橋本治 二〇〇七年 集英社新書
これより前に読んだ『上司は思いつきでものを言う』がおもしろかったからだろうか、これは出てすぐ読んだっぽい、15年も前のことだからおぼえちゃいないけど。
2007年がどんな時代だったかもはっきりおぼえてない(自分の身の回りのことはいくらか記憶ある)けど、いまの日本どっかヘンだからなんとかしよう、って本なんだけど。
著者があとがきで、「この長く膨大にして、ややこしくかつ広範な本」と自ら言ってるくらいなんで、ややこしい感じがします。
教育とか政治とか経済とかについて、なんでいまこんなことになっちゃってるんだろうと考える。
最初は子供がいじめで自殺するって問題をとりあげる、子供が自殺まで行くのはおかしいと、それは昔はいた「いじめっ子」ってのがいなくなって、
>「学校」という場所が、今や「友達」という得体のしれない人間達によって占拠されているのです。(略)
>だから、「友達」であるような人間が攻撃を仕掛けてきたら、いじめにあった子は、その「友達」のいる所から消えなければならないのです。(p.46)
みたいな考察をする。
みんな仲間であるはずだから、そこにいじめはあるはずない、みんなで排除したんぢゃなくて、その人間が個人の意志で出て行ったんだ、みたいな構造、ほんとかもしれないが薄気味わるい集団の心理だ。
以前からあったいじめが質を変えてったのは80年代らしく、その変化の理由を探ってくんだが、
>犯人は、「教育の中にあるもの」ではなくて、教育の外にある「社会のありよう」です。「社会のありよう」が変わったからこそ、「学校の中の変化」も起こったのです。(p.93)
として、本題である日本社会の変化についてみていくことになる。
1985年に時の総理大臣が「国民一人当たり百ドル相当の外国製品購入を」と呼びかけたのが日本人を変えたのだという。
>警察庁初の「いじめ白書」が登場する一九八五年の四月には、この官庁を統括する内閣総理大臣が、「日本人はもうあんまり働かなくてもいい。それより、外国のためにお金をつかってあげよう」と言うのです。私が問題にしたい、「この二、三十年一貫して続いている状況の中で起こった、日本人のありようを変えさせてしまう“変化”」は、ここにあります。(p.98)
として、その後の日本は、「日本人はもう金持ちだ」とか、「景気を上向かせるには個人消費を増やせ」とか、教育についていえば「もうあんまり勉強しなくていい」とか、そういう基本トーンが続いてくことになったと。
それと70年代の女性運動をきっかけに流行り出した「自立」って言葉をとりあげて、
>(略)後になって、「自立」という言葉の中に「“自立”を口にしたら、もうそっちの責任なんだから、こっちは知らないよ」という便利な使い方があるのを発見する。(略)
>なにが面倒臭くて、自立する準備が出来ていない相手に対して、「さっさと自立しろ!」なんていう言葉をぶつけるようになってしまったんでしょうかね。(略)
>(略)知らない間に、そういう「便利で進歩的な言葉」がなにかを蝕んでいて、それに人があまり気づかずにいたというのが、今の日本の現実だと思います。(p.116-117)
なんていう、なかなか普通の評論家みたいな人ぢゃ言わなさそうなことを指摘してくれるのが刺激的でいい。
で、さらに、地球温暖化を止めるにはどうしようといった問題にすすんでいくんだけど、いきなり、超高層ビルを作るのやめよう、今ある超高層ビルは壊していこうって、すごい提言にぶっとぶ。
日本は江戸時代のシステムでもよかったんだとか、世界は産業革命以前の段階に戻せばいいのだとか、自ら「めちゃくちゃ」という理論を出してくるんだけど、とりあえず日本を60年代前半に戻すには超高層ビルをなくせと言い出す、この飛躍がおもしろい。
「形から入る」とか言いつつ、ちゃんと超高層ビルをなくすメリットを列挙したうえで、中国に対して「だって、そんなことはもう古いんだもん」とか根拠ない確信をみせつけてプレッシャーをかけることもできるんだという、極端だけど、
>なんらかの形で、人類にとっては惰性となってしまった“進歩”を、もう一度考え直すべきだ(p.208)
っていうまじめなテーマに直結している例なんだと思う。
>学校ではおそらく、「貿易」というものを、「国同士で、必要のある物をやりとりする」というふうに教えるでしょう。(略)でもこれは、現実のありようとは大きくかけ離れています。現実には、「いらないかもしれないけど買え。これは必要なはずだから、これは便利であるはずだから買え」ということが、売買の原則になってしまっています。(略)産業革命によって「必要以上の物を生産する」が可能になって、その態勢が今でも続いているからです。(p.224)
って、産業革命以降の歪んだ進歩が地球を危うくしてるんだというが、なかなか元に戻せるものでもない。
貿易に関しては、80年代の経済戦争において日本は勝利したんだが、勝利の自覚がなかった、勝者としての戦後処理をしなかったとして、
>勝者のなすべきことは、(略)「敗者からの略奪」ではありません。勝って第一に考えられるのは、「敗者の処遇」です。(略)
>(略)私の考えるに、それは「敗者となった者に、“なぜ自分は敗者となったのか?”ということを理解させること」で、「敗者が生きて行ける余地を与えること」です。(p.183)
として競争相手のことを考えることが重要だという。
そのへんのことがうまくできないのは、戦争で負けて急に体制変わったってのもあるけど、もとはといえば明治維新で近代化したときに、実際に外国と戦争して負けて傷を負った経験のある薩長メンバーによる政府と、そのことにピンときてない国民との分裂を抱えてたっていう日本の特性にあるんぢゃないかという。
ほんとややこしいな。
第一章 「子供の問題」で「大人の問題」を考えてみる
1 どこから話を始めるか?
2 どうして子供が自殺をするのか?
第二章 「教育」の周辺にあったもの
1 「いじめっ子」はどこに消える?
2 一九八五年に起こったこと
3 思いやりのなさが人を混乱させる
第三章 いきなりの結論
1 産業革命前に戻せばいい
2 歴史に「もしも」は禁物だけど
3 産業革命がもたらしたもの
第四章 「家」を考える
1 「家」というシステム
2 機会は人を疎外し、豊かさもまた人を疎外する
あとがき――二十年しか歴史がないと