町山智浩 平成二十九年 新潮文庫版
副題は「〈映画の見方〉がわかる本」で、単行本の刊行は2006年だって。
すごいおもしろい映画解説をしてくれる著者なので、『トラウマ映画館』のあと、もうすこし何か読んでみよって思い買ってみたのが、これ、ことし7月だったかな。
どうでもいいけど、『マドモアゼル』(1966)とか『追想』(1975)は、専門チャンネルで放映してたんで、さっそく観てみたんだが、んー、たしかに心に爪あとの残りやすい映画だ、あんまり好きなタイプではないが私には。
さて二冊目は何を読んでみようかと迷ったんだが、やっぱ映画に関するものが間違いあるまいと思ったんで。
ブレードランナーは好きだからねえ、それに『トラウマ映画館』はちょっと時代が前だけど、本書は80年代をとりあげてるんで、目次サッと見たなかで他にも知ってる映画あったし。
しかーし、「はじめに」として、まず1946年の『素晴らしき哉、人生!』って、毎年クリスマスにアメリカではテレビ放映される映画の話から始めるところが、いい評論家たるところです。
そっから50年代、60年代、70年代の映画の歴史を経て、
>そんな保守的で能天気な八〇年代ハリウッド映画の陰で、スタジオから締め出された映画作家たちは異様な映画を作っていました。それがこの本に集めた作品です。
ってことで、その監督たちは『素晴らしき哉、人生!』に深い影響を受けて、悪夢の世界を展開させてるんだという。
うーむ、勉強になるなー、もうほとんど、たとえば日本の文学について「これは源氏物語にこういうところがあって、それを意識して」とかっていうのと同じように学術的って感じがする。
で、ブレードランナーの解説では、いよいよ八〇年代ポストモダンに話がいたるんだが、
>未来に向かって物事が良くなっていく、という考えは、近代(モダン)の基本であり、(略)この考え方を「物語」にすると「日常に流されていた主人公が、現実に潜む問題に目覚め、自分の意思で状況を改善しようと行動する」という展開になる。これは近代の劇作の基本パターンで、(略)『スミス都へ行く』(三九年)から『マイノリティ・リポート』まで、数え切れないハリウッド映画が基本的には同じ物語である。(略)近代のものは皆「啓蒙→主体確立→全体の進歩」という同じ「物語」に支えられているのだ。
>リオタールは『ポスト・モダンの条件』で「ポストモダン」とは『大きな物語』が信じられなくなること」と書いたが、それはこの「物語」のことを指している。(p.377-378)
ということで、目的とか役割とか主体とかがなくなっちゃった時代の登場人物としてバウンティハンターもレプリカントも描かれてるらしい、うーむ。
村上春樹とか河合隼雄さんの本読んで、物語の重要性にいまさら気づいた私としては、そんな単純なものぢゃなくてもいいから、物語はあったほうがいいとは思う。
それにしても、
>『ブレードランナー』は情報量が多すぎた。通常の映画の何倍ものアイデアを詰め込まれたうえに脚本に数限りない切り貼りを加えたせいで、一回観ただけでは誰も完全には理解できない映画になっていたのだ。(p.401)
って言ってくれてるのには救われる思いがした、と言ったらおおげさか、でも確かにわからんからねえ。
(私は何度目かで、こんど初めて『ディレクターズカット/最終版』を観たときは、ブレードランナーはじめてのひとと一緒だったが、やっぱ怪訝そうだったもん。)
どうでもいいけど、ブレードランナーのレイチェルの髪型とスーツは、『深夜の銃弾』って1945年の映画のジョーン・クロフォードが演じるミルドレッド・ピアースってヒロインの模倣だったって、すごい、知れば知るほどおもしろくなる映画の世界。
第1章 デヴィッド・クローネンバーグ『ビデオドローム』メディア・セックス革命
第2章 ジョー・ダンテ『グレムリン』テレビの国から来たアナーキスト
第3章 ジェームズ・キャメロン『ターミネーター』猛き聖母に捧ぐ
第4章 テリー・ギリアム『未来世紀ブラジル』1984年のドン・キホーテ
第5章 オリヴァー・ストーン『プラトーン』Lovely Fuckin' War!
