧金堂壁画を、最先端の複製技術(立体感のある和紙に複写する)と人の手+芸術的感性(藝大生が自ら彩色)をミックスして、全面原寸大で復元し、展示する。展示室に入ったときの息を呑むような感動は圧倒的。これまで絵葉書や画集では気づかなかった細部が、いろいろ目に入って面白い。線の消えかかった象の姿とか、足元のイヌらしき小動物とか。朱塗りの扉にも、うっすら絵の痕跡が見える。

 文部科学省および科学技術振興機構「革新的イノベーション創出プログラム(COI STREAM, COI-T)」の研究課題だという。めったにしないことだが、この研究補助に関しては、文部科学省に感謝。受付の方に「この展示期間のあとはどうするんですか?」と聞いてみたら、「しばらく海外に持っていく話もありますが、その後はまた公開したいと思っています」とおっしゃっていた。東京でも奈良でもいいので、常設で公開してもらえたら、何度でも行くなー。

東京都美術館 特別展『バルテュス展』(2014年4月19日~6月22日)

 久しぶりに「洋もの」も見ていこうと思い、東京都美術館にまわった。私が、挑発的でエロティックな少女像を描く画家バルテュスを知ったのは、80年代の初め、澁澤龍彦のエッセイによる。実はそれしか知らなかったので、『朱色の机と日本の女』のような日本美術(浮世絵)の影響の見られる作品(それにしても浮世絵の造形感覚から離れすぎ!)があったり、晩年は山間の田舎町に隠棲して農村風景を描いていたことなど、感慨深かった。比較的有名な『地中海の猫』が、パリのシーフード・レストランの店内装飾のために描かれたというのも初耳。なんだか嬉しかった。

三菱一号館美術館 『ザ・ビューティフル-英国の唯美主義 1860-1900』(2014年1月30日~5月6日)

 1月末からやっている展覧会だから、もう空いているだろうと思ったが、まだ入場規制をされるくらい賑わっていた。日本人の好みに一致するところがあるのだろう。実際、70~80年代の少女マンガで育った私には、懐かしく、分かりやすい「美の世界」であるような気がする。しかし、英国美術史における「唯美主義」の立場が本当に分かるかといえば、自信はない。約束事や物語を離れて、ただ美のための美を描くというけれど、日本人である私は、「唯美主義」の作品にも物語性や神話性を感じてしまい、それが伝統的絵画とどう違うのか、実はよく分からない。可愛い女性から反抗的で意志的な女性へ、という転換は、確かに表面的には感じられる。漱石の女性像もこういう思潮の影響のもとに現れるのだろうな。
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2014年4月@東京:栄西と建仁寺(東京国立博物館)

2014-05-09 22:56:03 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館・平成館 開山・栄西禅師 800年遠忌 特別展『栄西と建仁寺』(2014年3月25日~5月18日)

 京都最古の禅寺・建仁寺を開創した栄西禅師(1141-1215)の800年遠忌にあわせ、栄西ならびに建仁寺、さらに全国の建仁寺派の寺院などが所蔵する宝物を一堂に集めた展覧会。

 まず導入部でインパクトのある肖像彫刻と向き合い、そうそう、栄西禅師といえばこの平たい頭頂部、と思い出す。また、この展覧会では、典拠に基づき、栄西を「ようさい」と読む、という説明を読み、ふむふむと納得。ふと後ろを振り返ったら、巨大な展示ケースの中に、寺院の方丈内部らしい空間が再現されていて、その規模にびっくりした。

 毎年4月20日、栄西禅師の生誕の日に行われる四頭茶会(よつがしらちゃかい)の空間を再現したものだという。襖絵に囲まれた室内の正面には、栄西像と龍虎図を掛ける。三幅対の前の卓上には銅製のいわゆる三具足。手前に、もう一つ螺鈿の卓があって、どっしりした円筒形の青磁香炉が載っている。また、縁高の丸い盆に、使い込まれた天目茶碗が無造作に並び、銅製のポット(浄瓶)の細長い注ぎ口には、茶筅がひっかけてあった。

 実際の四頭茶会の様子がモニタに映し出されている。4人の主客(四首頭)が32人の相伴客に給仕するのか。給仕役として動き回るのは全てお坊さん。お茶受けはピリ辛の蒟蒻と紅白の菓子。客が捧げ持った天目茶碗に茶筅を差し込んで掻き混ぜ、片手でお茶を点てる。不作法なようだが、これが作法だという。初めて見る光景で、短いビデオを食い入るように眺めてしまった。

 さて、少し心を落ち着けて、栄西禅師に関する資料を見て行く。仁安3年(1168)平家の庇護のもと、半年足らずではあるが南宋に留学(厳島神社造営の年だ)。清盛の死後、衰退する平家に代わるパトロンを見つけ、文治3年(1187年) 再度の入宋を果たす。いつの時代も交渉力や現実的な世渡りの才覚がないと、高僧にはなれないんだなあ。

