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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

初めての馬で、ひさしぶりの障害までやる

2015-02-16 19:19:55 | 馬が好き
乗馬に行く。
寒いと言えば寒いけど、キリキリするような冷たさはない。春はもうすぐそこだ。

さてさて、きょうの馬は誰かな? サンダルフォン? 初めて(喜)
もう乗馬もうまくならないし、毎回毎回進歩もないから、潮時かなあ、なんて思ってると、初めての馬がまわってきたりするから、ヤメられない。
ほんと2,3か月にいっぺん新しい馬でも当たれば、楽しくてまたゼンマイが巻き直されちゃうんだよな、私の場合。
私のやる気はともかく、とりあえず馬房から出して、ブラシかけたり、汚れついてるとこ拭いたりしてから、馬装するんだけど。初めての馬のときは、警戒しながらやることになる。(そのことは、なるべく馬には悟られないように。)
でも、身体でっかくて、見た目ちょっと怖そうなわりには、なんかおとなしい。ブラシでおなかさわったりすると嫌がるくらいで、あとは別になにもしない。

さあ、ちょっと遅れをとったけど、馬場へ。ずんずん歩いてく、特に挙動不審とかそういうことはない、いいぞいいぞ。
常歩でウォーミングアップ。前に出るぶんには申し分ないので、しばらく元気よく歩かせたら、ちょっとだけ拳を使う。わりとすぐこっちにくるようなとこあるんで、すぐかえしてやって、しばらく力を入れずに歩けたのを確かめて、ホメる。
拳そーっと使う、ゆずる、かえす、手綱伸ばしてやってクビが下がるようにしてやる。繰り返し。乗りやすそうな馬だけど、まだ油断は禁物かなと思う。(サラブレッドを信用していない私。)
んなことやってると、「部班入るんですか?広いほうで乗ってていいですよ」と言われるんだが、いやあ柵のなかで隊列に入りますよ。
(それとも、この馬乗ったら、広いとこで難しいことしなきゃいけないのかな。難しいことやる気はさらさらないんだけど。)

そんなこんなで先頭に立たされるんだが、とりあえず部班に入れてもらえる。
「部班をしばらくやったら、そのあとで障害やりたいひとは飛びましょうか」と言われる。
私は飛んでも飛ばなくてもいいんだけど、初めての馬だから、そこはフラットワーク次第かなあと思う。
速歩スタート。とてもよく動く。すこし速いと言われて、やや抑える。
脚には敏感に反応する、あまり派手に蹴飛ばさないように気をつけなきゃいけないくらい。
ときどきハミうけを求めて拳をじわっと使ってみる。一瞬イーッと抵抗感じるけど、やがてフワンとなるので、明確にかえすようにして、落ち着いたペースを保てて進め続けたら、ホメる。
先頭だけ巻乗り、最後尾にまわって、ということで隊列のうしろに。あー後方のほうが正直ラクだ。あんまり脚を急に使ったり、がちゃがちゃと無遠慮にハミをあてたりしないように気をつけながら、ついていく。
三湾曲の蛇乗りでは、途中まっすぐにしてから姿勢を入れ替えるように気をつけるんだけど、馬が外向いたまんま回っちゃったりして、うまくいかない。それにしても正反撞だと、いい速歩するなあ。

んぢゃ、しばらく各個で乗ってということになったんで、蹄跡の半分で輪乗りする。
最初軽速歩で詰めたり伸ばしたりする。詰めておとなしくペースを保てるのを確かめたら、伸ばしてみる。とても良い反応、勢いよく前に出る、そのあとは必ず詰める、詰められること確認してホメる。
大丈夫そうなんで、駈歩する。とても軽く発進、輪乗り。
いい駈歩だ、前へ伸びていく感じぢゃなくて、上へあがってくる感じがする、とてもサラブレッドぢゃないみたい。
たぶん踏込がいいんだと思うんだけど、座ってる真下から持ち上げられるような、こういう駈歩に出会うと楽しくなる。
駈歩でも詰め伸ばしする。伸ばした後に明確に詰めて、その状態をキープできるのを確かめて、ホメる。
ぢゃあ障害やりますよということで、結局みんなやる。

