many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

高い窓

2013-10-01 21:19:22 | 読んだ本
レイモンド・チャンドラー/清水俊二訳 昭和63年 早川書房ハヤカワ・ミステリ文庫版
ここんとこ機会をみつけては読み返してる、チャンドラー=フィリップ・マーロウもの。
本作は、7つある長編の三作目で、1942年の作品らしいんだけど、私が持ってるこの文庫は初版。まあ、そのへんは出版側の都合でしょう。
事件のほうは、金持ちの未亡人が依頼人で、家の秘密を守ったまんまで、家から持ち出されたある貴重なものを見つけて取り返してほしい、といわれるとこから始まって、やがて殺人事件とかに巻き込まれてく。
「大いなる眠り」なんかに比べると、全体の進みっぷりとしては、謎解きというか、犯人捜しというか、そのへんが展開わかりやすい。
チャンドラーの書く私立探偵マーロウものが、なんか他の推理小説とちがってスッキリしないってのは、チャンドラー自身が、伏線をはったうえでのトリックを仕掛けたりすることをよしとしないで、リアリティーのある物語を書くことを目指してたから、らしい。
そう思うと、作者のご都合主義でストーリーを展開することなんかよりも、主人公の視点によってのみ得られる情報をなるべく忠実に描く、ってほうにいっちゃうから、これみよがしな盛り上げ方になってこないんで、明快ぢゃないなあと感じることになるんだろう。
ところで、表現だけをとりあげてみれば、あいかわらず、面白いよ。
たとえば、
>(略)居眠りをしている歯抜けじいさんの唇のようにひろがったりすぼんだりしているネットのカーテンがかかっている窓が二つ。
とか、
>私は腰かけから降り、一トンの石炭がシュートをすべり落ちて行くような静寂の中をドアの方に歩いていった。
とか、って言い方ね。ハードボイルドらしくて、気の利いた比喩。
ただ、これだけだと、とってつけたような言い方してんぢゃねえのって気がしないでもないが、リアリティーを追求してるチャンドラーは、そういうウソっぽくても面白いこと言うだけなんて技法をとってるわけぢゃない。
そのへん、
>かがみこんで、二本の指を頸部の大動脈に押し当てた。脈は打っていなかった。まったくなくなっていた。皮膚は氷のように冷たかった。氷のように冷たいはずはない。そう感じただけなのである。
とか、
>鳴っているベルは気味のわるい音だった。音に理由(わけ)があるのでなく、聞いている耳のせいだった。
とか、って書き方をしてるのをみると、「そう感じただけ」「聞いている耳のせい」って、話者の主観にすぎないってことをアッサリ認めて表明してるんである。こういうのがリアルってことなんだよなあって思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする