河合隼雄 二〇一七年 河出文庫版
これは昨年11月に、たしか買い物の合間に、つい気になって買った中古の文庫。
もとは『平成おとぎ話』という2000年の潮出版社の単行本だということで、もともとは1995年から1999年まで京都新聞にそのタイトルで月一連載されたコラムだって。
そう、河合先生ときたら、「おはなし」だ。
本書のなかにも、留学生としてはじめて外国に行ったときに、自由英作文の課題が「子どものときになりたいと思った職業」だったので「紙芝居屋になりたかった」って書いたって、いいなあ。
それと、前に読んだ本で、もう今後の人生では「おもろない」ことはしないと決めたみたいな宣言があったけど、本書でも、
>(略)私自身は自分の職業を考えるときに、「面白屋」というのがいいかなと思ったりしている。
なんて言ってて、当時は政府関係の仕事なんかもけっこうあったみたいだけど、おもしろいこと探したり紹介したりして楽しんでたようだ。
もちろん本職の心理学の話もあって、いくつかには興味をもたされた。
兵庫県の生野学園という高校の副理事長が
>不登校の重症の子どもたちに共通して見られる問題点として「誰かに同一視する」あるいは「同一視する人を見つける」ことが非常に困難だという事実がある(略)
と言ったということをとりあげて、同一視の体験の重要性を解説してる。
>(略)誰か他の人に対して、自分も「あの人のようになろう」と思ったり、その人の真似ばかりしたり、するような状態をいう。(略)これは人間の成長にとって非常に大切なことだ。(略)そこまで思いこんで努力してみることによって、「やっぱり、自分はこの人と違う」ということがわかり、自分自身の生き方というものがわかってくる。
>(略)人間の個性などというものが、そんなに簡単に見つかるはずはない。誰か自分のほかに「生きた見本」を見せられて、あれだ、と思って努力し、苦労してこそ自分の個性が見えてくる。(p.44-45「幼少時の親子関係の大切さ」)
っていう話なんだけど、幼少期にそういうのうまくいかないと、いいおとなになってから(当時の時節柄でとりあげてんだと思うんだけど)危うい教祖とかにそれ求めちゃうことになったりするって。
そうかと思うと、フィッシャー=ディスカウという歌手がシューベルトの歌曲の指導を日本の生徒におこなったテレビ番組をとりあげて、
>(略)フィッシャー=ディスカウが、このように歌うのだと生徒に歌ってみせ、生徒がそれを聴いて歌いはじめるとすぐに「まねをしないで」と言ったときであった。先生が歌うことによって生徒に教えようとしているのは、その「歌い方」を真似よということではない。自分が歌っているような「たましい」をもって、生徒が自分の歌を歌うように、ということなのだ。(p.70「まねをしないで」)
というとこに感銘を受けたとして、先生を真似してもはじまらない、先生から生徒に伝えるべきは「たましい」なんだという話で、教育の本質に関する考えを展開してる。
出ましたね、キーワードである、たましい。なんなんだろうな、わかるようなわからんような。
そのへん、谷川俊太郎からもらった武満徹のCDにふれてる章で、
>センチメンタルの特長として感情の過剰ということがある。場にそぐわない、あるいは、個人としてもてあましてしまう感情が溢れる。どこかで現実を見る目がぼやてくる。(略)
>それは美しかったり素晴らしかったりするが、そこから少しはずれると一挙に馬鹿らしくなる。そこが浅いのだ。私流の表現で言うと、感情にはたらきかけてくるが、たましいとは無縁なのである。(略)
>センチメンタルな作品は錯覚を生み出す力をもっている。それに乗ってしまうと、感情の揺れがたましいの揺れのように感じさせる作用をもっている。(p.73-74「センチメンタルの効用」)
なんて解説もあって、たましいは感情とはちがうんだという。うん、ちがうだろうな。
各章は、ひとつあたり文庫で3ページと短いもの、53話あって、多いからここに題名は並べない。