まずは長蹄跡に横木を5本置いて、駈歩で通過。部班の駈歩と何も変わらずに入ってきて通過するだけと言われる。
それでも最初元気よく入ってったら、「速過ぎ!もっとゆっくり」とダメ出し。ある程度前に出さないと歩幅が合わないかなと思っただけなんだけど。
二回目以降は、すこしおさえるくらいな感じ。横木に入って途中から速くなっちゃうとしたら、最初が遅いんだってことらしい。
サンダルフォンは、それほどエキサイトする感じでもないけど、やっぱ横木またいでくと勢いついてく感じはする。
横木を通り抜けた後も元気よく走るので、壁に向かって真っすぐ止める。次回からは速歩に落とすようにと言われる。
駈歩のリズムを保つ、隅角をちゃんとまわって、まっすぐ横木の真ん中に誘導する、横木を通り抜けた後に勝手に走られたり回転されたりしない、それが大事。
ぢゃあ高さをつけてくことになる。真ん中の横木はクロス障害に変わる。2本目の横木は取り除かれて、1本横木を通過して2歩でクロス、クロスの向こうに横木が2つあるという形。
クロスといっても超低空なので、横木のときと何も変えずに、駈歩のリズムを保って、通り抜けてくように。確かにふつうの駈歩のまま跨いでいくだけ。
こんどはクロスを一段上げると、入り口の横木跨いだらアブミに立つようにと。アブミに立って、軽い前傾を意識、クロスのあとの横木もそのまま、全部通過したらしっかり座る、拳を上げたりしないで、速歩におとすところまで丁寧に。
一回やるたんびに、止めたあと、よーくホメる。ほかの人馬がやってて待ってる間も、ラクにしてやってホメつづける。
それにしてもみんな静かだなあ。私は、障害入っていくときにも、「ゆっくりなー、そう、そんなペースで」とか声に出して馬に聞かせることが多いし、ホメるときも「じょうずだなー、今の良かったぞー」とか「おまえはいい馬だなー」とか大きな声で言うんで、周りが静かなここだと一人だけブツブツ言ってアブナイ人みたいである。

クロスの高さは一回ごとに上がっていき、とうとう垂直へ、40センチくらいかな。障害飛ばしに行ったりしないで、いままでと同じように駈歩のベースを守る。
最後にもう少しだけ高さを上げて、飛ぶ。サンダルフォンは落ち着いた感じで、飛越、飛んだあともエキサイトしないで、ブレーキかけるとおとなしく速歩になる。
「馬がよくなりました」とお褒めの言葉を賜る。うれしゅうございますねえ、いつも馬を混乱させて、できあがった教育を破壊するようなことばっかしてるんで、たまには少しでも馬のためになることができたとしたら。
比べると、たしかに初めのころは、横木を覗き込むような感じの動きがあって、そこんとこでちょっと速くなるような感じもしたんだけど、後半では上に向けた弾むようなステップのまま通り抜けることができた。
それはいいんだけど、駈歩の発進のときに、バタバタっとしちゃうときがあって、それは私の脚や拳が強く当たりすぎてたんだと思う。もうちょっとスラっと走り出したい、反省。
その馬むずかしくない、って言ってたひともいたけど、素直で一生懸命だと思いました、私は、サンダルフォン。
練習終了。クールダウンの常歩してから帰る。

手入れしてるあいだも、とてもおとなしい。いい馬だな、サンダルフォン。
リンゴの味は知ってるかなと思いながらやると、知ってます、もっとくださいとばかりの勢いで食べる、よしよし。
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鍛えて最強馬をつくる

