京極夏彦 2001年 講談社文庫版
読み返している京極堂シリーズ、その第4弾。
これ、好きなんだ、初めて読んだとき気に入った、そのあと読み返してはなかったけど。読んだの2008年だと思う。
なんせ起きる事件は、箱根山連続僧侶殺害事件なんである、なんともぞくぞくする響き。
箱根の山のなかの寺で雪の積もる季節に、そこの坊さんが殺されるんだけど。
その殺されるひとと順番の決めかたがなんとも衝撃的だったのが、お気に入りの理由、私にとっては。
それに、気がつくと足跡もない雪景色の庭に、結跏趺坐した坊さんの死体が、大勢の目の前に突然現れるって、そういうのビジュアル想像させられるとすごく刺激的。
舞台となる寺の設定が謎めいてて、博識な京極堂ですらその存在を知らなかったっつーところがふつうぢゃないことを物語っている。
ときどき語り手になる関口の言によれば、檀家のいない寺院は「まともではない」ということになる。
なんでそんなとこに関わり合いになっちゃうかというと、京極堂の妹の敦子が仕事で座禅中の脳波の測定とかの取材に来たからなんだが。
主人公京極堂は、別件というか本業の古本屋の仕事として近くを訪れてたとこを巻き込まれて、毎度のことだがやりたくないのに探偵役を背負わされる。
特に今回、得意のはずの憑物落としをしたがらないのは、「禅は言葉では表せない(p.820)」とか、「禅は個人的神秘体験を退け、言葉を否定してしまう(p.1206)」とかって禅の性格が、陰陽師の手法と相いれないからってことになる。
その京極堂による禅の解説は、なかなかわかりやすくていいと思うが。
どうでもいいけど、作中に出てくる禅寺用語の知客とか直歳とか典座とか維那なんてのは、私にとっては『ファンシイダンス』で馴染みになってたんで、つっかえずに読み進むことができた。
あと、墨染めの坊さんだけぢゃなくて、「この世のものともは思えぬ程畏ろしい顔」で睨みつける振袖を着た娘、なんてのが出てくるとこが、異界感をあおっていい、やっぱ『魍魎の匣』とかよりはこっちのほうを映像化してほしいような気がする。
物語のはじまりが、「拙僧が殺めたのだ」ってのもおもしろい、これって『猫田一金五郎の冒険』の「第3セクター殺人事件」でとり・みきが「わしが殺した」って3コマ目に坊さん描いてパロってるやつとして私にはおなじみ。