コリン・ウィルソン/田村隆一訳 昭和五十年 徳間書店
タイトルの讃歌には「うた」ってルビふってあります。
副題は「文学・音楽・そしてワインの旅」。
原題「A BOOK OF BOOZE」は1974年の出版。boozeって単語は知らなかったな、酒、動詞だと大酒を飲む。
この本の存在を知ったのは、丸谷才一の『低空飛行』を読んでたら、訳者の田村隆一が紹介していたからで。
本書のエピローグのとこに、著者によるその仮説の披露がある。
>生物学者は、なぜ人間の進化が他のどの生物よりも非常に早くなされたかについては、満足できるまでには説明していない。人間は、馬の千三百万年、あるいは、サメの一億五千万年に比べ、一万三千年のあいだにより大きく変化してきた。
>しかしもっとも著しい変化は過去一万年のあいだ――進化の期間としては、わずかまばたきの一瞬にすぎない――に起こっている。この期間に人間は、頭のいいチンパンジー同然の生物から、ロダンの「考える人」にまで変化した。
>この変化が起こったのは人間がアルコールの発酵法を発見した約BC八千年以後のことであるというのは、まったくの偶然の一致だろうか?(略)
>どのようにして人間が槍やすきや、ひきうすの石を発達させてきたかを理解するのはやさしい。しかしどのようにして、詩や哲学や数学といった日々の生活にかかわりのないものを創り出したかを理解するのはむずかしい。
>私は厳粛にその答をいおう。それは精神を解放する不思議な力を持ったあのアルコールがあったからである、と。(略)
>もし、私の推論が正しいとするならば、人間の科学的な定義に、重要な脚注がつけ加えられるべきである。
>人間はホモ・サピエンスであり、ホモ・ファーベル、つまり社会的動物、道具を作る動物であるばかりではない。人間は根本的に、ホモ・ビネンス――ワインを造る動物であると。(p.321-324)
ってのが、それ。かっこいいぢゃないですか、中沢新一の「詩を作れるヒト」以来の衝撃です、「酒を造るヒト」。
で、読んでみると、もうちょっと酒に関連するエピソードがあればいいのに、ってちょっと思うくらい、酒そのものについての話が多かった。
それもワイン、フランスの地方の名前を順にあげてって、どういうワインができているとかってのは、私はあんまり興味ないんで、読んでておぼえる気にならないものを読むのはつまんない、っていうか、飲んでみてーって気になんないんだよね。
でも、最初のワインの歴史ってのは、おもしろかった。
約五十億年前に地球ができて、ゆっくりと冷えていき、海が形成されて、二十億年以上前に、最初のちっぽけな生物があらわれた、なんて導入は『サピエンス全史』みたいにスケールを大きく見せていい。
そこで「これら最初の有機体が、ワインを造り出す酵母に非常によく似ているということである」なんて、さっそくアルコールの話になるのがいいぢゃないですか。
それから、
>もしアレキサンダーが長生きして、彼の帝国を統治したら、ギリシャ文化――それを彼は恩師アリストテレスから学んだ――は、古代世界に広く、アレキサンドリアからサマルカンド、そしてカラチへも浸透していったかもしれない。異文明間相互を豊かにする可能性は膨大なものであったろう。
>だが、アレキサンダーは死に、その帝国は崩壊した。
>私たちの観点からいえば、長生きしたアレキサンダーという想念の主な興味は、ワイン帝国が、エジプトからインド、南ロシアにまで広がったかもしれない可能性である。(p.62-63)
とか、
>ある意味で、ローマ人はギリシャ人より優れていた。
>彼らはもっとまじめで分別があり、決断力があった。ギリシャ人が仲間うちのつまらない喧嘩で多くの時間を浪費するのを軽蔑していた。それでも、ギリシャ文化を吸収するほどの良いセンスを持っていた――それは、ギリシャの神々と同じように、ワイン造りのギリシャ的方法を引き継ぐことを意味していた。