2015-02-13 20:56:12 | 読んだ本
戸山為夫 1993年 かんき出版
サブタイトルは、『「ミホノブルボン」はなぜ名馬になれたのか』。
きのうのつづきで、競馬つながり。
っていうか、ダイレクトに、昨日の『平成「競馬」維新」って本はミホノブルボンがダービーを勝った1992年の秋に出たこともあって、前回引用した
>(略)調教師さんだって一人の人間が二、三カ所に分かれるわけにいかないから、ちゃんと弟子を育てて、厩舎をうまくいかせる。
のあとに、
>だって戸山さん(戸山為夫調教師)だってそうでしょう。調教助手の人にけっこう任せて、基本的なことは言うけれども、日々の細かいことは個人たちが全部やれるようにしてあるわけよね。そういう厩舎のほうが成功しているからね。
なんて例えに出されてたりするわけで。
本書のほうが1年くらい後の出版なんだが(戸山師は5月に亡くなってしまい、この本は遺稿として9月に出版された)、そのへんのことについては、
>「インターバルトレーニングをやれ」といわれれば、誰でも一通りのことはできる。(略)
>何故やるのかを少し深く考えれば、仕事の意味も、どうすればいちばん効果的かもわかってくるはずである。(略)
>私には全部の馬を見てまわる余裕がないから、すべての馬の細かい調教過程までは手がまわらない。したがって細かいところは、それぞれの乗り手に任せるしかないが、そういう理解力のある人に当たった馬はやはり伸びる率が高い。
という一節がある。
その調教に携わる「持ち乗り調教助手」については、私は知らなかったんだけど、それ以前には騎手候補だったが体重の問題などで騎手免許がとれなかった者などが「持ち乗り」をしていた例があったらしいんだけど、若い厩務員を持ち乗りにさせた(文中では「労働者を調教助手に仕立てて持ち乗りにする」と表現されてる)というのは戸山師かららしい。
そこんとこは、
>それはなにも高邁な理想からはじめたことではなく、経営の理念として、人件費の無駄遣いはできないというところから、必要に迫られてはじまったことである。
なんてサラッと言ってますけど。
それだけぢゃなくて、やっぱモチベーションにつながってる部分は絶対あるはずで。
だから、助手だけぢゃなくて、所属だった二人の騎手についても、
>名馬をつくるためには、「自分がこの馬を磨けば収穫ができるのだ」という意欲が湧かなければ磨けない。小島も小谷内も自分が磨いた馬に乗るから、その磨き方に力が入るのである。そうして馬の能力が高まれば少々のミスがあっても勝てる。
なんて方針で育てたし、期待している。
で、ただトレーニングさえ数多くやればいいのかというと、そうぢゃなくて、根底には、
>馬は血統だというが、いくら血統が良くても、土壌の悪い牧場で育った馬はひ弱である。
といった考えがあって、極端なこといえば、その馬が生まれる前、おなかのなかにいるときから、母馬がいい草を食って運動できる環境で、馬をつくんなきゃだめだ、っていうところから強い馬を求めることについては始まってる。
>ところがいまの北海道の牧場は、植物がふつうにできていたところなのに、馬を入れすぎて土地が痩せたために、客土をせざるを得ないようになっている。土の力を収奪し尽くしたからだが、それは基本的には牧場が狭いからである。
>狭いところでは食べ物が少ないから、取りあいも起こる。狭いところで鼻を突き合わせていれば、イライラも起こる。痩せた土地の牧草だから栄養素もミネラルも薄くなっている。必然的に骨も筋肉も弱くなり、性格も大らかではない。
ときたもんで、私のようなにわか知識でトレーニング論を机上で考えるような人間にはとても及びもつかない主張である。
>現在、日本の競馬がブームであるといっても、実は馬たちは粗食に耐えながら、厳しいトレーニングに励んでいるのである。牧場にかぎらず厩舎の飼料についても、農業という面からの抜本的な改善が行われなければ、国際化の暁に惨敗するのは目に見えている。
とのことで、ことは調教時計が速いとか遅いとか、馬体重が重いとか軽いとかってことぢゃなくて、一国の畜産・農業のありかたに関わってるってんだから、スケールがでかい。
そこまで考えてるバックボーンがあってのミホノブルボンってことであって、誰でもどんな馬でもマネできるわけぢゃない。
ちなみに、昨日とりあげた前掲書で、吉田照哉氏は、
>とにかくミホノブルボンみたいなのが出ると、あんなふうにめちゃくちゃに調教やった馬がいいんだと、みんな錯覚するけれども、あれをまともにしたら、たいていの馬はすぐ壊れちゃいますよ。
と言ってます。そうなんでしょうね。
坂路、500メートルの時代だったと思うけど、5本やってたらしいから。
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平成「競馬」維新

