見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2020年9月関西旅行:聖地をたずねて(京都国立博物館)再訪

2020-09-15 21:56:46 | 行ったもの(美術館・見仏)

京都国立博物館 西国三十三所草創1300年記念特別展『聖地をたずねて-西国三十三所の信仰と至宝-』(2020年7月23日~9月13日)

 金曜の午後に国立劇場で文楽を見たあと、新幹線で京都入り。駅前のビジネスホテルに泊まって、土曜は朝から展覧会巡りに出かけた。京博の『聖地をたずねて』は再訪になる。8月に前期を見に来たときは人が少なかったが、今回は入館に15分ほど待たされた。とはいえ、いつもの特別展に比べればずっと空いているし、会話を控えているので、展示室が静かで快適である。

 後期出品を見逃さないよう展示リストをチェックしながら、2階から見ていく。前期も、あまり見る機会のない縁起絵巻を面白いと感じたが、後期の展示も楽しめた。『壺坂観音縁起絵巻』(江戸時代)では、大蛇の生贄とされた娘の身代わりになった姫君が法華経を読誦して大蛇を昇天させる。姫君が観音の化身かと思ったが、解説を読み直したら、姫君は弁財天の化身で、大蛇が壺阪観音の化身だった。海面(?)から大蛇(ほぼ龍)が出現するところは、岩佐又兵衛ふうにスペクタクル。次の場面、法華経の功徳で回心した大蛇は柔和な顔をしている。『石山寺縁起絵巻』巻二にも、歴海和尚の読経を聴こうとして池の中から龍王たちが次々に上ってくるシーンがあり、赤い龍、白い龍、緑の龍などが描かれている。しかも読経を終えた和尚をおぶって送ってくれるんだ。かわいい。

 土佐光信筆『清水寺縁起絵巻』巻下は、大蛇(角がある)に襲われた僧侶が山門の天王を寄進しますと祈ったら助かったという霊験譚で始まる。僧侶をぐるぐる巻きにする大蛇、斜面を去っていく大蛇の描写が面白い。あと、貴人の葬送の場面で、牛車に従う男たちが烏帽子に白いハチマキをしているのは、いつの時代の風俗なのだろう。伝・住吉如慶筆『播州書写山縁起絵巻』は、きらきらした金砂子をふんだんに用いた豪華な作品。桜と天女のシーンが美しかった。

 参詣曼荼羅もずいぶん入れ替わっていて、後期を見に来た甲斐があった。桃山時代の『清水寺参詣曼荼羅図』(個人蔵)は、左下隅の五条大橋に弁慶と牛若丸の姿が描かれている。この図は、建物の立体感や遠近感にあまり狂いがないことに感心した。『中山寺伽藍古絵図』(江戸時代)は、川筋や山の尾根など地形をある程度写実的に描いた境内絵図に、参詣曼荼羅ふうの伽藍が嵌め込まれている変わり種。よく見ると天界も地獄も描かれている。『松尾寺参詣曼荼羅図』(室町時代)も同様に、青葉山の景観に伽藍が嵌め込まれているが、三頭身くらいの小さな人々の描き方など、古拙で素朴。

 ここで3階へ。六道絵、餓鬼草紙などが出ていたが、紀三井寺の『熊野観心十界曼荼羅図』(江戸時代)、微妙にゆるくていいなあ。鬼も亡者も、見れば見る程かわいい。1階は、仏画を中心にチェック。兵庫・一乗寺の『不空羂索観音像』(鎌倉~南北朝)は大きくて美麗。観音を囲む四隅の四天王像の甲冑の彩色、截金がほぼ完璧に残っている。松尾寺の『普賢延命菩薩像』は、後期、これを見るために来たと言っても過言ではない、大好きな作品。普賢菩薩の母性的でおだやかな丸顔、赤い唇と肩にかかる黒髪の妖艶さ。なのに画面の下半分は、対照的に荒ぶる異形の白象。

 最後に仏像にも後期のみ出品が1躯だけあることを確認して探しに行った。粉河寺の本堂背面に置かれている裏観音だという。粉河寺には何度か行っているが、全く記憶になかった。千手観音立像だが、もとは聖観音か十一面観音だった可能性が指摘されているそうだ。斜め後ろにまわってみると、背中に背負ったランドセルのようなものから脇手が生えていることが分かる。脇手の持物は、後補が多いのか、なんとなく安っぽさがある。しかしそんな改変も気にしないような、穏やかな表情はなかなかよい。