>かくて、ブドウの樹は、後にローマ帝国の一部になった未開の地方にも、はかりしれないほどの文明的影響が及んだことを実証した。
>彼らはブドウの樹を、スペインに、ドイツに、カリアに(マルセーユ地方にはギリシャ人がすでに植えていたが)、植えた。(p.66)
とかって、ワインでしか文明を考えようとしない観点は素敵だ、ここまで徹底してると。
あと、近代の歴史の重要事態として、1860年代にアメリカのブドウの樹が一本、ロンドンの国立キュー植物園に送られてきたが、それが新大陸からヨーロッパにブドウ線虫って寄生虫をもらたらすことになった、って話は聞いたことなかったが、実に興味深い。
>ヨーロッパのブドウの樹には抵抗力がなかったので、ブドウ線虫は、さながらペストのごとくひろがった。(略)やがてある人が、アメリカのブドウの樹には、自然の抵抗力があることを思い出した。それらがフランスに運ばれて、フランスの樹につぎ樹された。効果てきめん。ふたたびフランスのブドウ園は栄えるようになった。
>しかしそこには、ある種の不利益も生まれた。注意深いつぎ樹で、いやな味が取り除かれたのはたしかである。しかしアメリカのワインは、ヨーロッパのワインの生命が五十年はあるのに比べ、約二十五年という短命であった。(略)
>一八七〇年以後、ワインの生命は短くなり、ワインの鑑定家たちはフランスワインの質がとり返しのつかないほど損なわれた、と何年ものあいだ不平を言った。(p.114)
ってのがヨーロッパのワインが昔と違っちゃった経緯なんだそうである。
ロマネ・コンティのブドウ園とかは、殺虫剤を使ったりして保護されてきたが、第二次世界大戦が勃発して、殺虫剤が入手できず、「千二百年も前に修道僧たちによって植えられたブドウ園は破壊された」ってことになったらしい、すごいねワイン文明論、戦争のおかげで1945年以降のロマネ・コンティは昔の水準には至らないってんだから。
で、そうやって、ワインの話がボリューム的には3分の2以上だろうかという本書だけど、ビールとかウイスキーの話もちょっとはある。
「ウイスキーは基本的には、蒸溜されたビールである(p.271)」ってのは大胆な言い方だが、
>現在でも、なぜスコットランド人とアイルランド人だけが第一級のウイスキーを造れるように見えるのか、優秀な化学者が解明したとしたら、ノーベル賞ものだろう。(p.272)
の続きの、
>蒸溜器自身に何か秘密があるのかもしれない。ウイリアム・マッシーが紹介している話だが、高地にある使い古した古いポット・スティル(ポット型の蒸溜器)がついに役に立たなくなってしまった。そこで持主は、古いくぼみやかき傷まですべて前のとおりに、新しい蒸溜器を組み立てた。結果はまったく同じウイスキーができたという。(同)
って話は好きだな、くぼみや傷も大事、食べ物屋は場所変わったらダメなんだよ。
それにしても、ワインのところでもウイスキーのところでも、酒飲みなんて実は酒の味の違いを言い当てられやしない、みたいなエピソードをこそっと入れてくれてのがおもしろい。
あと、どうでもいいけど、古代スパルタ人の歴史の話のなかで、
>ついに“としになる”、つまり市民としての年齢、三十歳に達すると、やっと市民としての役割を演ずることができる。以来、彼は、怠惰な金持の一人になり、鉄の鍛錬はいまやゆるみ、ウォードハウスの描くバーティ・ウースターのようなプレイボーイになりさがるのだ。(p.49)
という一節があって、P・G・ウッドハウスの「ジーヴズ」ものは一般教養として知ってないといけないんだなと再確認した次第。
序章 ワインの詩
第一章 ワインの歴史について
第二章 フランスのブドウ園
第三章 ドイツ、イタリア、スペイン、ポルトガル
第四章 ビールとスピリッツ
第五章 パブ讃歌