2015-02-12 20:14:41 | 読んだ本
山野浩一・白井透・吉田照哉・高橋源一郎 1992年 ミデアム出版社
競馬つながり。
「競馬を考えるシリーズ1」ってなってるけど、2以降があるのかどうかは知らない。
4名の座談会を収めた形式の本なんだけど、言っちゃあなんだけど、雑な感じの本なんだ。あまり読み返すようなものぢゃない。(実際、いちど読んだっきり、ずっとほっぽっておいた。)
たとえば、参加者の発言のなかで「いま馬連があれして半々ぐらいですか(略)」「やはりこのところのブームで押し切ってしまったのが、いまのところあれなんじゃないですか」とか、「あれ」をそのまま文中に置いとくのなんかは、ちゃんと編集して明確な言葉にしてもらいたい。
まあ、細かいことはいいとして、出版された1992年は、その年の4月にJRAから「外国産馬の出走制限緩和策 五カ年計画」が発表されたんで、そのことがメインテーマ。
いまとなっては昔話になってしまったが。
当時の「五カ年計画」ってのは、ひとつには、マル混合競走の編成率を、平成2年25%、平成3年30%だったものを、段階的に増やして、平成8年に65%にするというもの。もうひとつは、マル混合の重賞競走を、平成2年47競走、平成3年の50競走から、平成8年には105競走にする。(全重賞競走数は当時108競走だった。マル混合にしない残りの3競走は、父内国産限定なんだろう。)あと、マル国際競走を、ジャパンカップと富士ステークスの2つだけなのから、17競走にするというもの。
で、国内の競馬関係者は、余計なものが海外から入ってこないほうがいいに決まってるので、みんな反対だったんだが、これだけ開放したらどうなるのか、開放すべきか否かという議論はかまびすしかった。
現在、外国産馬が走れる競走の数がどうなっているかは周知のとおり(それにしても、マル混合競走は平地競走の55%程度にとどまってるってのは、意外といえば意外か。)なので、いまこの本の内容をふりかえってみてもしかたない。自説の言いたい放題の部分もあるしね。
前回の「サラブレッド・ビジネス」との関連でいえば、生産者である吉田照哉氏が、
>シンジケートは六十口で持っていて、一人や二人が売ろうとしていたら買い支えちゃうんです。(略)そのうちだれかが、うちは二百万で売っているのを、百五十万でいいやと売っちゃうと、うちはそれを買ってしまって、百五十万のものが市場に出回らないようにしていた。
なんて発言してるけど、それは日本の特殊事情ぢゃなくて、欧米でも当たり前のこと、サラブレッドの世界の基本だったってことは確認できた。
今回読み直してみて注目したのは、国際化やサラブレッドの取引のことよりも、むしろ中央競馬の厩舎のこと。
馬主である吉田照哉氏が主に発言している、以下のような点。
>日本はほとんどのめぼしいバイヤーが、当歳のうちに自分の馬房の分だけを決めちゃうわけですよね。だから二歳馬でよっぽどいい馬が出てないかぎり、実需に基づいたセリの値段てのはなんです。(略)ふつうの馬だったら調教師さんが当歳馬のうちにみんな、これだけは入厩できるなという分を決めちゃってるんですよ。(略)
(引用者注:二歳というのは、現在の1歳のこと。)
>(略)最近は、厩舎に入るのが三歳(引用者注:これも今の2歳のこと)の五月から十月、十一月になっちゃって、牧場でも調教しなければならなくなった。これがヨーロッパの場合ですと、二歳(同注:1歳)の九月か十月に入厩して、ブレーキングから初期調教と呼ばれるものは厩舎が全部やるんです。そういうのを日本では、牧場がやらなければならない。日本のいまの厩舎の数を効率的に使うためには、そうなっているわけです。
>日本は厩務員が馬をやっているというのがけっこう多いんですよね。(略)馬の手入れから、ヘタすると調教師さんがいないと調教のメニューもとか。だからまるで調教師ですよね。(略)札幌に馬房三つとか二つと言ったら、調教師さんだって一人の人間が二、三カ所に分かれるわけにいかないから、ちゃんと弟子を育てて、厩舎をうまくいかせる。
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サラブレッド・ビジネス