第6章 デヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』スモール・タウンの乱歩
第7章 ポール・ヴァーホーヴェン『ロボコップ』パッション・オブ・アンチ・クライスト
第8章 リドリー・スコット『ブレードランナー』ポストモダンの荒野の決闘者
副題は「〈映画の見方〉がわかる本」で、単行本の刊行は2006年だって。
すごいおもしろい映画解説をしてくれる著者なので、『トラウマ映画館』のあと、もうすこし何か読んでみよって思い買ってみたのが、これ、ことし7月だったかな。
どうでもいいけど、『マドモアゼル』(1966)とか『追想』(1975)は、専門チャンネルで放映してたんで、さっそく観てみたんだが、んー、たしかに心に爪あとの残りやすい映画だ、あんまり好きなタイプではないが私には。
さて二冊目は何を読んでみようかと迷ったんだが、やっぱ映画に関するものが間違いあるまいと思ったんで。
ブレードランナーは好きだからねえ、それに『トラウマ映画館』はちょっと時代が前だけど、本書は80年代をとりあげてるんで、目次サッと見たなかで他にも知ってる映画あったし。
しかーし、「はじめに」として、まず1946年の『素晴らしき哉、人生!』って、毎年クリスマスにアメリカではテレビ放映される映画の話から始めるところが、いい評論家たるところです。
そっから50年代、60年代、70年代の映画の歴史を経て、
>そんな保守的で能天気な八〇年代ハリウッド映画の陰で、スタジオから締め出された映画作家たちは異様な映画を作っていました。それがこの本に集めた作品です。
ってことで、その監督たちは『素晴らしき哉、人生!』に深い影響を受けて、悪夢の世界を展開させてるんだという。
うーむ、勉強になるなー、もうほとんど、たとえば日本の文学について「これは源氏物語にこういうところがあって、それを意識して」とかっていうのと同じように学術的って感じがする。
で、ブレードランナーの解説では、いよいよ八〇年代ポストモダンに話がいたるんだが、
>未来に向かって物事が良くなっていく、という考えは、近代(モダン)の基本であり、(略)この考え方を「物語」にすると「日常に流されていた主人公が、現実に潜む問題に目覚め、自分の意思で状況を改善しようと行動する」という展開になる。これは近代の劇作の基本パターンで、(略)『スミス都へ行く』(三九年)から『マイノリティ・リポート』まで、数え切れないハリウッド映画が基本的には同じ物語である。(略)近代のものは皆「啓蒙→主体確立→全体の進歩」という同じ「物語」に支えられているのだ。
>リオタールは『ポスト・モダンの条件』で「ポストモダン」とは『大きな物語』が信じられなくなること」と書いたが、それはこの「物語」のことを指している。(p.377-378)
ということで、目的とか役割とか主体とかがなくなっちゃった時代の登場人物としてバウンティハンターもレプリカントも描かれてるらしい、うーむ。
村上春樹とか河合隼雄さんの本読んで、物語の重要性にいまさら気づいた私としては、そんな単純なものぢゃなくてもいいから、物語はあったほうがいいとは思う。
それにしても、
>『ブレードランナー』は情報量が多すぎた。通常の映画の何倍ものアイデアを詰め込まれたうえに脚本に数限りない切り貼りを加えたせいで、一回観ただけでは誰も完全には理解できない映画になっていたのだ。(p.401)
って言ってくれてるのには救われる思いがした、と言ったらおおげさか、でも確かにわからんからねえ。
(私は何度目かで、こんど初めて『ディレクターズカット/最終版』を観たときは、ブレードランナーはじめてのひとと一緒だったが、やっぱ怪訝そうだったもん。)
どうでもいいけど、ブレードランナーのレイチェルの髪型とスーツは、『深夜の銃弾』って1945年の映画のジョーン・クロフォードが演じるミルドレッド・ピアースってヒロインの模倣だったって、すごい、知れば知るほどおもしろくなる映画の世界。
第1章 デヴィッド・クローネンバーグ『ビデオドローム』メディア・セックス革命
第2章 ジョー・ダンテ『グレムリン』テレビの国から来たアナーキスト
第3章 ジェームズ・キャメロン『ターミネーター』猛き聖母に捧ぐ
第4章 テリー・ギリアム『未来世紀ブラジル』1984年のドン・キホーテ
第5章 オリヴァー・ストーン『プラトーン』Lovely Fuckin' War!
第6章 デヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』スモール・タウンの乱歩
第7章 ポール・ヴァーホーヴェン『ロボコップ』パッション・オブ・アンチ・クライスト
第8章 リドリー・スコット『ブレードランナー』ポストモダンの荒野の決闘者