 本展は、たぶん展示品の九割以上が、博物館や美術館の所蔵ではなく、寺社の宝物だった。全て見ようと思えば、数少ない公開日に各地の寺社を訪ねてまわらなければならないところ、こうした機会をつくってもらえて本当によかった。

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デマから出た心中/文楽・鑓の権三重帷子

2020-09-13 23:59:18 | 行ったもの2(講演・公演)

国立劇場 令和2年9月文楽公演(2020年9月11日、13:45~)

・第2部『鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)・浜の宮馬場の段/浅香市之進留守宅の段/数寄屋の段/伏見京橋妻敵討の段』

 この前、文楽を見たのは今年の2月、新型コロナの感染拡大が問題になり始める直前だった。ようやくこぎつけた再開、9月6日に第3部のチケットを取っていたのに公演中止で行けなかったことは先日の記事のとおり。この日は、何十年ぶりかで平日に休暇をとって第1部と第2部を聴きに行く予定だった。ところが午前中よんどころない仕事が入ってしまい、泣く泣く第1部のチケットを無駄にした(リベンジ予定)。そして、ようやく客席に辿り着いたのが第2部。長かった。

 入場時には検温。座席はソーシャルディスタンス確保のため、1つ置きに客を座らせる。満員でも通常の50パーセントしかお客が入らないが、いつもの公演に比べると、それ以上に空席が目立った。あと、久しぶりに平日に来て、やっぱり平日の客層は年齢が高いことを感じた。

 『鑓の権三』は2回くらい見た記憶がある。このブログに記事がないのでずいぶん前のことだ。文化デジタルライブラリーの公演記録を検索して、1995年と1999年かなと思った。どちらもおさゐは文雀さんが遣っている。本作の主要登場人物は全て酉歳で、浅香市之進が49歳、その女房のおさゐが37歳、娘のお菊は13歳。お菊の婿に迎えるつもりが、おさゐと「不義」の汚名を着せられてしまう権三は25歳という設定である。文雀さんのおさゐは(見ていた私が若かったこともあり)落ち着いた人妻が、運命の罠にはまっていく感じだったが、今回、吉田和生さんのおさゐは、ところどころ動作が早くて、娘らしさが抜け切らない印象だった。まあ数えの37歳だもの、若くて全然おかしくない。

 浜の宮馬場の段は、あまり記憶になかったのだが、遠景の馬場を駆ける馬を小さな紙人形で表す演出が面白かった。数寄屋の段で、障子に映るおさゐと権三の影が意味ありげに見えたり、生垣に四斗樽を突っ込んで抜け道をつくり、おさゐと権三がその中を通り抜けようとする「二つ頭に足四本」のシーン(実は同時に人形を突っ込むわけではないのだが、詞章が印象的なので「足四本」を見たつもりになっていた)とか、いろいろ工夫があって面白い。伏見京橋妻敵討の段も、お囃子の喧騒が高まり、踊り手たちが通り過ぎていく橋の下で二人が殺されるという演出がカッコよくて、初見のとき夢中になった覚えがある。

 妻敵を討たなければいけなくなった市之進が、心中葛藤する場面があったように記憶しているのは、今回省略された岩木忠太兵衛屋敷の段かもしれない。おさゐと権三は不義密通を犯していないのに、帯を盗られて進退窮まってしまう。フェイクの誹謗中傷に絶望する現代人みたいである。おさゐは、心に秘めた権三への憧れがあったように描かれているが、権三には迷惑な話だろう。しかし権三に同情が湧かないのは、美男ではあるが、真実のないダメ男に描かれているためである。

 数寄屋の段は咲太夫さんの出演予定だったが病気休演のため織太夫さんが代演。浅香市之進留守宅の段から連続でつとめた。疲れを微塵も感じさせない熱演だった。

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更紗の魅力を併せて/至高の陶芸(五島美術館)

2020-09-09 23:53:31 | 行ったもの(美術館・見仏)

五島美術館 開館60周年記念名品展IV『至高の陶芸-日本・中国・朝鮮-』(2020年8月29日~10月25日)

 コロナ禍からの復活第二弾は陶芸名品展。前回は、玄関前に職員の方が待っていて検温を求められたが、今回は入口に見慣れない装置が設置されていて、センサーの前に手首を差し出すと検温結果が表示される。また装置の下に手を差し入れると消毒液が噴霧される。おおー未来的!と(言うほどでもないが)感心した。