2015-02-11 20:26:10 | 読んだ本
ジョスリン・ド・モーブレイ/草野純訳 1991年 サラブレッド血統センター
不確定性のつづき。
というのは、たまたまであって、冗談。
本書の最初のほうに、
>どのレヴェルであるとを問わず、サラブレッド・ビジネスの面白いところは、このゲームが不確定要素に満ちていて、何をするにしても結果が予測できないことである。
とか、
>サラブレッド市場は不確実性のうえに成り立っている。(略)この不確実性は、サラブレッド世界の神話と儀式で覆い隠されている。
とかってあるだけのこと、物理学の話ではない。
この本は、競馬に関しての本で、1970年代から80年代にかけてサラブレッド市場(ヨーロッパとアメリカ)に起きたブームの原因と結果を検証するもの。
(1985年のキーンランド・セールで、シアトルスルーの下、のちのシアトルダンサーに1310万ドルの値がついたのが、一般的にはブームの頂点とみなされているってことでいいのかな。)
第一部で血統とか馬そのものについて、第二部で競走馬の取引とかに関する課税制度や競馬番組とかについて、第三部で生産牧場や種牡馬牧場とセリに関わる人々とかについて紹介している。
いまとなっては昔話となってしまったものもあるかもしれないし、あたりまえというか基本的な事項も多いかもしれないけれど、競馬産業の背景を整理して眺めるにはいい歴史の教科書かもしれない。
>このブーム期のバブル現象、膨大な資金の流入がどうして起きたかを知るには、個々のプレイヤーへの興味だとか、華々しい業績への関心だとかはひとまず脇において、サラブレッド・ビジネスを理論的に見てゆかねばならない。
って問題意識があるし。
そうやって見ていくと、サラブレッドブームを引き起こしたのには四つの要因があるんだそうで。
>税制に刺激されたアメリカのサラブレッド需要の急増、資本の国際間移動の自由化、サラブレッドに関する情報の普及、そして最後に、国際間の交通の簡便化で、馬、エージェント、オーナーが容易に世界中を飛びまわれるようになったことである。
ということらしい。
税制については、イギリスとアメリカで全然違ってる。
イギリスでは「調教や競馬にかかる費用は課税対象となる収益から控除できない」。その理由は、「競走馬を所有することは、たいていは赤字になる活動だとみなされるため」である。競馬はビジネスぢゃなくて趣味なんで税制上の優遇(いわゆる経費で落とすってやつ?)は無い。ただし、逆に馬の稼いだ賞金に税金がかかることもないし、馬の市場価値が現役中に上がってもその上昇分(キャピタルゲイン?)にも税金はかかんない。
アメリカは逆で、馬を生産することも走らせることも経済活動とみなされて、課税対象になる。「調教料その他競馬にかかる経費を収益から控除できること、現役競走馬および所有して三年以上たった馬の原価はすべて、通常の営業費として減価償却できること」になってる。
こういうの大事なことなんだけど、日本ぢゃふつうの人はあまり気にしてないようにみえる。競馬の経済学、誰か専門に研究してるひとっているのかな、けっこうおもしろいんだけどね。
で、サラブレッドブームの中心は、なんたって種牡馬に関することだと思うんだけど。
種牡馬株の価値を高くして、その取引きで儲けるってのが基本線なんだが、それも今の日本から見ると分かんないこともあるような気がする。
昔の基本は、種牡馬株=年間の種付け数は40くらいで、希少価値があるから産駒の値段が保てるって考えだったと思うんだが、今の日本は100とか200とかって数の産駒つくって、それ全部売れちゃうなんて種牡馬もいるから。
それはいいとして、本書では70年代から80年代にかけての種牡馬ビジネスの変化についても多くとりあげてる。
基本は、「種付け権の供給が全面的にオーナーの支配下にある」「種牡馬のオーナーが独占によって見返りを得るには、種付け権の需要を確実に非弾力的にしておく必要がある」「種牡馬のオーナーは、種付け料の値下げを公表するくらいなら、損をしたほうがいいと考える」ということで、種牡馬の価値を下落させないように、オーナー・株主たちは慎重に行動して、うかつに種付け権を売り買いしないようにしてたんだが。
「種牡馬の価値は、供用を開始して最初の五年間は不安定だが、この不安定さは市場に特有のもので、これがあるからこそ投資家は市場に引かれる」ってわけで、短期的利益を求めて、いろんな新規投資家が参入しては跳梁跋扈するようになる。
で、それが「軽率にも短期利益のために種牡馬を酷使するという行為を助長した」ということにもつながったらしい。
でも、いろいろあった挙句、「1985年以降、きわめて将来性の高い種牡馬は長期的視点に立って経営管理されている。種牡馬管理(マネジメント)の基本方針は、種付け権の売却で得られる収入を最大にすることから、種牡馬が一流の産駒を出す可能性を最大にすることにかわった」ってことなんで、まあそのほうが真っ当かなという気はする。
そんなこんなで、本書の結論としては、
>短期的には、サラブレッド・ブームはさまざまな矛盾を生み出し、そのために、馬が精神的にも肉体的にも損なわれ、サラブレッド・ビジネスの公的イメージが傷つく結果になった。しかし長期的には、ブームのプラス効果によってエンターテインメント・ビジネスとしての可能性が開拓されつつあるいま、馬、サラブレッドを取りまく世界、そして大衆が、その利益にあずかりはじめているといってよさそうである。
ってあたりになろうかと。
第一章 優れた競走馬をつくるものは何か
第二章 環境と管理
第三章 税制の影響
第四章 競馬のパターン
第五章 サラブレッド・ブーム
第六章 生産牧場
第七章 サラブレッドのオークション
第八章 種牡馬牧場
第九章 マーケティングとスポンサー
第十章 来たるべき事態
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ひさしぶりの馬、思ったよりうまく乗れた気がする

