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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

1971年の悪霊

2019-04-14 18:03:05 | 堀井憲一郎

堀井憲一郎 2019年1月 角川新書
たまには著者名でのWEB検索なんかもしてみるもので、知らないうちに出ていた新書があったので、先月末に急いで買った。
1971年ってなんのことだろうと思ったら、「はじめに」のところで、2009年の民主党への政権交代があったときに、
>この夏、これは1970年ごろ、ほぼ挫折していった学生運動の理念が、ふたたび世を覆っているのではないか、というおもいにとらわれた。
ということで、70年代ごろに世に流れていた思いをふりかえったものということになるらしい。
理想好きの人たちと、破壊衝動を持っている人たちによる、なんかなんでもいいから変えてみたい、それがいいことだ楽しいことだ、みたいな思想までいかない、感情というか気分、空気。
著者は1971年に紛争のあった高校に、1973年に入学したそうだけど、中間テストと制服がなくなってたという。
私は世代的にもっとあとだけど、やっぱ同じように中間テストと制服がなくなってた高校に通った。
私ぐらい後からだと、むかしは何かあったのねという感じかもしれないけど、二年前にバリケード封鎖と機動隊の突入があったばかりのとこに入学すると、討論会とかあって、しかもそこで初歩的なこと訊くのもはばかられて、妙な違和感があるものらしい。
ほかにも世の中ではいろんなことが起きて、先頭に立って張り切ってた人たちには何らかの思想があったようなんだが、それが受け継がれていない、言葉で理念が残されないで、見えない空気のようなものだけがなんとなく人々を覆い続けてる、そういう感じってことか。
改革するとか体制に反抗するってことがかっこいいことで、大義のためには個人は犠牲になってもかまわないって生き方を選ぶことに価値がありそうって感じちゃう、そうやって戦うことが真の自由だとか、なんかそういう考えが支配的になったときに、お祭り騒ぎが生じちゃうというか。
むずかしい話ですね、やっぱリアルタイムで見てないと理解しづらいのかもしれない。見てないしね、あさま山荘事件のテレビ中継とか。
そういうこと言っちゃうと、この国には過去はあるけど歴史がないって言われちゃうのかもしれないけど。
章立ては以下のとおり。
はじめに 白く冷たかった2009年の夏
第1章 1971年、京都の高校で紛争のあった夏
第2章 1971年、岡林信康が消えた夏
第3章 1971年、高橋和巳が死んだ5月
第4章 1969年、「善のウッドストック」と「悪のオルタモント」
第5章 1971年、「小さな恋のメロディ」に惹かれた初夏
第6章 1973年、ローリングストーンズ幻の日本公演
第7章 1968年、パリ五月革命の内実
第8章 毛沢東「文化大革命」を支持していたころ
第9章 左翼思想はどこでついていけなくなったか
おわりに 「悪霊」とは何か

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