高橋源一郎 2002年 岩波新書
これは、このまえ橋本治の何冊かといっしょに新書をしまってあった箱から見つけた、以前から持ってたけどこのブログにとりあげてなかったもののひとつ。
2002年当時に自分が何を考えてどういう本に手を伸ばしてたかなんて、まったくおぼえちゃいないが。
高橋源一郎の文学論は『文学がこんなにわかっていいかしら』なんかでおもしろいと思ってたから、そこらへん期待したのかもしれない。
ベースにあるのは、NHKの番組の企画で母校の小学校に、文学とはなにかを教えに行ったときのことなので、その入り口の感じはとてもやさしい。
ただ、そのときのことについて、
>かくして、わたしは、教育とか学校という、人間にとって、きわめて有害なものの真っ只中にいる子どもたちに、小説や文学という、その反対のもの、ということは、教育や学校というものが人間にとって必要であると思っている人たちにとっては、きわめて有害なものを、伝えに行ったのです。(p.8-9)
といってるので、いわゆる普通の学校教育の一環で行ったわけぢゃない。
予想するとおり、小説の書き方について、テクニックを教えたりするんぢゃないけど、「小説を書くために必要な鍵」として、
>(1)なにもはじまっていないこと、小説がまだ書かれていないことをじっくり楽しもう(p.25)
>(2)小説の、最初の一行は、できるだけ我慢して、遅くはじめなければならない(p.26)
から、
>(20)自分のことを書きなさい、ただし、ほんの少しだけ、楽しいウソをついて(p.182)
まで、いろんなことを示している。
文例もいくつかとりあげて解説してくれてるけど、なかでも私が気に入ったのは、
>この小説の、この、はじめの部分には、小説を書きはじめる人たちが、いちばん最初にやらねばならないことが、完璧な形で書いてあります。これさえ読めば、わたしには、教えることがないぐらいです。ブラヴォー!(p.35)
と絶賛して、ケストナーの『エーミールと探偵たち』の最初の部分を、読んでみろといってるとこ。
ここからもたらされる小説を書くための鍵は、
>(7)小説に書けるのは、ほんとうに知っていること、だけ(p.48)
と
>(8)小説は書くものじゃない、つかまえるものだ(p.55)
ってことになるんだが、これは『エミールと探偵たち』を読んだことあるひとなら、よく知ってるはずのこと。
いろいろ小説の書き方を説明してくうちに、ぢゃあ小説ってなんなんだろ、みたいな感じを受けてくんだけど、最後のほうで詩なんかとの比較で、
>小説には、形がない。確固としたものがない。それに向かう中心、それが小説であるという、明確ななにかはないのだ、とわたしは思うのです。
>あやふやで、いい加減で、わがままで、気分屋で、周りになにかがあれば、すぐ、それをまねようとする。
>それが小説です。(p.151)
というふうに、なにをどう書いてもいいんだよみたいな考え方を教えてくれてます。
コンテンツは以下のとおり。
少し長いまえがき――一億三千万人のみなさんへ
基礎篇
レッスン1 小学生のための小説教室
レッスン2 小説の一行目に向かって
レッスン3 小説はまだまだはじまらない
レッスン4 小説をつかまえるために、暗闇の中で目を開き、沈黙の中で耳をすます
実践篇
レッスン5 小説は世界でいちばん楽しいおもちゃ箱
レッスン6 あかんぼうみたいにまねること、からはじめる、生まれた時、みんながそうしたように
レッスン6・付録 小説家になるためのブックガイド
レッスン7 小説の世界にもっと深く入ること、そうすれば、いつか
レッスン8 自分の小説を書く
ぐっと短いあとがき――もう一度、一億三千万人のみなさんへ
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