 建仁寺派の僧侶たちの名宝では、一山一寧の墨蹟『雪夜作』(建仁寺蔵)に惹かれた。私好みの軽やかな草書。いま展示図録を見ていると、私の見たかった書画作品は前期に多かった気がする。うう、ちょっと残念。狩野山楽の淡彩墨画『四季耕作図』はよかったけど、色数の多い『狩猟図』が見たかったな。どちらも正伝院の襖絵。肖像彫刻は多数出ていたが、どれも足元に「沓」が置いてなかったのは何故なんだろう。

 建仁寺本坊方丈の障壁画は海北友松筆。前後期に分けて展示されており、後期は「雲龍図」が二匹揃いで登場。阿吽である。爪は三つなんだな。方丈の中央(室中)を飾る「竹林七賢図」は左半分だけだが、ん?四頭茶会の再現展示なら全部見られるのかな?と思い、もう一度、会場の冒頭に戻ってみたが、やっぱり全部は見られなかった(再現展示は、部屋の奥行きを半分にしてある)。

 仏像はそんなに多くなかったが、六道珍皇寺の小野篁像が出ていたのが珍しかった。江戸時代の作だが、押し出しが立派でよい。付属の冥官像と獄卒像もよい。照明の効果で玉眼の金目が妖しく、不敵に光る。道教系の絵画を数多く持っていたり、かなり不思議なお寺なのは、やっぱりパワースポットなのだろうか。

 友人から、宗達の『風神雷神図屏風』は最後だよ、と聞いていたので焦りはしなかったが、到達したときは、ああやっと、という気持ちだった。いつまで眺めていても飽きないけれど、逆に、いつでも頭の中にある作品。満足々々。
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2014年4月@東京:平成26年 新指定 国宝・重要文化財など(東京国立博物館)

2014-05-08 22:14:43 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館・東洋館8室(中国の絵画/中国の書跡)『文人たちの肖像』『漢時代の書』(2014年4月1日~5月11日)

 4月28日に特別展『キトラ古墳壁画』を見たレポートは書いたとおりだが、この日は終日、東京国立博物館で過ごした。まず東洋館。

 『文人たちの肖像』は、中国絵画の鑑賞者であり、制作者でもあった文人たちが、理想の自己イメージを表現したもの、という説明がついていたが、その中に愛らしい「美人図」も混じっている。ううむ、文人たちが表向きの書斎に掛けたのは隠逸・清雅な文人図や高士図だったのかな。それじゃ「美人図」はどこで楽しんだろう?などと考えてみる。清・王素筆『棚荳閑話図』(19世紀)は、ヘチマ(?)の棚下に椅子を並べて夕涼みする人々の姿を描いていて、久隅守景の『納涼図屏風』を思い出した。上半身裸のおやじは、今の中国の街角でもよく見る。

 金箋紙というのだろうか、鈍く輝く扇面にやわらかな色彩で描かれた扇面図がいくつか出ていて、どれも美しかった。同じ扇面でも、日本の、たとえば琳派などとは異なる美意識。でもどちらも捨てがたい。

 書は全て拓本。隷書きれいだな~と思って端から見始めたら、新しいもの→古いものを見て行く順路になった。次第に隷書と篆書が入り混じり、特異で奇怪な書体があらわれる。行きついた先にあったのは「開通褒斜道刻石」。8行ずつ2面の拓本に取られている。じっと見ていると、奇怪な文様の中から、見慣れた文字が現れるのが不思議。

■本館 8室・11室 『平成26年 新指定 国宝・重要文化財』(2014年4月22日~5月11日)

 前日会った友人から「今年は点数が多い」ことと「いつもの特別1室・2室ではなく、平常陳列の中で展示している」という情報を聞いていなかったら、かなり戸惑ったかもしれない。11室(彫刻)は、京都・蓮華王院(三十三間堂)の千手観音像3体を除き、彫刻・伎楽面など新指定文化財の10件を展示していた。

 奈良・当麻寺の木造十一面観音立像は口元の微笑が印象的。頭上面が大きくて、1つ1つに表情がある。髪は肩に垂らす。側面から見たスカート(裳)の細かい立襞が美しかった。滋賀・九品寺(甲賀市?)の木造観音菩薩立像は「近江らしい観音様だな~」と思ってしまった。膝を軽く曲げ、流れるような動きを表現する。丸顔、小柄だが、筒型の冠によって高さが強調されている。大分・羅漢寺の石仏も指定になったらしいが、これは写真パネルだけだった。

 14室の特集『舞楽面と行道面』やら、16室から15室に移った記録資料(歴史の記録)やら、18室(めずらしく上村松園筆『焔』公開)やらを覗き、2階の7室(屏風と襖絵)で尾形光琳筆『風神雷神図屏風』を見て、8室へ。新指定の後半はこの部屋。『六百番歌合』(最古写本)『遊仙窟残巻』(最古写本、なぜか天野山金剛寺所蔵)『慈鎮和尚夢想記』『慈鎮和尚伝』など興味深い文献資料が並ぶ中で、やっぱり関心を引いたのは『後白河院庁下文』(永暦元年/1160)。「太宰大弐平朝臣」の文字の下に平清盛が花押を据えている。平頼盛、平時忠の名前も見える。

