many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

社交する人間 ホモ・ソシアビリス

2022-01-15 18:42:55 | 読んだ本

山崎正和 2006年 中公文庫版
ふう、これ、やっと読んだ。
中古の文庫を見つけて手に入れたのは、たしか去年の1月だったが、むずかしそうな気がしてずっと放って後回しにしてた。
もともとは丸谷才一の『ゴシップ的日本語論』読んだときに、
>わたしの敬愛する友人である山崎正和さんが最近お出しになつた『社交する人間』といふ本(中央公論新社)があります。読みごたへのあるいい本です。問題点が清新で目を見張るやうな感じです。(『ゴシップ的日本語論』p.61)
ってあったのに目を止めて、その後さがしたものなんだが、まあ近年の私には「読みごたへ」のある本はなじまないのかもしれない。
読んで思ったんだけど、前半戦はあまりおもしろくない、なんか途中で集中力なくなったりした、けど、終盤のほうはおもしろくてどんどん読み進めた。
前半のほうは、ジンメルがどうしたとか、ゲゼルシャフトがどうとか、ホイジンガがどうしたとか、なんか歴史と過去の学説みたいな話並んでるんで、勉強嫌いな私には合わないのかも。
「社交と経済」とか「社交と政治」みたいな話になってくると興味がもてて、おもしろく読めた。
で、それよりも今回とても刺激されたのは、身体運動のリズムの話。
>このリズムの運動のなかからやがて意識が生まれ、標的に向かう矢印型の志向作用が始まって、結果として主体と対象の区別も起こりうることは、容易に想像できるだろう。おそらく最初にあるのは自然な運動状態であり、そこでは微弱な拍節と流れが緩慢なリズムをかたちづくっている。ところが、その自然な運動が何らかのきっかけで躓き、リズムの流れが乱れようとすると、それを維持するためにおのずから拍節が強められる。(略)そしてその能動性の主体となるものを考え、それに名前をつけようとすれば、それは意識としか呼びようがないのは明白ではないだろうか。(p.267-268)
とかって個人の意識とは何ぞやから始まり、
>そしてここまでの観察でわかったことは、文化は人間のある独特の生きかたを内容としているということであった。それは人間が行動を定式化しながら生きる生活、具体的にはリズム化しながら生きる生活を基盤として成立するということであった。(p.271)
って、環境からの刺激に反応するだけの生物としてではなく、リズムつくって能動的に行動することが文化ってもんで、
>流れと拍節がほどよく均衡し、リズムが緊張していれば生活は文化的になり、拍節が弱まってリズムが弛緩すれば、生きかたは自然に埋没する。逆に流れの力が弱まってリズムが硬直し、機械的、図式的な規則に変われば生活は文明化すると考えられる。(p.273)
というように、自然的、文化的、文明的ってのはどういうことかって解説する、こういう考え方は初めて聞いたので、蒙を啓かされた感じがした。
そうやって手を変え品を変え、
>(略)人間が社交を求めるのはたんに楽しみのためでもなく、ましてただ孤独を恐れるからではない。それはむしろ社交が人間の意識を生み、自律的な個人を育てるのと同じ原理によって、いいかえれば個人化とまさに同じ過程のなかから発生していたからである。けだし社交の人間関係が情緒的な密着を嫌い、「付かず離れず」の距離を求めるのは、遠くこのことに起因していたといえるだろう。(p.295)
って、人間は社交する生き物であるみたいなことを繰り返し説いてくれる。
あと、
>しかし同じころこの商品需要の多様化と並行して、早くも注目を惹いていたのが消費動向のより本質的な変化であった。外食や観光からスポーツや生涯学習にわたる、いわゆる「時間消費」の高まりがそれであって、これによって商品消費の市場が侵食されていることが伝えられた。(p.354)
って、支出金額に対して消費しうる時間の量が大きいもののほうが消費者にとって価値が大きいって「時間消費」って概念、あまり自分では考えたことがなくて、これまた刺激的だった。
で、さらに、時間消費のなかで人々がどういうふうに関係を結ぶかについて、あるインターネット上での研究会というか討論の場の例をあげて、
>(略)参加者はそこで互いの「業績」を認めあうことに喜びを覚えていたという。金銭的にはもちろん、現実社会の名誉の点でもまったく無償の集団のなかで、それでも人びとは相互の認知を頼りに絆を結びあう(p.357)
ってあって、本書の単行本は2003年だけど、当時より現在のほうがますますそういう自由な非組織的共同体みたいなもの増えてると思うんで、いよいよ社交の場はネット空間が中心になってんのかなという気がした、人間関係「付かず離れず」だしね。
主な章立ては以下のとおり。
序章 社交への飢餓
第一章 現象としての社交
第二章 社交の社会学
第三章 社交と現代社会論
第四章 社交と遊戯
第五章 「アルス」の終焉
第六章 社交の興亡
第七章 社交と経済
第八章 社交と政治
第九章 社交と文化、文明
第十章 社交と自我
終章 グローバル化と社交社会

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする