■京都国立博物館 西国三十三所草創1300年記念特別展『聖地をたずねて-西国三十三所の信仰と至宝-』(2020年7月23日~9月13日)
金曜の午後に国立劇場で文楽を見たあと、新幹線で京都入り。駅前のビジネスホテルに泊まって、土曜は朝から展覧会巡りに出かけた。京博の『聖地をたずねて』は再訪になる。8月に前期を見に来たときは人が少なかったが、今回は入館に15分ほど待たされた。とはいえ、いつもの特別展に比べればずっと空いているし、会話を控えているので、展示室が静かで快適である。
後期出品を見逃さないよう展示リストをチェックしながら、2階から見ていく。前期も、あまり見る機会のない縁起絵巻を面白いと感じたが、後期の展示も楽しめた。『壺坂観音縁起絵巻』(江戸時代)では、大蛇の生贄とされた娘の身代わりになった姫君が法華経を読誦して大蛇を昇天させる。姫君が観音の化身かと思ったが、解説を読み直したら、姫君は弁財天の化身で、大蛇が壺阪観音の化身だった。海面(?)から大蛇(ほぼ龍)が出現するところは、岩佐又兵衛ふうにスペクタクル。次の場面、法華経の功徳で回心した大蛇は柔和な顔をしている。『石山寺縁起絵巻』巻二にも、歴海和尚の読経を聴こうとして池の中から龍王たちが次々に上ってくるシーンがあり、赤い龍、白い龍、緑の龍などが描かれている。しかも読経を終えた和尚をおぶって送ってくれるんだ。かわいい。
土佐光信筆『清水寺縁起絵巻』巻下は、大蛇(角がある)に襲われた僧侶が山門の天王を寄進しますと祈ったら助かったという霊験譚で始まる。僧侶をぐるぐる巻きにする大蛇、斜面を去っていく大蛇の描写が面白い。あと、貴人の葬送の場面で、牛車に従う男たちが烏帽子に白いハチマキをしているのは、いつの時代の風俗なのだろう。伝・住吉如慶筆『播州書写山縁起絵巻』は、きらきらした金砂子をふんだんに用いた豪華な作品。桜と天女のシーンが美しかった。
参詣曼荼羅もずいぶん入れ替わっていて、後期を見に来た甲斐があった。桃山時代の『清水寺参詣曼荼羅図』(個人蔵)は、左下隅の五条大橋に弁慶と牛若丸の姿が描かれている。この図は、建物の立体感や遠近感にあまり狂いがないことに感心した。『中山寺伽藍古絵図』(江戸時代)は、川筋や山の尾根など地形をある程度写実的に描いた境内絵図に、参詣曼荼羅ふうの伽藍が嵌め込まれている変わり種。よく見ると天界も地獄も描かれている。『松尾寺参詣曼荼羅図』(室町時代)も同様に、青葉山の景観に伽藍が嵌め込まれているが、三頭身くらいの小さな人々の描き方など、古拙で素朴。
ここで3階へ。六道絵、餓鬼草紙などが出ていたが、紀三井寺の『熊野観心十界曼荼羅図』(江戸時代)、微妙にゆるくていいなあ。鬼も亡者も、見れば見る程かわいい。1階は、仏画を中心にチェック。兵庫・一乗寺の『不空羂索観音像』(鎌倉~南北朝)は大きくて美麗。観音を囲む四隅の四天王像の甲冑の彩色、截金がほぼ完璧に残っている。松尾寺の『普賢延命菩薩像』は、後期、これを見るために来たと言っても過言ではない、大好きな作品。普賢菩薩の母性的でおだやかな丸顔、赤い唇と肩にかかる黒髪の妖艶さ。なのに画面の下半分は、対照的に荒ぶる異形の白象。
最後に仏像にも後期のみ出品が1躯だけあることを確認して探しに行った。粉河寺の本堂背面に置かれている裏観音だという。粉河寺には何度か行っているが、全く記憶になかった。千手観音立像だが、もとは聖観音か十一面観音だった可能性が指摘されているそうだ。斜め後ろにまわってみると、背中に背負ったランドセルのようなものから脇手が生えていることが分かる。脇手の持物は、後補が多いのか、なんとなく安っぽさがある。しかしそんな改変も気にしないような、穏やかな表情はなかなかよい。
本展は、たぶん展示品の九割以上が、博物館や美術館の所蔵ではなく、寺社の宝物だった。全て見ようと思えば、数少ない公開日に各地の寺社を訪ねてまわらなければならないところ、こうした機会をつくってもらえて本当によかった。