河合隼雄 平成十年 新潮文庫版
ことし5月に買った古本、対話集だったら易しいだろうなと思って。
なんせ“お話上手”の河合先生の対話だから、おもしろいに決まってるし。
河合先生の心理学の特徴らしい、物語についての話にも期待するものあるんだが、安部公房との対話で河合さん本人は、
>文学はだめなんです。お話は大好きなんです。(p.49)
なんて言ってる、文学と物語はちがうのだ。
谷川俊太郎さんからは、
>河合さんは前に、大学を辞めたら講釈師になって世界を回るとおっしゃっていたでしょう。(p.72)
なんて言われてる、やっぱり本を書くより語り部みたいなほうが好きらしい。
専門的なことについても、
>これを日本人は更に難しく翻訳して「自我はイドの侵入を受けて問題を起こした」というように訳している。僕はよく言うんだけど、フロイトの書いてるのをそのまま関西弁に訳したら、「わてはそれにやられましてん」となる(笑)。(p.247)
なんておもしろいこと教えてくれたりする。
このフロイト解説は村上春樹さんとの対話のなかでのことなんだけど、河合さんと村上さんは1994年5月のこの公開対談のときが初対面だったという、そうだったんだ。
この対談のなかには村上作品の読み方のヒントがいっぱいあるような気がする。
>(略)たとえば村上さんの場合には、「羊男」や「壁抜け」というのが出てくる。それを読者が必然性をもって理解したということは、自然科学の普遍性と違って、「私」の主観的判断として普遍性を持つわけですね。だから自然科学的普遍性じゃない、「私」を中心にした体験をもとにする普遍性を追求する方法が物語ではないかというふうに考えてるんです。(p.266)
という河合先生の言葉は現代の物語論としてすぐれたご意見としてうけたまわった。
村上さんのほうは、聴衆からの他の人とのあいだに壁があってうまくコミュニケートできないという意識についての質問に答えて、
>それは、一種の井戸の中にいるようなもんだというふうに僕は思っているんです。自分の井戸があって、自分の中にずーっと入って行かざるをえないと。(略)みんなが自分の井戸に入って、ほんとの底のほうまで行くと、ある種の通じ合いのようなものが成立するんじゃないかと僕は感じるんですよ。(略)
>僕が小説で書こうとしてるのは、ほんとのそこまで行って壁を抜けて、誰かと〔存在〕というものになってしまうというのがいちばん理想的な形だと思うんです。(p.272-273)
と言ってるけど、これって村上さんの長編によくある、穴のようなものに入っていってどこかに通り抜けるようなことの解説として、ありがたくおぼえておきたい。
自分自身の物語の世界に入っていくことについて、河合さんは、
>傷というのは物語に入る入口なんです。出口でもあるし。そして物語ができたときに傷は癒されるわけです。あまり傷のない人は幸福に生きられるから、周りが傷つくんじゃないでしょうかね(笑)。(p.276)
ってトラウマの役割を解説してくれているが、直後に、そのへんは「ええ加減」でいいんぢゃないかみたいに言って、力が入ってないとこがいい。
どうでもいいけど、河合さんの「ほんというと物語は先にできてて、それを自分は生きさせられてるというふうにいったほうがいいかもわからんぐらいです」と、村上さんの「確かにストーリーというのはつくるものではなくて、内在するものを見つけていくことだし」というのを聞くと、夏目漱石の『夢十夜』の運慶が仁王像を彫り出す話を思い出してしまう。
人にとっての物語の必要性について、遠藤周作さんが、
>人は事実で生きるより、真実というか、神話で生きるわけだから。それを自分でなんらかの形でつくっていかなければならない。(p.170)
って言うのに答えて、河合さんは、
>そういうストーリーをつくっていかれるのを援助するのがぼくらの仕事ですね。ただし、宗教家と違って、こちらからストーリーを提供することはしない。そういう援助をするためにはいろんなストーリーの在り方とか、ストーリーの変形とか、そういうのを知っておく必要がある。
と物語やおはなしに興味がある理由を明かしていたりする。
あと、とてもおもしろいのは、多田富雄さんとの対話で、免疫システムというのはあいまいにできてるけどそでうまくいってるってことをめぐるやりとり。
原発事故よりはるか前の1994年の対話で、電力会社のプログラムについて多田さんは「完全にプログラムされたシステムというのは、危機状態では逆に弱い」と言ってるけど、
>ああいう時の弁解はいつも決まっていまして、あらゆる状況を想定してつくっておったけれども、思いがけないことが起きましたって、なんだかおかしい気がするんですけどね(笑)。(p.189)
という河合さんの答えは、当時は電力消費が急上昇する危機ぐらいの話かもしれないが、今だとあまり笑えないような気もする。
>体のほうは見事にプログラムされているわけではありませんから、かなりファジーなやりかたで、条件次第で反応しているんですけど、そのほうが危機管理としてはうまくいっているということもあると思いますね。(同)