 会場には日本・中国・朝鮮のやきもの約60点が並ぶ。鼠志野茶碗『銘:峯紅葉』や古伊賀水指『銘:破袋』、信楽一重口水指『銘:若緑』などは同館でおなじみの名品。初見ではないが、今回あらためて、いいなあと思ったのは古九谷(青手)の『色絵山水文大鉢』。色も形も抽象化された山水図で、皿の中心に向かって深く落ち込んでいくような、遠近感の強調が面白いと思った。

 伯庵茶碗(所有者・曽谷伯庵の名前からこう呼ばれる。瀬戸茶碗と考えられているが窯跡は分かっていない)『銘:冬木』と『銘:朽木』が出ていて、特に前者の大ぶり(うどんも食べられそう)なところが好きになった。「冬木」は材木商の冬木家からついた銘だというが、冬木小袖、冬木弁財天(深川七福神)の冬木か。

 中国のやきものでは、南宋の『青磁鳳凰耳瓶(砧青磁)』が美しいなあと思った。かたちが同タイプでも色味が違って、もっと緑が強いものもあるが、これは水色(空色)に近い。汝窯水仙盆を思い出すミルキーな青。むかしは、緑の強い青磁が好きだったのだが、だんだん好みが変わってきた。『青花樹鳥図大壺』は景徳鎮の民窯。短くなった箒(またはハタキ)のような柳、どこを見ているのか分からない鳥の顔など、素朴な絵付けがかわいい。磁州窯の優品も見ることができて満足。

 朝鮮のやきものでは、朝鮮時代の『白磁辰砂蓮花文壺』がよかった。辰砂というけれど、ピンク色のインクで描いたように見える。

 展示室2は何だっけ?と考えながら行ったら、更紗の特集だった。いくつかの更紗手鑑のほか、実際に同館コレクションの収納に使われている包み袋・包み裂が展示されていた。鼠志野茶碗『峯紅葉』の包み裂は『黄色縞小花文様西欧更紗』で、名前どおり、赤地に黄色のチロリアンテープみたいなストライプがものすごく可愛い。オランダ製の生地だという。黄瀬戸茶碗『柳かげ』の包み裂は『緑地七面鳥文様西欧更紗』で大きくてリアルな七面鳥のプリントがユニーク。イギリス製。

 本展に出ていない作品の包み裂もあって、『白地小花文様西欧更紗畳紙』は、三十六歌仙『猿丸太夫像』に付属する。細かいチェック柄の升目のひとつひとつに、薔薇の蕾のようなピンク色の小花が配されている。秩仕立て。あの鬼神のように恐ろし気な猿丸太夫像が、こんな可愛い外箱に収まっているのかと思うと少し幸せな気分になる。インド更紗の『縞手更紗畳紙』は赤と青のシャープなストライプ。長方形の箱に仕立てられていて、伝・馬麟筆『梅花小禽図』を巻いて収めるためのものである。こんな美麗な包み裂に、個々の美術品を包ませた収蔵庫の風景を見ることは、所蔵者だけの特権なのだろうなあ。

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川筋を取り戻す/東京裏返し(吉見俊哉)

2020-09-07 22:47:50 | 読んだもの(書籍)

〇吉見俊哉『東京裏返し:社会学的街歩きガイド』(集英社新書) 集英社 2020.8

 このところ、大学論や学問論、平成日本社会論など、ハードな著作が続いていた著者なので、本書を見つけたときはタイトルを二度見した。しかし、都市論、盛り場論は、著者本来の研究フィールドであり、何も驚くことはない。

 本書は、著者が提案する1週間(7日間)の東京都心街歩きガイドブックである。実際に著者と集英社新書編集部のみなさんが、2019年2月から10月の間に7回の街歩きを行っており、各章の扉には、東京の街角にたたずむ笑顔の著者の写真も使われている。

 東京は三回「占領」された都市であると著者はいう。最初の占領は徳川家康、二度目は明治維新の薩長政権、三度目は1945年のアメリカ軍だ。薩長の占領と米軍の占領は連続的で、その延長に高度成長期、とりわけ1964年の東京オリンピックに向けた都市改造があり、それは、この都市が歴史的に育んできたアイデンティティの根幹を破壊するものだった。象徴的なのは「川筋の東京」の否定である。