2015-02-09 19:12:04 | 馬が好き
乗馬に行く。
朝、ウチを出たとき、小雪が舞ってた。天気予報では、この冬いちばんの寒気とか(例によって大げさに)言ってたけど、たしかに空気が冷たい。
さて、乗る馬は、ひさしぶりのマイネルレコルト。

(今年は、某CMにも主役で出演中らしい。http://prc.jp/jraracingviewer/intro/cm.html 私は言われなきゃどの馬か分かんなかったけど。)
帰ってきてから調べたら、去年の5月1日以来だから、284日ぶりということになる。
いつ以来だっけって正確なことは忘れてたけど、そのとき乗ったときのことは、よーく憶えてるよ。
ウォーミングアップできたら、障害飛ぼうと思ってたのに、とうとう納得のいくフラットワークができなくて、障害に向かうの断念したんだから。
私にとっては、なかなかの強敵。
具体的には、動かせないんぢゃなくて、止まんないっていうほう。
それに歩度を伸ばそうとしても、ストライド伸びなくてピッチばっかり速くなってっちゃう感じ。それでいて一度火がつくとブレーキきかない。
きょうも、なんだか妙に元気。元気通り越して、うるさいって感じ。ジッとしててくんないから、人の手を借りて抑えてもらってるうちに、なんとか乗る。