という多田さんの意見がメインテーマで、電力会社はどうでもいいんだけどね。
なんかよくわかんないけどうまくいってるということの重要性について、河合先生は自分の専門の共時性をひきあいに出したうえで、
>つまり内分泌系がこうだからなんとかとか、すべてを因果関係で全システムを考えようというのはおかしいんじゃないか。同じように、自分の人生を全部因果関係で考えるのはおかしいんじゃないか。ただ、共時的に非常にうまくいっているという状況があるというふうに人生を見たほうがいいと僕は思っているわけですね。(略)それを現代人というのは、自分が何かをコントロールすることによってうまく出来る、そのシステムを上等にすればするほどうまく出来るんだという錯覚を起こして苦しんでいるんじゃないかと僕は思っているわけですね。(p.198-199)
と言ってますが、そういう視点での心理療法はいいなあと思う。
ええ加減でいいことの大切さについては、まえがきにあたる部分で、
>人生の残りが少なくなったこともあって、私はもうオモロナイことはしないでおこうと思っている。(p.10)
と宣言してるように自身のスタンスもそうなんだろうけど、すぐれた芸術家なんかが生まれる土壌について、
>どこかの企業なりパトロンが、百万人に一人の暇人に金を払えばできるんです。つまり芸術というのは何もしない人に金を払ってないとだめなんです。何もせん人に金を払っているうちに何かする人が時々現れるんです。それが今は、何かする人にしか金を払わない。(p.98)
なんて言ってるように、なんでも計算ずくでやるんぢゃなくて、むだに見えるようなことでも活きてくること知ってるから説いてるんだろうなと思う。
>何にもしない人というのは、なくてはならない存在なのです。(同)
ってのには励まされるな、俺も何にもしない人になってみたいもんだ。
9月30日追記 目次と対話者ならべるの忘れてたので、以下に。
読書のよろこび、語り合うたのしみ――河合隼雄
1 魂のリアリズム 山田太一
2 境界を越えた世界 安部公房
3 常識・智恵・こころ 谷川俊太郎
4 魂には形がある 白洲正子
5 老いる幸福 沢村貞子
6 「王の挽歌」の底を流れるもの 遠藤周作
7 自己・エイズ・男と女 多田富雄
8 「性別という神話」について 富岡多恵子
9 現代の物語とは何か 村上春樹
10 子供の成長、そして本 毛利子来
ことし5月に買った古本、対話集だったら易しいだろうなと思って。
なんせ“お話上手”の河合先生の対話だから、おもしろいに決まってるし。
河合先生の心理学の特徴らしい、物語についての話にも期待するものあるんだが、安部公房との対話で河合さん本人は、
>文学はだめなんです。お話は大好きなんです。(p.49)
なんて言ってる、文学と物語はちがうのだ。
谷川俊太郎さんからは、
>河合さんは前に、大学を辞めたら講釈師になって世界を回るとおっしゃっていたでしょう。(p.72)
なんて言われてる、やっぱり本を書くより語り部みたいなほうが好きらしい。
専門的なことについても、
>これを日本人は更に難しく翻訳して「自我はイドの侵入を受けて問題を起こした」というように訳している。僕はよく言うんだけど、フロイトの書いてるのをそのまま関西弁に訳したら、「わてはそれにやられましてん」となる(笑)。(p.247)
なんておもしろいこと教えてくれたりする。
このフロイト解説は村上春樹さんとの対話のなかでのことなんだけど、河合さんと村上さんは1994年5月のこの公開対談のときが初対面だったという、そうだったんだ。
この対談のなかには村上作品の読み方のヒントがいっぱいあるような気がする。
>(略)たとえば村上さんの場合には、「羊男」や「壁抜け」というのが出てくる。それを読者が必然性をもって理解したということは、自然科学の普遍性と違って、「私」の主観的判断として普遍性を持つわけですね。だから自然科学的普遍性じゃない、「私」を中心にした体験をもとにする普遍性を追求する方法が物語ではないかというふうに考えてるんです。(p.266)
という河合先生の言葉は現代の物語論としてすぐれたご意見としてうけたまわった。
村上さんのほうは、聴衆からの他の人とのあいだに壁があってうまくコミュニケートできないという意識についての質問に答えて、
>それは、一種の井戸の中にいるようなもんだというふうに僕は思っているんです。自分の井戸があって、自分の中にずーっと入って行かざるをえないと。(略)みんなが自分の井戸に入って、ほんとの底のほうまで行くと、ある種の通じ合いのようなものが成立するんじゃないかと僕は感じるんですよ。(略)
>僕が小説で書こうとしてるのは、ほんとのそこまで行って壁を抜けて、誰かと〔存在〕というものになってしまうというのがいちばん理想的な形だと思うんです。(p.272-273)