 けれども東京には、古層の時間を宿したスポットが飛び地のように散在している。本書が焦点を当てるのは、上野、秋葉原、本郷、神保町、兜町、湯島、谷中、浅草、王子などの「都心北部」である。このエリアは、明治・大正期まで東京の文化的中心だったが、戦後の高度成長期以降、「より速く、より高く、より強く」を目指す都市改造によって周縁化されてきた。しかし、だからこそ、21世紀に私たちが追求すべき「より愉しく、よりしなやかに、より末永く」という価値創造のヒントが、この地域には息づいているのだ。

 気になったエピソードはいろいろあるが、ひとつは渋沢栄一という人物への注目。渋沢はパリで「資本主義とは紙幣である」との認識に達し、日本の経済を発展させるため、製紙会社、製紙工場を設立する。へえ~考えたこともなかった! 渋沢の従兄の成一郎は彰義隊の初代隊長で、渡欧中でなかったら栄一も彰義隊に参加していたかもしれない。渋沢は最期まで幕臣意識を持っていたと察せられ、谷中墓地の徳川慶喜の墓の傍らに眠っている。また、渋沢は霊岸島周辺に東京港を築いて、日本最大の貿易港とする構想を描いていたが、横浜の財界の猛反対にあって実現しなかったという。2021年の大河ドラマが楽しみになってきた。

 第5日に神保町を起点とし、東京大学の本郷キャンパス内を散策・紹介しているのも面白かった。記憶にとどめておきたいと思ったのは、学内に記念碑がある相良知安(さがら ともやす)という人物。幕末維新期の蘭方医で、東大医学部の前身である医学校の初代校長をつとめたが、政府との対立で罷免され、愛人と東京の貧民窟を転々とする人生を送ったという。いまWikiを見たら、 相良知安先生記念碑は陸軍軍医の石黒忠悳が題額を書いているのか。面白い。

 江戸時代、蔵前には幕府直轄領から集められた年貢米を貯蔵する「浅草御蔵」があった。明治になると、この御蔵を利用して、湯島聖堂に収蔵されてきた書籍を収蔵・公開する浅草文庫がつくられた。つまり「米」の収蔵庫が「知」の収蔵庫になった、という話も面白かった。ついでにいうと、浅草文庫のコレクションが上野の博物館に移されたあと、浅草文庫跡地に建てられたのが、東京工業大学の前身である東京職工学校であるというのも面白い。

 各コースの最後には、大江戸線の外側にトラムで東京を一周する外江戸線をつくろうとか、上野駅正面玄関口のペデストリアンデッキを撤去して昭和の初めの風景を取り戻ろうとか、大胆で魅力的な「提案」がいくつも述べられている。いま、日本橋の首都高を地下化する工事が始まっているが(首都高速道路 日本橋区間地下化事業)、第2日には、もっと構想を徹底し、都心全体から高速道路を見えなくしてはどうか、と述べている。もっとも第7日には、水上タクシーで日本橋川をクルーズし、川面から見る頭上の高速道路の存在がSF的な「斬新な印象」を与えていることに気づく。矛盾しているようだが、「歩きながら考える」思考の変化が見てとれるのも本書の面白さである。日本橋川クルーズ、今年、コロナで乗れなかったので、来年の桜の季節にはリベンジできるといいなあ。

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2020年9月文楽公演(国立劇場):中止と再開

2020-09-06 22:55:37 | 行ったもの2(講演・公演)

 以下、備忘として。人形浄瑠璃文楽は新型コロナウイルス感染症の影響で、2020年4月の大阪公演以降、ずっと中止が続いていたが、8月末に大阪・国立文楽劇場で「素浄瑠璃の会」と「若手素浄瑠璃の会」が開催され、ようやく公演再開の目途が立ち始めたように見えた。

 東京・国立劇場の9月文楽公演(2020年9月5日~9月22日)は、久しぶりに舞台形式での上演。初日に駆け付けたいと思ったが、用事があったので、2日目(9月6日)の第3部のチケットを取っていた。土曜の夜おそく、初日を見たひとの感想でも流れていないかなと思ってSNSを立ち上げたら、驚きのニュースが。

国立劇場の文楽公演、再開初日に中止 スタッフに微熱(2020/9/5 朝日新聞デジタル)

