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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

魍魎の匣

2019-05-18 20:10:21 | 読んだ本

京極夏彦 1999年 講談社文庫版
ときどき自分で自分のブログのなかを検索することなどがあるんだが、あれ?読んだはずの本なのに書いてないなってこともある。
これがそのひとつで、持ってるのは2006年の23刷なんだが、まあ2007年か2008年に読んだんぢゃないかと思われる、当ブログの開始は2008年12月だからねえ、大昔の蔵書よりむしろ直近のもののほうがオチてるのはありがちな気がする。
『姑獲鳥の夏』につぐ京極堂シリーズの2番目ということで、順番にしたがって読んだような記憶がある。
で、せっかくだから読み返すことにしたんだが、なんせ分厚いからねえ、読むのも大変、文庫で1050ページ。
主人公の京極堂が初めて出てくるのが258ページだもの、待ってましたというにも遅すぎる。
ちなみに、このとき京極堂は、語り部のひとりから「芥川龍之介の幽霊」「親戚全部が死に絶えでもしたような仏頂面」と紹介されている、笑う。
どうでもいいけど、258ページどころか、私の好きなキャラクターの榎木津探偵なんかは454ページにおいて、ようやく初登場する。
そんなわけだから、なかなか事件の全容なんかはわからない、ま、その流れがいいんだけど。
登場人物のひとりによって26ページの時点で「そんなの人間じゃなくて、お化けか、もうりょうです!」とか、主要キャラのひとり木場刑事によって55ページで「自分は中味の入っていない菓子の箱のようなものだ――。」なんて述懐があって、「モウリョウのハコ」への匂いだしは早くから始まるんだけど。
舞台の時代は昭和27年の8月から9月で、場所は武蔵小金井とか三鷹あたりを中心に、武蔵野から遠くは相模湖へかけてのそのへん。
事件のひとつは、14歳の女の子の自殺未遂だか殺人未遂だかよくわかんない鉄道での人身事故。
もうひとつは武蔵野連続バラバラ事件、調布とか登戸とか田無とか多磨霊園で、腕とか脚とかだけが発見される猟奇的犯罪。
で、これに御筥様と呼ばれる謎の霊能者がからんでくる、ケガレがあるから箱にとじこめるとかっていうんだが、その対象が魍魎だってことになる。
やがて京極堂がこの教祖と対決することになるんだけど、そもそも魍魎ってのは正体がよくわかんない妖怪らしいんで、さしもの陰陽師も最初は慎重だったりする。
それはそうと、その御筥様の相談をもちこんだ出版社の記者に対して、京極堂が宗教者、霊能者、占い師、超能力者のちがいを解説するところは、すごくおもしろい、こういう理屈が好きでこのシリーズを読んでるようなとこはある。
あと、どうでもいいけど、
>文化的交流の殆どない世界の各地で、恰も同じものであるかのような怪異が確認出来るように、それは、ある意味で普遍的に発生したと考えられる節があるからだ。人間は根源的な〈妖怪原形〉とでも呼ぶようなものを幾つか持っているんだね。(p.525)
っていう京極堂の言葉を借りての説明は、最初読んだときにはわかってなかったんだが、河合隼雄先生の「おはなし」に関することなんかを知ったいまとなっては、なるほどねと思う。
物語のほうは、「僕の商売は探偵じゃない。憑物落しです」という京極堂が、関係者一同をあつめて全員の魍魎を落すことで決着。
長いけど、文章はさくさくしてて改行も多い感じで、読むスピードは速くなりやすい気がする。

コメント
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