土曜日に東京で大雪が降った影響で、きょうの乗馬練習がなくなってしまった。
まあ、しかたない。
しかし、古巣・美浦だったら「おとなも子どもも来られないから、運動させる人いないんで、2頭乗って!」と言われるはずなんだけどな。
でも、今回、美浦は日曜日の朝に、ひとのヒザまで積もってたと仄聞するんで、きょうも乗れないかもしれないけど。
しかたないので、とりあえず馬にやる用のリンゴは自分で食っちまった。
さて、ソチって、どこだか知らないんだけど、オリンピックが始まってて、なんかっつーとその報道ばっかりである。
ニュースとかの範疇だったらテレビつけりゃ見るけど、私はわざわざ番組表チェックしたり、眠い時間起きたりして、競技なんか観ないよ。
べつに特段キライだとか、避けてるというわけぢゃないんだけど、正直言って興味が持てない。
なんでだろう。昔はそれなりに熱中したような気もするけど、年々どうでもよくなってきている。
冬季オリンピックについては、自分がウインタースポーツをやらないってのが、見る気にならない大きな理由だってのは確か。
でも、夏季オリンピックでも、最近は、陸上と、せいぜいが水泳くらいしか、ホントに観たいとは思わない。
これは、オリンピックにかぎらず、ほかの試合・大会でもそうなんだけど、年々その傾向が自分のなかで強くなるのを感じてるんだが、私は「採点競技」ってやつに興味が持てないんである。
だから、冬のオリンピックでも、アルペンスキーとかスピードスケートなら、観ててもおもしろいし、それなりにエキサイティングなもの感じるんだけど。
ルールが単純=速いもの勝ち、だからかなあ。
(もともと競馬は好きだけど、馬場馬術なんかに興味ない性格だったしなあ?)
基本、スピード・パワー(飛距離とか)が上なほうの勝ち、ってゲームが好きだな。勝敗にほかの要素入んないし、結果誰がみても客観的だし。
それにくらべると、審判が採点する点数で勝敗・順位をつける競技・種目は、なんかハッキリしないのがヤだ。スコアの基準があいまい。
それでも、あまり詳しくはないんだけど、しばらく見ないあいだに、体操とかフィギュアスケートとかは、点数のつけかたが良くなったような気がする。
10点満点とか6点満点とかで、格上の選手の登場があとに控えてると、前の選手の得点は抑えられちゃってたと思うからね、以前は。
でも、やっぱヤだなあ、同じことやるのを採点するならともかく、それぞれがフリーに考えて繰り出す技に点数つけるのは、価値観みたいなもの違うかもしれないからねえ。根拠がない。(不完全なこと認めてるから、複数の国からのジャッジがいるんだろうけど。)
大会に出るまでが勝負、そこまでに格づけを得ることが大事で、試合開始の時すでに順位はついている、って気がする。
それから、もうひとつ、主観による採点以外に、私が近年のオリンピックにそれほど興味がもてない理由は、競技が多すぎるっていうか、多様すぎるからってのがある。
私の問題意識は、単純に運動能力の競い合いの世界レベルを見たいっつーだけなので、陸上で走るのが速いとか、素手で戦うレスリングが強いとかってのがあれば、それで十分、おなかいっぱい。
特にウインタースポーツは、自分でやらなくて理解ないから、いろんな競技が出てきても、わるいけど「これは雪遊びぢゃないのか」くらいの感想しかもてないんだよね。
ほんと無理解な人間の偏見でわるいんだけど、スキーリゾート業界(?)みたいなのと用具メーカーの陰謀で次から次へと目新しいもの作ろうとしてんぢゃないの、なんて思っちゃう。
いや、楽しきゃいいじゃんとか、すべてスポーツは遊びだよとか、って観点は私も持ち合わせてるんだけど、オリンピックって言葉のひびきが、私に「いちばん速いやつ・いちばん強いやつ決めればいいじゃん」って気を起こさせちゃうんだと思う。強いってのは、ゲームの巧者ぢゃなくて、体力的にってことだな。
古代オリンピックかよ、アナクロだな、って言われちゃったらしかたない、どうしてもそういうものを期待しちゃってんだ、私のほうで勝手に。
それと関連して、同じ競技んなかでいろんな種目ができてっても、やっぱ単純なっつーか基本的なのの強いひとが、いちばん強いんぢゃないかなって見方をしてるってのもある。
あくまで想像だけど、スキー選手でいちばんうまいひとって、やっぱアルペンやってんぢゃないかとか、そういう感じ。