 ほかに、考古資料の「一括」指定や『武雄鍋島家洋学関係資料』一括、北海道の『開拓使文書』や東京の『東京府・東京市行政文書』は、いちおう数量が明示されているとはいえ、一括指定に近く、今年は例年より分量が多いように感じた。急にどうしたんだろう? 正当な理由があるのなら、もちろん喜ぶべきことなんだけど。

 とりあえず一休止。
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2014年4月@東京:春の江戸絵画まつり(府中市美)+のぞいてびっくり江戸絵画(サントリー)ほか

2014-05-08 20:58:15 | 行ったもの(美術館・見仏)
府中市美術館 企画展『春の江戸絵画まつり-江戸絵画の19世紀』(2014年3月21日~5月6日)

 連休が終わり、美術館等の連休企画もだいぶ終わってしまったが、見てきたものについて書いておく。この展覧会は、3月に前期を見に行ったのだが、4/27に後期再訪。西洋の学問や絵画技法の影響を受けた作品という視点では、後期のほうが面白かったように思う。

 安田雷洲の『捕鯨図』は、異様な形で屹立する島嶼(鯨の顔にも見える)の前方に帆船と鯨と、鯨に挑むボートの人々を小さく描く。安田田騏(やすだでんき、1784-1827)の『異国風景図』は、異人を乗せた後姿の白象が、波止場から海を眺めている情景。「海を眺めている」と書いたけれど、象の頭部は描かれていない。陰鬱なブルーの海が夢幻的で、シュルレアリスムの絵画みたいである。ふと、若冲の『象と鯨図屏風』の、おおらかで愉快な白象の表情を思い出した。若冲作品のほうが早くて、そんなに時代は離れていないんだな。安田田騏は亜欧堂田善の弟子だという。

 亜欧堂田善の作品をたくさん見ることができたのも嬉しかった。久しぶりに見た『甲州猿橋之眺望』は落ち着いた色合いが好き。『琴士渡橋図』は知らない作品だった。伝統的な主題を伝統的な技法で描いているようで、確かに構図が新しい。渡辺南岳という画家も知らなかったけど、『芸者と若衆図』は現代のマンガ家が描きそうな、ちょっとステキな男女図。

サントリー美術館 『のぞいてびっくり江戸絵画-科学の眼、視覚のふしぎ』(2014年3月29日~5月11日)

 「遠近法」「鳥瞰図」「顕微鏡」「博物学」「影絵・鞘絵・鏡・水面」など、視覚にかかわるキーワードに即して、江戸絵画を見ていく。それほど新しい発見はなかったが、府中市美術館と共通する画家やテーマが多くて楽しめた。小田野直武の『富嶽図』に描かれた橋が、亜欧堂田善の『甲州猿橋之眺望』に似ていることに気付いたりした。司馬江漢の『犬のいる風景図』のわんこ可愛い。

 絵画作品よりも、私は江戸時代の顕微鏡や望遠鏡に興奮した。大阪歴史博物館所蔵の屈折望遠鏡(複数のレンズを組み合わせるタイプ)は「箱書きによれば」オランダから幕府に献上され、幕府から大阪の天文学者・間重新(間重富の息子)に貸与されたものだと解説にあったが、なぜ箱を展示しない! イギリス製の反射望遠鏡も間家に伝来。さらに、彦根城博物館所蔵の、国友一貫斎作の国産反射望遠鏡。これらは天体観測用なので三脚台が付いているが、長筒タイプの望遠鏡も、長大なものからコンパクトタイプまで何本かあった。顕微鏡は1737年頃のイギリス製品(金属製)が伝わり、1800年代には日本製品(木製)が作られている。早い!

 江戸絵画の視覚の問題は、春画をからめると、より面白いんじゃないかと思ったけど、それは展覧会にはできないかな。ショップで、図録とともに「かるかや」図柄の手ぬぐいを購入。新商品らしい。

根津美術館 特別展『燕子花図と藤花図-光琳、応挙 美を競う』(2014年4月19日~5月18日)

 根津美術館には、昨夏以来、行っていなかったので、久しぶりに行ってみたくなった。しかし、この時期は駄目。同館コレクションでも人気随一の光琳筆『燕子花図』が出ているから、というより、むしろ庭園のカキツバタ目当てで訪れるお客さんが多いのではないかと思う。私は、美術館では沈黙を守れとは言わないが、あまりに度を過ぎて館内がざわざわしていると、消耗してしまう。大好きな『藤花図』を、次はいつ見られるか分からないので悲しかったけれど、早々に退散することにした。

五島美術館 『館蔵 春の優品展-歌・詩歌の世界-』(2014年4月5日~5月11日)

 根津美術館を出てもまだ時間があったので、五島美術館へ。人気の高い『源氏物語絵巻』は4/29からの展示なので、まだそんなに混んでいないに違いない、と判断した。正解。古筆、歌仙絵、物語絵など、見慣れたコレクションであるが、何度見てもよいし、落ち着く。高野切の第一種、第二種と無心で向き合う時間の至福。庭園の花木も美しかった。人が押しかける展覧会ばかりにならないよう、こういう空間も守ってほしい。
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