E・S・ガードナー/船戸牧子訳 昭和57年6版 ハヤカワ・ポケットミステリ版
長時間の移動とかしなくなったんだけど、ちょっとしたひまつぶしに電車のなかとか待ち時間で読むのに、やっぱペリイ・メイスンシリーズはいい。
原題「THE CASE OF THE FIERY FINGERS」は1951年の作品。
メイスンのとこへ相談にきた派出看護婦は、仕事で看病している夫人にこのクスリを飲ませろって、夫のほうからあずかったけど、これって毒殺するためぢゃないかと言い出す。
相談料わずか一ドルで話をきいた弁護士は、錠剤の成分の分析なんかはするが、そもそもこの話は看護婦がアリバイをつくるために自分を巻き込んだんだろうってことに気づく。
いまごろヤバいことになってんぢゃないかと、「来いよ、ポール、行って死体をみつけよう」なんてとんでもないセリフ言って、探偵のポールと現場へ行くんだが、幸いなことにまだ人は殺されてない。
そこでは、問題の看護婦が、宝石泥棒の疑いをかけられてトラブルになってた。
例のクスリを夫人に飲ませようとしてる夫がヤな奴なので、メイスンは「反対訊問ができるという楽しみのためだけで」弁護を引き受けることになる。
で、裁判では、疑ってる側の証拠というのが、宝石箱につけておいた蛍光塗料が看護婦の指についてたっていうだけなので、メイスンはそれは箱にさわっただけで泥棒した証明にはならないとかって感じの反対訊問でやっつける。
そんな前段があったあとで、看病されてる夫人の妹がメイスンのとこにやってきて、姉は財産目当ての夫に毒殺されようとしているなんて相談にくる。
ここで何だか書類的には不備のあるような遺言書も持ち出されて、誰がいいもんで悪もんなのかあやしいとこもあるんだが、ほどなく人が死に、メイスンは被害者の妹の弁護を引き受ける。
被害者の死因は砒素中毒らしいんだけど、メイスンが前に分析にだしたあやしげなクスリのなかみはアスピリンだって結果は出てるし、誰がいつどうやって毒を飲ませたのかがよくわからない。
でも裁判が始まってみると、被告が砒素を買って持ってたってことが明るみにでて、ただでさえ不利なのが、さらにひどくなる。
メイスンは、なるべく検察のやりたいようにやらせておいて、そのかわりに反対訊問の間口を広くとるというテクニックをつかい、またしても件の夫をやっつけようとし、あんたの前の夫人が死んだのも砒素中毒ぢゃなかったのかなんて反撃をする。
ところが、最終的に事件が解決するのは、関係者の家に盗聴マイクを仕掛けて録音するという荒業の賭けに出た成果で、それ指示された探偵のポールが、そんなこと出来るもんかとか、つかまったら探偵免許取り消されちゃうとか言う無理難題レベルのことを実施できちゃったからということになる。
そういうのって、あんまりフェアとはいえないなーというか、なんか邪道っぽいと思う。
誰かの超人的活躍とか、捜査や調査の幸運によりかかって、解決ができてしまうというのは、どうなのって、ご都合主義って感じがしちゃう。