これは、野球でいちばんセンスあるやつはピッチャーやってるとか、アメリカぢゃおそらく格闘技のエリートはレスリングやってて、そこで勝てないやつが他にまわるんぢゃないかとか、日本の競馬で期待されてる馬は最初からダートとか障害とかいかないでしょとか、ってえのと一緒に考えてるせいだ。
だから、そういう私が思うに根幹みたいな種目は観てみたいけど、ほかのはべつにいいか、って観戦態度になる。
どうでもいいけど、きのうはたまたま夜に放映してた、滑降(これはいちばん好きかもしれない、単純だから俺)のダイジェストを観たんだけど、なんかコースに青い線が引いてあった。観てるシロウトとしては見やすいけど、選手があれ頼りにしてんだったら、ちょっとつまんない気がした。(あったほうが安全か。)
急に思い出した、ホントどうでもいい話。
昔々「いちばん運動神経のいいやつのやってる競技はなにか」って学校の先生が教えて(自説を披露して?)くれたんだけど、その先生の言うには、重量挙げだっていうんだよねえ。
ま、なにをもって優れてるかって定義は必要かもしれないけど、説明されてみれば、ありえるよね、一瞬に自分のもつすべての能力、身体の動きを司るものを集中させて最大限の発揮を実現するってのは、重要で基本って気がする。
なんか書いてるうちに、テレビ・新聞をはじめオリンピック一色なのに、ヘソを曲げてブツブツ言ってるだけみたいな気が自分でもしてきたけど、オリンピックとかサッカーのワールドカップとかで妙に過熱してるのを見ると、私はいつも「やっぱこの国の人たちは戦争やりたくてしかたないんだな」って極端な感想をもつ。
(んー、ほんと思うんだよね、こうやって、送り出したり迎えたり、勝ったと騒いだり、一緒んなって応援しないやつは非国民だとか昔やってたんだろうなあ、国民性って変わんないよなって。)
ま、それはしかたないでしょ、人間の本能みたいなものだから。メダルがメダルがって騒ぐくらいで殺し合い回避できるなら、それは立派な人類の叡智だ。
でも、文句言うわりには、自国でオリンピックとかやるのはいいんぢゃないのって気がしてる。いろんなもんレベルアップするだろうしね。
で、どうでもいいけど、日本人が冬季オリンピックとかであまりに勝ったりすると、きっとヨーロッパとかがルールを変えちゃうんだろうなと、常々思ってんだが、なんでもとにかくメダルが大好きな国民性のために、ここはひとつ2020年の東京オリンピックに向け、絶対日本人が勝てちゃう競技をつくってほしいもんだよね。
陸上とか競泳とか、基本的なやつはダメだ、そんなの、体格とか筋力で負けんだから。
なんでもいいじゃん、私が言ってんのは日本人が得意な、勝つためのもの、たとえば指先を動かすゲームとかでいい。
スマホいじくりながら、23区内で電車と地下鉄乗り換えて到達点をめざす競争とか。現代日本を生き抜くための五種競技みたいの創設したらいい。
まあ、しかたない。
しかし、古巣・美浦だったら「おとなも子どもも来られないから、運動させる人いないんで、2頭乗って!」と言われるはずなんだけどな。
でも、今回、美浦は日曜日の朝に、ひとのヒザまで積もってたと仄聞するんで、きょうも乗れないかもしれないけど。
しかたないので、とりあえず馬にやる用のリンゴは自分で食っちまった。
さて、ソチって、どこだか知らないんだけど、オリンピックが始まってて、なんかっつーとその報道ばっかりである。
ニュースとかの範疇だったらテレビつけりゃ見るけど、私はわざわざ番組表チェックしたり、眠い時間起きたりして、競技なんか観ないよ。
べつに特段キライだとか、避けてるというわけぢゃないんだけど、正直言って興味が持てない。
なんでだろう。昔はそれなりに熱中したような気もするけど、年々どうでもよくなってきている。
冬季オリンピックについては、自分がウインタースポーツをやらないってのが、見る気にならない大きな理由だってのは確か。
でも、夏季オリンピックでも、最近は、陸上と、せいぜいが水泳くらいしか、ホントに観たいとは思わない。
これは、オリンピックにかぎらず、ほかの試合・大会でもそうなんだけど、年々その傾向が自分のなかで強くなるのを感じてるんだが、私は「採点競技」ってやつに興味が持てないんである。
だから、冬のオリンピックでも、アルペンスキーとかスピードスケートなら、観ててもおもしろいし、それなりにエキサイティングなもの感じるんだけど。
ルールが単純=速いもの勝ち、だからかなあ。
(もともと競馬は好きだけど、馬場馬術なんかに興味ない性格だったしなあ?)
