many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか

2010-12-15 21:33:21 | 読んだ本
内山節 2007年 講談社現代新書
堀井憲一郎の『江戸の気分』に、落語に出てくる江戸時代の登場人物たちはキツネ・タヌキにだまされるって章があるんだけど、そこに参考文献として挙げられていたんで、読んでみた。
著者は哲学者で、釣りが趣味でよく山里へ行くんだけど、日本のあちこちで当たり前のように「キツネにだまされた」という話をよく聞いたもんだと。
ところが、どこの地域でも、最近は聞かない。(聞かないよな、そりゃ。)
それが、注意してみると、1965年を境に、日本のどこでもパッタリと人はキツネにだまされなくなったんだと。
考えられることはいくつかあって、経済成長のなかで非経済的(?)な感覚を人が失ったとか、科学万能的な時代になって非科学的な感覚を人が失ったとか、テレビ・電話の普及で情報の伝達が変わったとか、進学率のアップで合理的な考え方が支配的になったとか、都市が広がって村が衰弱したとか、いろいろ。
でも、著者は単純な時代の変化ってだけぢゃなくて、人間にとっての「歴史」とは何かってことを深く考察してます。
「知性によってとらえられた歴史」「身体によって受け継がれてきた歴史」「生命によって引き継がれてきた歴史」が人にはあって、一番うさんくさい(だって権力が教科書を好きなように作ったりするぢゃない?)知性による歴史ばっか強くなって、あとの二つが弱くなってきちゃったあたりに問題があるってことになるのかな。
実際の動物としてのキツネがどうこうぢゃなくて、自然と人間との関わり合いの問題。キツネに姿を託した何か、神様でもいいし超自然的な力でもいいけど、そういうものが見えなくなっちゃった感じられなくなっちゃった、そのことを考えましょうってことですね。自然をちゃんと認識して生きてますか?って。
んー、歴史哲学とかいうと、話がむずかしそうだけど、“キツネが人をだますのは、物語が生まれること”とか“キツネにだまされるには、能力・資質が必要”とか言われると、ドキッとして面白い。
コメント
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