ポール・オースター/柴田元幸訳 1994年 新潮社
オースター1989年の作品。物語の時代は「人類がはじめて月を歩いた夏」で、1965年に主人公の青年は18歳でニューヨークに出てきた。
最後の身寄りだった伯父が亡くなり、残された本を読んでくそばから売って、その日の糧にあてる暮らしを続ける。
頭はたぶんいいんだけど、定職につこうとせず、カネもなくなり、住んでたとこから追い出されてホームレスになる。
このへんの序盤戦は、前の長編「最後の物たちの国で」に似てる気がする。はっきり言って気分が滅入ってくる。
で、いろいろあって、どうにか立ち直り、盲目の車椅子老人の家に住み込みで雇われることになる。
この老人が、金持ちらしく、若いころは画家だったというんだけど、どうも得体が知れない。怒りっぽくて、なんかっていうと相手を罵倒しまくる。
その彼の乗った車椅子を押して、街に散歩に出ては、目の見えない彼に代わり、主人公はあたりの景色を描写させられたりする。
そういうことって、訓練しないとなかなかできないと思うんだが、ここんとこの「僕にはそれまで、何ごとも一般化してしまう癖があった。者同士の差異よりも、類似のほうに目が行きがちだった。」ってフレーズは、妙におもしろい。
で、そんな毎日を過ごしてるうちに、老人は自分はながくないし、これまでの半生を語るから書きとめろ、って仕事を主人公に課す。
その奇妙な体験談も強烈なんだけど、このあたりから、それぞれの登場人物の運命をめぐって、物語が転変というか流転というか、とにかくアタマんなかグルグルさせられるくらい面白くなる。
(ちょっと例えようが思い当たらないから何だけど、ある種「ガープの世界」みたいな面白さを、私は感じた。)
これは面白いと思った。オースターのなかでは、はっきり言ってこれがいちばんおもしろい。っていうか、オースターをホントにおもしろいと思ったの、これが初めてなんだけどね。
訳者あとがきによれば、作者は「私がいままで書いた唯一のコメディ」と言ったそうなんで、まあ私の読み方も単純なんだなってことだろうけど。
オースター1989年の作品。物語の時代は「人類がはじめて月を歩いた夏」で、1965年に主人公の青年は18歳でニューヨークに出てきた。
最後の身寄りだった伯父が亡くなり、残された本を読んでくそばから売って、その日の糧にあてる暮らしを続ける。
頭はたぶんいいんだけど、定職につこうとせず、カネもなくなり、住んでたとこから追い出されてホームレスになる。
このへんの序盤戦は、前の長編「最後の物たちの国で」に似てる気がする。はっきり言って気分が滅入ってくる。
で、いろいろあって、どうにか立ち直り、盲目の車椅子老人の家に住み込みで雇われることになる。
この老人が、金持ちらしく、若いころは画家だったというんだけど、どうも得体が知れない。怒りっぽくて、なんかっていうと相手を罵倒しまくる。
その彼の乗った車椅子を押して、街に散歩に出ては、目の見えない彼に代わり、主人公はあたりの景色を描写させられたりする。
そういうことって、訓練しないとなかなかできないと思うんだが、ここんとこの「僕にはそれまで、何ごとも一般化してしまう癖があった。者同士の差異よりも、類似のほうに目が行きがちだった。」ってフレーズは、妙におもしろい。
で、そんな毎日を過ごしてるうちに、老人は自分はながくないし、これまでの半生を語るから書きとめろ、って仕事を主人公に課す。
その奇妙な体験談も強烈なんだけど、このあたりから、それぞれの登場人物の運命をめぐって、物語が転変というか流転というか、とにかくアタマんなかグルグルさせられるくらい面白くなる。
(ちょっと例えようが思い当たらないから何だけど、ある種「ガープの世界」みたいな面白さを、私は感じた。)
これは面白いと思った。オースターのなかでは、はっきり言ってこれがいちばんおもしろい。っていうか、オースターをホントにおもしろいと思ったの、これが初めてなんだけどね。
訳者あとがきによれば、作者は「私がいままで書いた唯一のコメディ」と言ったそうなんで、まあ私の読み方も単純なんだなってことだろうけど。