 5日(土)(第2部~第4部)、6日(日)(第1部~第4部)が公演中止だという。ネットで詳しい情報を漁ったら、初日の第1部は予定どおり公演が行われ、第2部のお客さんが入っている状態で急遽「中止」の判断が下ったのだそうだ。お客さんたちは怒らず、「仕方ない」という反応だったとうのがせめてもの救いか。実は、私は今日6日(日)第3部『絵本太功記』のチケットを持っていたのである。くそぅ…。

 7日(月)以降はスタッフのPCR検査の結果次第という発表だったが、今日、公演再開のお知らせが出た。陰性が確認されたのだそうだ。よかった。

【9月文楽】公演再開のお知らせ 〈7日(月)から〉(2020/9/6 国立劇場)

 来週末には第1部と第2部のチケットを取ってあるので、半年ぶりの舞台を楽しめそうだ。でも一番見たかった演目は第3部なので、これはチケットを取り直そう。まだ残席はあるかしらと確認したら、けっこう残っていた。東京の文楽公演にしては売れ行きが芳しくない。ファンの平均年齢が高いので、まだナマの観劇には躊躇があるのではないかと思う。

 演員に高齢の方が多いのも心配な点。本公演は、初日の前日9月5日に、豊竹咲太夫さんの体調不良による休演が発表されている。PCR検査の陰性は確認されているとのことだが、新型コロナの影響で公演回数が開催できず、結果的に、今しか聴けない熟練の芸を聴ける機会が減ってしまうのは本当に残念なことだと思う。

 文楽話のついでに書いておくと、8月20日に嶋太夫さんが亡くなられた(報道は8月24日)。88歳。引退公演は2016年2月、4年前だから、まだ鮮明にお声と語り口を覚えている。大好きでした。

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豪華×ノスタルジー/明治錦絵×大正新版画(神奈川歴博)

2020-09-05 23:33:21 | 行ったもの(美術館・見仏)

神奈川県立歴史博物館 【復活開催】特別展『明治錦絵×大正新版画-世界が愛した近代の木版画-』(2020年8月25日~9月22日)

 本来、4月~6月に開催されるはずだったものが、新型コロナウイルス感染症の影響で中止になり、復活開催の決まった展覧会である。明治錦絵の最大の版元大倉孫兵衛、新版画の版元土井版画店に焦点をあて、近代日本における木版画の展開を追いかける。

 博物館のサイトに、担当学芸員が見どころを解説するYouTube動画が掲載されていたので、予習のつもりで視聴してみた。動画に展示室風景が映るのだが、その「密度」が凄い。展示ケースをびっしり隙間なく作品が埋めているのだ。これ、どういうこと?と怪しみながら見に行って、その理由が分かった。

 明治錦絵の展示の目玉となっているのが『大倉孫兵衛旧蔵錦絵画帖』だ。大倉孫兵衛(1843-1921)は、幕末明治から大正にかけての実業家で、家業の絵草紙屋から独立し、のちに大倉書店、大倉孫兵衛洋紙店を設立し、大倉陶園の設立に参加した。2018年、孫兵衛旧蔵の600点を超える錦絵を折本状にまとめた(裏表に貼り付けた)画帖7冊(木箱入り)が発見された。横に開いたときの長さは15メートル級、長いものは20メートルに及ぶという。本展は、できるだけ多数の錦絵作品を見せるため、展示ケースの端から端まで、しかも上下二段で(!)画帖を開く方式をとっている(毎週展示替えもあり)。どれも摺りの状態がよく(画帖七を除く)明治錦絵独特のベッタリした極彩色なので、反物を拡げた呉服屋さんか絨毯屋に迷い込んだような華やかさである。

 有名な絵師の作品もあるが、むしろ署名のない、花鳥や美人・日本風俗を取り合わせて、分かりやすい華やかさと美しさを追求した作品が特徴的で、輸出用の錦絵と見られている。確かに江戸の錦絵、国内で消費された錦絵と違って「ベタ」な感じがする。ただ、いまの日本人の感覚に全然合わないかといえば、そうではなくて、私の子供の頃(昭和40年代)の包装紙とか千代紙とか、安っぽい絵本や紙製の着せ替え人形には、こういう美意識の末流が流れ込んでいたような気がする。

