とり・みき 一九九七年 徳間書店
サブタイトルは「とり・みき&人気作家9人の本音トーク」で、とり・みきの本だけどマンガぢゃなくて、同業者との対談集。
先月に古本屋のマンガの棚んとこでたまたま見つけたんだけど、帯に登場するマンガ家の名前として江口寿史とか唐沢なをきとかあったんで、迷わず買った。
初出は1994年ころの「月間少年キャプテン」だっていうけど、そのマンガ誌は知らんなあ。
巻頭の「はじめに」が、
>人はどうやってマンガ家になるのだろうか。
>マンガ家になるような人間はどのような少年あるいは少女時代を過ごしてきたのだろうか。
で始まってるように、どうやってデビューしたのかとか、どんなマンガを読んでたかとか、あの作品を描いてたころはどんな日々だったのとか、話はそういうことが中心で、作品論とか批評ってことぢゃない。
ところで、とりさん自身は、青木光恵との対談のなかで、
>どうやったらなれるんですかとか訊かれたり、学校で教えたりしてるところがあるけれども、マンガ家というのは気がついたらなっているものですよ、なる人は。ただ何年も続けていくのがむずかしい(笑)。(p.104)
なんて言っている、みもふたもないというか。
続けてくことがむずかしいことについては、とくにギャグマンガだからってこともあるんだろう、ギャグ描き続けていくことの大変さはこれまでにも他の本で読んだことがある。
おなじギャグマンガである唐沢なをきは、
>(略)ギャグはページ数が少ないじゃないですか。それで、ページ数が少ないということは単行本がなかなか出ないということで、単行本が出ないということは貧乏だということじゃないですか。(p.143)
なんてスゴイ本音を言ってんだが、とりさんも答えて、
>そうなんだよな。今は週刊誌の巻末の2色ページとかだと、確かに目立つかもしれないけど、でもそれですら1回に4ページぐらいだから、1年に1冊しか単行本出ないでしょう。すごい効率悪いよね。ストーリーの人はどんなに水増しして描いても3カ月に1冊は単行本が出るわけだからね。その所得の差たるや。(同)
なんて正直すぎるような嘆きが出てきてしまっている。
そりゃあギャグマンガが無くなってくわけだ。(とりさんによれば、一見ギャグマンガにみえるものも「シチュエーション・コメディ」ばかりということになる。)
とりさんのギャグ魂については、ゆうきまさみとの対談でも垣間見えて、少年誌の編集者からはフォローのセリフを入れろと言われたといい、
>こっちはマンガってどれだけ絵で見せるか、どれだけ文字をそぎ落とせるかって作業だと理解してたから、セリフのないギャグに(ギャグを解説するような)セリフをつけろといわれてずいぶんとまどった覚えがある。(p.31)
なんて胸中を語ってるんで、そこんとこ筋金入りの生粋のギャグマンガなんである。
コンテンツは以下のとおり。
ゆうきまさみ 『パトレイバー』で描いたこと、あるいは描かなかったこと。
しりあがり寿 自分の本当のオリジナリティっていうのは本来自分でもなかなかわからないはずなんです。
永野のりこ 自分の描いたマンガを読んで受け容れてもらえるのってステキですよね。
青木光恵 一心不乱にひたすら女の子ばかり描いていたあのころ。
唐沢なをき 編集者の名前? 全部覚えてる。もうばかばか、あのばか、あのばか。
吉田戦車 もう『伝染るんです。』には戻れない。
江口寿史 やっぱりマンガは少年誌。今度、本当に持ち込みに行こうかと思ってるんです。
永井豪 心の底にねむる「何か」に動かされて描く。
吾妻ひでお 失踪するなら家のローンが終わってから。