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海外へ料理修業に行く人へのアドバイス。日本式をアピールして反感を買っても得るものはない。
神田の食堂の長男として生まれた村上が両親の死によって孤児となり、浅草の「ブラジルコーヒー」に住み込みで働くようになってから「千両」「つばさグリル」などレストランやホテルを武者修行のように転々としながら帝国ホテルに入ったものの太平洋戦争で徴兵……と波瀾万丈。
九死に一生を得て帰国してからは接収中の帝国ホテルから出向。ヨーロッパ武者修行を経て東京オリンピックの選手村の厨房を仕切ったり、NHK「きょうの料理」でフランス料理の普及に努め……。
日本のフランス料理界の重鎮の自著伝を、日本経済新聞の「私の履歴書」に連載していたものをまとめたもの。
帝国ホテルのシェフとしてオリンピック選手村の料理長をしたり、国賓の料理を依頼されたりとフランス料理界の重鎮だった人です。
「『バイキング』というネーミングは帝国ホテルの社内公募で決めた。当時、ホテルの近くの映画館でカーク・ダグラス主演の海賊映画『バイキング』が上演されていて、船上で食べ放題、飲み放題のシーンがあり……」
これが日本のバイキング料理のこと始め。
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