 絵師の署名があるものは、あまり知らない作品が多かった。いなせな火消しの全身像を一人ずつさまざまなポーズで描いた『各大区纏鑑(まといかがみ)』は月岡芳年の作品だというが初めて見たように思う。『靖国神社真景』も初めてで、鳥居の異様なデカさが目立つ。井上探景(安治)の署名あり。歌舞伎狂言の登場人物を上半身像で描いた豊原国周のシリーズは楽しくて目を奪われた。安達吟光の『大日本史略図会』シリーズも面白かった。この伝説、この場面が、当時の一般常識だったんだなあ、ということが分かった。あと水野年方の『開化好男子』には笑った。法学博士の風体が謎である。

 後半の大正新版画の展示は、風景が一転。川瀬巴水(1883-1957)、土屋光逸(1870-1949)、ノエル・ヌエット(1885-1969)の作品を、これも多数展示する。巴水の『東京二十景』は関東大震災後の作品で、必ずしも名所旧跡でない、ノスタルジックな東京風景が集められている。「月島の雪」とか。巴水以外の二人は初めて知る名前だったが、土屋光逸は月や街灯など闇と光の表現が印象的で、ヌエットは銅版画のような繊細な描線が美しかった。なお、土屋光逸作品は土井利一氏のコレクション(図録の紹介によればサラリーマン・コレクター)、ヌエット作品はクリスチャン・ポラック氏のコレクションである。ポラック氏といえば、先頃、インターメディアテクの『遠見の書割』で泥絵のコレクションを公開していた方でもある。

 期待どおりの大変おもしろい展覧会だった。復活開催ありがとうございます。図録は記事が多くて読みでがありそうだが、もうちょっと大きい図版が欲しかった。

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朝鮮の屏風と南宋仏画(東博・東洋館)

2020-09-03 21:44:30 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館・東洋館10室(朝鮮時代の美術)

 東博の常設展示を見に行ったときは、必ず東洋館に寄る。エレベータで4階の中国書画の展示室に直行して、順番に下りてくるのが定番だったが、最近は、5階の朝鮮半島の展示からスタートするようになった。絵画作品は、けっこう頻繁に展示替えがあって楽しいのだ。8月23日までここに出ていた『釜山草梁客舎日本使節接待図屏風』(10曲1隻、朝鮮時代19~20世紀)は、初めて見る作品で面白かった。

 右から左に向かって、官人たちの長い行列が進む。これは全て朝鮮人らしい。

 左端の建物(倭館)では、日本使節と朝鮮人の対面が行われている。

 はじめ、なかなか日本人が見つけられなかったが、右側の庭に座っている人々がそうだ。門の外で警護にも当たっている。右側の建物の中にいるのは全て朝鮮人のようだ。

 この図像の意味がよく分からなくて調べたら、韓国・国立中央博物館の『東萊府使接倭使図』の説明(日本語)が見つかった。文録・慶長の役のあと、国交は回復したものの、日本使節団は以前のように上京して王に拝謁することができず、釜山の草梁倭館で王の殿牌(殿字を刻んだ木牌)に敬礼することでその代わりとしたのだそうだ。たぶん右の建物はその場面だろう。

 また、日本使節団をもてなすため倭館へ派遣されたのが東萊府使である。東萊府は、釜山に置かれた地方行政機関だが、近代初頭までの日朝関係における朝鮮側の外交窓口でもあった。

 左側の屋根の下にいる集団も日本人だ。

 これは宴会の場面だろうか。女性たちは歌舞で使節をもてなしているのだろうか。

■東洋館8室(中国絵画)『中国の絵画 神仏の姿』(2020年8月18日~9月22日)+(中国の書跡)『レジェンドの筆跡-書の巨匠と歴史上の偉人』(2020年8月18日~9月22日)

 中国の書画は、絵画も書跡もなかなかの豪華メニューである。展示室に入ったとたん、光輝くような白い千手観音が目に入って、え!と声を上げそうになった。岐阜・永保寺の『千手観音図軸』(南宋時代)が展示されていて、畏れ多くも写真撮影も禁止されていない。花嫁衣裳のような純白の衣裳。正面は柔和なのに、大きく目を剥いた左右のお顔の異形ぶり。楽器や武具や法具など、さまざまな持物には赤や青のリボンが結ばれていたりして色鮮やか。後補の筆なのか、髑髏がひときわ目立つ。小さめの写真を掲載しておこう。

 京都・清凉寺の十六羅漢図(北宋時代)が3件。伝・顔輝筆『寒山拾得図軸』も筆者不詳の『寿星図軸』も好きな作品だ。東京・霊雲寺(湯島の?)所蔵『天帝図軸』(元代)は、北斗七星を描いた黒旗を背後に、温・関・馬・趙の道教四大元帥を従えており、カッコよかった。