基本、スピード・パワー(飛距離とか)が上なほうの勝ち、ってゲームが好きだな。勝敗にほかの要素入んないし、結果誰がみても客観的だし。
それにくらべると、審判が採点する点数で勝敗・順位をつける競技・種目は、なんかハッキリしないのがヤだ。スコアの基準があいまい。
それでも、あまり詳しくはないんだけど、しばらく見ないあいだに、体操とかフィギュアスケートとかは、点数のつけかたが良くなったような気がする。
10点満点とか6点満点とかで、格上の選手の登場があとに控えてると、前の選手の得点は抑えられちゃってたと思うからね、以前は。
でも、やっぱヤだなあ、同じことやるのを採点するならともかく、それぞれがフリーに考えて繰り出す技に点数つけるのは、価値観みたいなもの違うかもしれないからねえ。根拠がない。(不完全なこと認めてるから、複数の国からのジャッジがいるんだろうけど。)
大会に出るまでが勝負、そこまでに格づけを得ることが大事で、試合開始の時すでに順位はついている、って気がする。
それから、もうひとつ、主観による採点以外に、私が近年のオリンピックにそれほど興味がもてない理由は、競技が多すぎるっていうか、多様すぎるからってのがある。
私の問題意識は、単純に運動能力の競い合いの世界レベルを見たいっつーだけなので、陸上で走るのが速いとか、素手で戦うレスリングが強いとかってのがあれば、それで十分、おなかいっぱい。
特にウインタースポーツは、自分でやらなくて理解ないから、いろんな競技が出てきても、わるいけど「これは雪遊びぢゃないのか」くらいの感想しかもてないんだよね。
ほんと無理解な人間の偏見でわるいんだけど、スキーリゾート業界(?)みたいなのと用具メーカーの陰謀で次から次へと目新しいもの作ろうとしてんぢゃないの、なんて思っちゃう。
いや、楽しきゃいいじゃんとか、すべてスポーツは遊びだよとか、って観点は私も持ち合わせてるんだけど、オリンピックって言葉のひびきが、私に「いちばん速いやつ・いちばん強いやつ決めればいいじゃん」って気を起こさせちゃうんだと思う。強いってのは、ゲームの巧者ぢゃなくて、体力的にってことだな。
古代オリンピックかよ、アナクロだな、って言われちゃったらしかたない、どうしてもそういうものを期待しちゃってんだ、私のほうで勝手に。
それと関連して、同じ競技んなかでいろんな種目ができてっても、やっぱ単純なっつーか基本的なのの強いひとが、いちばん強いんぢゃないかなって見方をしてるってのもある。
あくまで想像だけど、スキー選手でいちばんうまいひとって、やっぱアルペンやってんぢゃないかとか、そういう感じ。
これは、野球でいちばんセンスあるやつはピッチャーやってるとか、アメリカぢゃおそらく格闘技のエリートはレスリングやってて、そこで勝てないやつが他にまわるんぢゃないかとか、日本の競馬で期待されてる馬は最初からダートとか障害とかいかないでしょとか、ってえのと一緒に考えてるせいだ。
だから、そういう私が思うに根幹みたいな種目は観てみたいけど、ほかのはべつにいいか、って観戦態度になる。
どうでもいいけど、きのうはたまたま夜に放映してた、滑降(これはいちばん好きかもしれない、単純だから俺)のダイジェストを観たんだけど、なんかコースに青い線が引いてあった。観てるシロウトとしては見やすいけど、選手があれ頼りにしてんだったら、ちょっとつまんない気がした。(あったほうが安全か。)
急に思い出した、ホントどうでもいい話。
昔々「いちばん運動神経のいいやつのやってる競技はなにか」って学校の先生が教えて(自説を披露して?)くれたんだけど、その先生の言うには、重量挙げだっていうんだよねえ。
ま、なにをもって優れてるかって定義は必要かもしれないけど、説明されてみれば、ありえるよね、一瞬に自分のもつすべての能力、身体の動きを司るものを集中させて最大限の発揮を実現するってのは、重要で基本って気がする。
なんか書いてるうちに、テレビ・新聞をはじめオリンピック一色なのに、ヘソを曲げてブツブツ言ってるだけみたいな気が自分でもしてきたけど、オリンピックとかサッカーのワールドカップとかで妙に過熱してるのを見ると、私はいつも「やっぱこの国の人たちは戦争やりたくてしかたないんだな」って極端な感想をもつ。
(んー、ほんと思うんだよね、こうやって、送り出したり迎えたり、勝ったと騒いだり、一緒んなって応援しないやつは非国民だとか昔やってたんだろうなあ、国民性って変わんないよなって。)
ま、それはしかたないでしょ、人間の本能みたいなものだから。メダルがメダルがって騒ぐくらいで殺し合い回避できるなら、それは立派な人類の叡智だ。
でも、文句言うわりには、自国でオリンピックとかやるのはいいんぢゃないのって気がしてる。いろんなもんレベルアップするだろうしね。
で、どうでもいいけど、日本人が冬季オリンピックとかであまりに勝ったりすると、きっとヨーロッパとかがルールを変えちゃうんだろうなと、常々思ってんだが、なんでもとにかくメダルが大好きな国民性のために、ここはひとつ2020年の東京オリンピックに向け、絶対日本人が勝てちゃう競技をつくってほしいもんだよね。
陸上とか競泳とか、基本的なやつはダメだ、そんなの、体格とか筋力で負けんだから。
なんでもいいじゃん、私が言ってんのは日本人が得意な、勝つためのもの、たとえば指先を動かすゲームとかでいい。
スマホいじくりながら、23区内で電車と地下鉄乗り換えて到達点をめざす競争とか。現代日本を生き抜くための五種競技みたいの創設したらいい。