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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

毒言独語

2021-02-07 18:34:10 | 読んだ本

山本夏彦 昭和五十五年 中公文庫版
丸谷才一が「山本夏彦さんが好きである」と書いていたので、そのコラム系のを読んでみたくて、地元の古本屋で先月見つけて買ったもの。
もっとも丸谷才一によれば、
>山本さんの得意の話題は昔はよかつたといふことである。つまり、今は駄目。じつにはつきりしている。こんなふうに言ふとあまり立派に聞こえないかもしれませんが、そんなことはない。下降史観と呼べばたちまちもつともらしくなる。(『夜中の乾杯』p.216)
ということらしいんだけど、そういう先入観もって向かいあっちゃうと、なるほど文句ばっかり言ってるなって気がしてきてしまう。
いまの若者は8月15日が何の日だか知らないとか、アメリカと日本が戦争したことすら知らない、とか憤慨されても、あまり共感するとこもない。
週刊誌とかで毎週1ページくらいそういうコーナーがあったらいいかもしれないが、毒吐いてるものばかり集めて一冊にされると、いいよ、もうわかったよ、って言いたくなる気になってしまう。
単行本は昭和46年刊行で、その前の3年間くらいに「週刊朝日」に連載していたコラムだということだが。
読んでて、そのころといまとでも、日本って変わっちゃいねえんだなあ、ってのが一番に浮かんだ感想だ。
>そしたら世界中のニュースは、茶の間にはんらんする。情報過剰である。情報に圧倒され、支配される。これからは情報を取捨して、選択しなければならぬと、警告するものがある。(p.43「嬉しくない情報化時代」)
とかテレビ報道のこと言ってんだけど、
>ご存じの通り、テレビは広告収入によって経営されている。そして、メーカーは巨大なスポンサーである。(略)
>欠陥車騒動で、テレビが正義になり得たのは、アメリカのおかげである。トヨタ、日産の実名をあげ、アメリカが非難したことからこの騒ぎはおこった。(略)
>新聞にアメリカ側の文句が転載されたから、テレビはその尻馬に乗ったのである。いくらメーカーが怒っても、さきに書いたのは新聞である。文句は新聞に、さらにはアメリカに言ってくれ。(p.86「テレビの正義を笑う」)
と自己保身したうえで騒ぐテレビの姿勢を攻撃したりして。
マスコミだけぢゃなくて、世論ってやつの風潮にも文句いう。
皇室の新しい建物が当時総工費百三十億円かかったって話題について、
>ところが、それを嫉妬して、金をかけすぎたと非難する男女がある。昭和五十年には、わが国民総生産は百三十兆になろうというのに、その宮殿が百三十億とはなさけない。(略)
>およそ凡夫凡婦の想像を絶した大金をかけなければ、モニュマンなんかできはしない。(略)
>私は国民のけちなのにかねがね驚いている。庶民の住宅と、天子の宮殿を一緒くたにして、やきもちを焼く発想にあきれている。(p.47-48「分際を知れ分際を」)
なんて言ってるが、いまでもそういうことはザラにありそうだ。
たとえば政治家では、吉田茂を例にあげて、
>彼ほど在任中悪くいわれた首相はない。(略)
>以下略すが、毎日悪口雑言をあびせられ、それが何年も続いた(略)
>当時、彼を弁護するのは危険だった。袋だたきにされた。それが一変して、歴代総理中の第一人者になった。チャーチルに比肩する宰相、機知と諧謔にみちた座談の名手になった。死んだらマスコミは泣けといって、テレビは泣いている市民をうつした。
>あの泣いた人は、以前罵った人である。全く同一の人物である。(p.133-134「大衆は大衆に絶望する」)
と世間のひとの意見っていいかげんなもんだとグサッと言ってる。
>ひとはそもそも見さげた存在だと、認めた上の発言が大人の発言である。それを認める能力がなく、いつまで自分を正義と潔白のかたまりだと思っていては話がすすまない。
>大衆社会は大衆が主人で、その主人に媚びる社会である。わがままだというと怒るなら、言わない社会である。それは承知だが、ものにはほどということがある。ほどにしてもらいたい。(p.195「まじめ人間に贈る言葉」)
とか、
>彼らはこれを言論の自由の回復だと言っている。してみれば言論の自由とは、大ぜいと同じことを言う自由である。大ぜいが罵るとき、共に罵る自由、罵らないものをうながして罵る自由。うながしてもきかなければ、きかないものを「村八分」にする自由である。(p.209「そもそもあるのか言論の自由」)
とかって、当時はあるはずもないSNSなんかで今みなさん言いたいこと言ってる状況と、変わんないぢゃないかという気がする。
どうでもいいけど、
>そしたら、いつぞや、地下道のエスカレーターで、うしろから追いぬこうとする男に出くわした。
>エスカレーターというものは、乗ったら立っているものだと私は承知している。(略)私は次第におかしくなって、どうぞと譲った。これまた急ぐために急ぐ人である。(p.82-83「何をそんなに急ぐのか」)
ってのを読んだときには、笑ってしまった、1970年ころと2020年ころと日本人はやってることあまり変わっていない。
とにかく、啖呵、毒舌がずらり並んでいて、説教聞いてる気分になってしまうのだが、一読したなかで次の一節は良い調子だと思った。
>きっばり「良心」と言いきるなら男らしいが、皆さん「良心的」とおっしゃる。
>未練である。いさぎよくない。(p.115「良心的という名のうそ」)

コラムのタイトル書き並べると何に怒ってるかわかりやすいかもしれないけど、「毒言独語」61篇、「たった一人のキャンペーン」34篇あって多すぎるのでやめとく。一篇あたりは文庫で3ページほどの短いもの。

コメント
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