 書跡は、タイトルどおりレジェンド大集合なので、初心者にも親しみやすくてよい。書としては、やっぱり顔真卿が好きなのだが、最近見ている中国ドラマの影響で、唐の玄宗や清の乾隆帝を感慨深く眺める。あと、孫文、康有為、左宗棠も。

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広がるモダン文化/大東京の華(江戸東京博物館)

2020-09-01 22:55:58 | 行ったもの(美術館・見仏)

江戸東京博物館 企画展『大東京の華-都市を彩るモダン文化』(2020年8月25日~11月23日)+特別展『市民からのおくりもの2019-平成30年度新収蔵品から-』特別企画『「青」でみる江戸東京』(2020年8月4日〜09月27日)

 『大東京の華』が特別展だと思って見に行ったら、常設展示室内で開催中の企画展だった。最近、江戸博の企画展は面白いものが多くて油断がならない。本展は、近代都市・東京の始まりから、1923(大正12)年の関東大震災を経て、大規模な復興事業により生まれ変わった「大東京」の時代まで、明治、大正、昭和と発展する東京の姿を紹介する。

 はじめは洋風建築を描いた明治の錦絵『東京名所海運橋五階造真図』や『銀座煉瓦造鉄道馬車往復図』が出ていて、ふむふむ定番だな、と思ったのだが、パーティドレスみたいな洋装の女性たちがミシンやアイロンを使って洋服をつくっている『貴女裁縫之図』(安達吟光)や桜満開のテラスでくつろぐ洋装三人組を描いた『東風俗 福つくし:洋ふく』(橋本周延)など、珍しい風俗錦絵も見ることができた。この場合の「洋装」は全て、華やかだが窮屈そうなバッスルドレス(ベルサイユのばらスタイル)である。本物の明治時代のドレスも展示されていたが、小さい(背が低い)なあという印象だった。

 『髪附束髪図会』は、さまざまな髪型と帽子を切り抜いて、ドレス姿の女性の絵に合わせて遊ぶことができる。そうそう、昭和40年代には、こういう紙製の着せ替え人形で遊んでいた!と思い出して懐かしかった。展覧会の公式ページから複製をダウンロードして遊べるのはよい試み。束髪は自分で簡単に結うことができて衛生的なので推奨された、という解説を読んで、江戸時代の女性は自分で髪を結っていなかったことを知った。

 明治後期から大正の、大衆文化の広がりを象徴するのは三越呉服店のポスター。杉浦非水のデザインは、いま見ても新鮮で魅力的。妹尾幸次郎のセノオ音楽出版社が刊行した「セノオ楽譜」が多数展示されていたのも面白かった。日本の名歌や海外の歌曲(オペラのアリアとかシューベルトとか)を斬新な訳詞で紹介し、表紙は竹久夢二ら有名画家が美しいイラストで飾った。廉価で販売され、西洋音楽の大衆化に大きく貢献したという。こんなメディアがあったなんて、全く知らなかった!

 関東大震災の惨状は短く紹介して、復興の時代へ。新たな公園、橋、道路、交通手段(地下鉄など)が整備され、被災した商業ビルは面目を一新し、東京は旧15区から隣接地域を編入して、現在の東京区部の地域に拡大する。私がいま住んでいる江東区南西部は旧15区の深川区にあたるが、現在の江東区全体が東京に入ったのは関東大震災後なんだなと認識する。川瀬巴水や小泉癸巳男が版画にのこした抒情的な「大東京」の風景はどれもよい。

 昭和前期の風俗については、ショール、日傘、ワンピース、スーツなどの原物資料もあったが、師岡宏次撮影の『銀座五十年』という白黒写真のシリーズが興味深かった。1935(昭和10)年~39年頃の銀座風景で、買いものや街歩きを楽しむおしゃれで幸せそうな人々が写っている。念のため調べたら、1936年といえば二・二六事件、37年といえば盧溝橋事件の年なのだが、そんなキナ臭い匂いは微塵もないのが感慨深かった。

 なお、特別展と特別企画は無料で参観できる。むしろ特別展のほうに、新たに収集された関東大震災関連コレクションが展示されており、震災を報道する新聞、焼失した町の姿やバラックでの暮らしを写した写真、復興に向けての標語や注意が記されたポスター・ビラから、当時の状況を具体的に窺うことができた。

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