小澤征爾×村上春樹 平成26年7月 新潮文庫版
最近読んだ本。
単行本が出たときには、なかみも見ずに、迷ったんだが、買わなかった。
私はそれほど音楽に興味がないので。
小澤征爾さんの指揮する音楽は聴いたことないし、村上春樹さんは音楽を聴くことについてはプロだから。
私なんかが読んでもわからん話だろうなと思ったから。
で、今回、めでたく文庫になったので、とりあえず読んでみた。
意外とおもしろかった。
意外とというのは、著者たちが言ってることが予想よりおもしろかったという意味ぢゃなくて、読み手である私のほうが、勝手に難しいだろうと身構えてたのに比べたら、書いてあることをふむふむと受け取ることができたって程度の意味だけど。
対談を文章に起こしたものだけど、一読してまず私が感じたのは、村上さんって表現する言葉をいっぱい持ってて使い方が的確だな、っていう音楽とはなんも関係ないことだった。
冒頭に、長めのまえがきみたいなのがあるんだけど、そこで言ってることは、小澤さんってすごいってことの繰り返しみたいなものなんだが、いろんな言葉で書いてるんで、ボリュームがでてくるけど単調ぢゃないからグーッと入ってくるような感じを受けた。
で、本編での対談でも、音楽に関するいろんな状況を的確に言葉にしてみせるので、そういうふうに考えたりしてこなかった小澤さんだけど「なるほど」とか「そのとおり」とか言ってることが多いような気がする。
たとえば、「(略)カラヤンなんかは、マーラーの持つ雑多性、猥雑性、分裂性、みたいなものが長いあいだ、生理的に我慢できなかったんじゃないでしょうか?」なんて言うと、カラヤンを先生と呼ぶ小澤さんも「ああ、なるほどね」と答えてる。
ところが、音楽の肝心なところに関しては、私には皆目わからないことがある。
たとえば、小澤さんの発言のなかで、
>このオーケストラの演奏は、子音が出てこないですね
なんてとこ。
>(略)『あああ』というのは母音だけの音です。それに子音がつくと、たとえば『たかか』とか『はささ』という音になります。(略)
>音楽的に耳が良いというのは、その子音と母音のコントロールができるということです。(略)
ということで、耳がわるい私には、まったくわからないのもしかたないが。
そういう技術的なことみたいなんぢゃなくて、何を表現すべきかとかって話だと、すこし興味はもてる。
音楽の技術はあるけど、なにを聴くひとに伝えたいかが欠けてるか弱いことについて、小澤さんはこう言ってる。
>そういうのをやり始めると、音楽そのものの意味が失われてしまいます。本当に下手をすると、エレベーター音楽になってしまう。エレベーターに乗ったらどこからともなく流れてくる音楽。ああいうのがいちばん恐ろしい種類の音楽だと、僕は思うんです
うーむ、現在の日本には、そういう音楽があふれかえってるからなー。
もうひとつ、最後のほうに、若い演奏家たちを集めてセミナーをやるところがあるんだけど、そこも興味深かった。
それぞれは技術的には相当うまい奏者ばかりなんだけど、四重奏をやってみると、最初はあまり良くない(私にはわからないレベルだろうが)。
それがマエストロたちが指導して練習を重ねていくうちに、すばらしく改善される。
そこにあるのは、できあがってく過程で必要なのは、共感みたいなものなんだという。
そうかぁ、と思う。最近、ユニゾンのわりには私にとってはすごく聞き苦しい歌舞音曲が多いと思ってんだけど、あーゆーのには一緒に歌ってる他の人の声を聞こうとか共感をつくろうとかってのが無さそうだな、ってことをふと連想したもんで。
最近読んだ本。
単行本が出たときには、なかみも見ずに、迷ったんだが、買わなかった。
私はそれほど音楽に興味がないので。
小澤征爾さんの指揮する音楽は聴いたことないし、村上春樹さんは音楽を聴くことについてはプロだから。
私なんかが読んでもわからん話だろうなと思ったから。
で、今回、めでたく文庫になったので、とりあえず読んでみた。
意外とおもしろかった。
意外とというのは、著者たちが言ってることが予想よりおもしろかったという意味ぢゃなくて、読み手である私のほうが、勝手に難しいだろうと身構えてたのに比べたら、書いてあることをふむふむと受け取ることができたって程度の意味だけど。
対談を文章に起こしたものだけど、一読してまず私が感じたのは、村上さんって表現する言葉をいっぱい持ってて使い方が的確だな、っていう音楽とはなんも関係ないことだった。
冒頭に、長めのまえがきみたいなのがあるんだけど、そこで言ってることは、小澤さんってすごいってことの繰り返しみたいなものなんだが、いろんな言葉で書いてるんで、ボリュームがでてくるけど単調ぢゃないからグーッと入ってくるような感じを受けた。
で、本編での対談でも、音楽に関するいろんな状況を的確に言葉にしてみせるので、そういうふうに考えたりしてこなかった小澤さんだけど「なるほど」とか「そのとおり」とか言ってることが多いような気がする。
たとえば、「(略)カラヤンなんかは、マーラーの持つ雑多性、猥雑性、分裂性、みたいなものが長いあいだ、生理的に我慢できなかったんじゃないでしょうか?」なんて言うと、カラヤンを先生と呼ぶ小澤さんも「ああ、なるほどね」と答えてる。
ところが、音楽の肝心なところに関しては、私には皆目わからないことがある。
たとえば、小澤さんの発言のなかで、
>このオーケストラの演奏は、子音が出てこないですね
なんてとこ。
>(略)『あああ』というのは母音だけの音です。それに子音がつくと、たとえば『たかか』とか『はささ』という音になります。(略)
>音楽的に耳が良いというのは、その子音と母音のコントロールができるということです。(略)
ということで、耳がわるい私には、まったくわからないのもしかたないが。
そういう技術的なことみたいなんぢゃなくて、何を表現すべきかとかって話だと、すこし興味はもてる。
音楽の技術はあるけど、なにを聴くひとに伝えたいかが欠けてるか弱いことについて、小澤さんはこう言ってる。
>そういうのをやり始めると、音楽そのものの意味が失われてしまいます。本当に下手をすると、エレベーター音楽になってしまう。エレベーターに乗ったらどこからともなく流れてくる音楽。ああいうのがいちばん恐ろしい種類の音楽だと、僕は思うんです
うーむ、現在の日本には、そういう音楽があふれかえってるからなー。
もうひとつ、最後のほうに、若い演奏家たちを集めてセミナーをやるところがあるんだけど、そこも興味深かった。
それぞれは技術的には相当うまい奏者ばかりなんだけど、四重奏をやってみると、最初はあまり良くない(私にはわからないレベルだろうが)。
それがマエストロたちが指導して練習を重ねていくうちに、すばらしく改善される。
そこにあるのは、できあがってく過程で必要なのは、共感みたいなものなんだという。
そうかぁ、と思う。最近、ユニゾンのわりには私にとってはすごく聞き苦しい歌舞音曲が多いと思ってんだけど、あーゆーのには一緒に歌ってる他の人の声を聞こうとか共感をつくろうとかってのが無さそうだな、ってことをふと連想したもんで。