と言ってるけど、これって村上さんの長編によくある、穴のようなものに入っていってどこかに通り抜けるようなことの解説として、ありがたくおぼえておきたい。
自分自身の物語の世界に入っていくことについて、河合さんは、
>傷というのは物語に入る入口なんです。出口でもあるし。そして物語ができたときに傷は癒されるわけです。あまり傷のない人は幸福に生きられるから、周りが傷つくんじゃないでしょうかね(笑)。(p.276)
ってトラウマの役割を解説してくれているが、直後に、そのへんは「ええ加減」でいいんぢゃないかみたいに言って、力が入ってないとこがいい。
どうでもいいけど、河合さんの「ほんというと物語は先にできてて、それを自分は生きさせられてるというふうにいったほうがいいかもわからんぐらいです」と、村上さんの「確かにストーリーというのはつくるものではなくて、内在するものを見つけていくことだし」というのを聞くと、夏目漱石の『夢十夜』の運慶が仁王像を彫り出す話を思い出してしまう。
人にとっての物語の必要性について、遠藤周作さんが、
>人は事実で生きるより、真実というか、神話で生きるわけだから。それを自分でなんらかの形でつくっていかなければならない。(p.170)
って言うのに答えて、河合さんは、
>そういうストーリーをつくっていかれるのを援助するのがぼくらの仕事ですね。ただし、宗教家と違って、こちらからストーリーを提供することはしない。そういう援助をするためにはいろんなストーリーの在り方とか、ストーリーの変形とか、そういうのを知っておく必要がある。
と物語やおはなしに興味がある理由を明かしていたりする。
あと、とてもおもしろいのは、多田富雄さんとの対話で、免疫システムというのはあいまいにできてるけどそでうまくいってるってことをめぐるやりとり。
原発事故よりはるか前の1994年の対話で、電力会社のプログラムについて多田さんは「完全にプログラムされたシステムというのは、危機状態では逆に弱い」と言ってるけど、
>ああいう時の弁解はいつも決まっていまして、あらゆる状況を想定してつくっておったけれども、思いがけないことが起きましたって、なんだかおかしい気がするんですけどね(笑)。(p.189)
という河合さんの答えは、当時は電力消費が急上昇する危機ぐらいの話かもしれないが、今だとあまり笑えないような気もする。
>体のほうは見事にプログラムされているわけではありませんから、かなりファジーなやりかたで、条件次第で反応しているんですけど、そのほうが危機管理としてはうまくいっているということもあると思いますね。(同)
という多田さんの意見がメインテーマで、電力会社はどうでもいいんだけどね。
なんかよくわかんないけどうまくいってるということの重要性について、河合先生は自分の専門の共時性をひきあいに出したうえで、
>つまり内分泌系がこうだからなんとかとか、すべてを因果関係で全システムを考えようというのはおかしいんじゃないか。同じように、自分の人生を全部因果関係で考えるのはおかしいんじゃないか。ただ、共時的に非常にうまくいっているという状況があるというふうに人生を見たほうがいいと僕は思っているわけですね。(略)それを現代人というのは、自分が何かをコントロールすることによってうまく出来る、そのシステムを上等にすればするほどうまく出来るんだという錯覚を起こして苦しんでいるんじゃないかと僕は思っているわけですね。(p.198-199)
と言ってますが、そういう視点での心理療法はいいなあと思う。
ええ加減でいいことの大切さについては、まえがきにあたる部分で、
>人生の残りが少なくなったこともあって、私はもうオモロナイことはしないでおこうと思っている。(p.10)
と宣言してるように自身のスタンスもそうなんだろうけど、すぐれた芸術家なんかが生まれる土壌について、
>どこかの企業なりパトロンが、百万人に一人の暇人に金を払えばできるんです。つまり芸術というのは何もしない人に金を払ってないとだめなんです。何もせん人に金を払っているうちに何かする人が時々現れるんです。それが今は、何かする人にしか金を払わない。(p.98)
なんて言ってるように、なんでも計算ずくでやるんぢゃなくて、むだに見えるようなことでも活きてくること知ってるから説いてるんだろうなと思う。
>何にもしない人というのは、なくてはならない存在なのです。(同)
ってのには励まされるな、俺も何にもしない人になってみたいもんだ。
9月30日追記 目次と対話者ならべるの忘れてたので、以下に。
読書のよろこび、語り合うたのしみ――河合隼雄
1 魂のリアリズム 山田太一
2 境界を越えた世界 安部公房
3 常識・智恵・こころ 谷川俊太郎
4 魂には形がある 白洲正子
5 老いる幸福 沢村貞子
6 「王の挽歌」の底を流れるもの 遠藤周作
7 自己・エイズ・男と女 多田富雄
8 「性別という神話」について 富岡多恵子
9 現代の物語とは何か 村上春樹
10 子供の成長、そして本 毛利子来