馬場に入っても、ガンガン行く気配満々。
(ホントこういうのは、美浦のときだったら、ウォーキングマシンをなんぼかかけてから乗ってたんぢゃないかと。)
すぐ速歩したがるのを抑えて、常歩の輪乗りでウォーミングアップというか、ブレーキかかるかの確認作業。すぐかえすことのほうに意識の重点を置いて、手綱であれこれやりとりする。(ムチなんか持ってこなきゃよかった、と思うくらい勢いはある。)
さて、部班開始。本日は先頭は御免こうむり、6頭立ての5番手に位置するんだけど、それはそれで、前の馬に追突する勢いで突進しちゃわないかと心配しちゃう。
軽速歩で蹄跡を進む、カラダがそんなに大きくないから苦労させられるイメージはないんだけど、実はけっこういい反撞してんだ、マイネルレコルト。ついてくの大変。
馬場の一部に砂が補充されてて、かなり深いんだけど、ものともせずに弾んでくようなとこある、マイネルレコルト。いやー、いい馬だ。
前に動いてく馬につれてってもらうイメージで乗ってくんだけど、それどころぢゃないよ、やっぱときどきブレーキかけないと、前の馬に追いついちゃう。ブレーキかけたらかえす、握ったあとかえすと、念じながら乗ってく。

輪乗りで駈歩。待ってましたとばかりの発進。でもファイト満々ではあるけど、飛んだりハネたりって雰囲気はまったくないのが、この馬のいいところ。
ただし、ジャマするとかえって走っちゃいそうなので、拳つかうときは一瞬だけにして、すぐかえすように心がける。速くなりそうだからなんて、引っ張りっぱなしになると、あぶない。
そうやって気をつけて乗ってると、とても反応がよい馬だなと思う。抑えたとき、グンと反応する、こっちが気づかないからバトルになるんだろうな。
とてもよい動き。躍動感がある。駈歩してる、って感じ、楽しい。

しばし休憩ののち、「二課目的な練習でもしましょう」ということで、部班の隊列のままだけど、正反撞の速歩で歩度を伸ばしたりする練習。
マイネルレコルトは前進することにかけては申し分ないので、脚を使おうとかバタバタしなくて済むから、アブミ踏んづけることに集中する。
アブミ踏んづけて、馬から離れないためには、膝の関節と足首の関節を開閉することを意識する。ダメだ、意識した途端、カタくなって、ドタンバタンになる。
おっと、爪先が外開く、まっすぐ前に向けなきゃ、でも多分これ一生治んない。
さんざ歩度の詰め伸ばし(ホントは尋常速歩と中間速歩の移行)をしたら、こんどは当然のように、三湾曲の蛇乗り。
いちど明確に真っ直ぐにしてから、姿勢を完全に入れ替えることを意識する。外の脚を股関節から引けってか。んなこと考えてるうちに、馬とのコンタクトが甘くなる(馬がのびちゃう)。

ということで、部班終了。
まだ少しやってていいというので、軽速歩の輪乗りで詰めたり伸ばしたりする。
(ホントは正反撞もうすこしやりたい気もしたんだけど、なんかこれ以上馬の背中をドタンバタンするのは忍びなくて止しといた。)
半年以上前に、できねーって思ったのに比べたら、だいぶコントロールできるような気がした。障害飛ぶ気にはならないけどね。
最後は駈歩もちょっとやる。比べると、気持ち右手前では内に倒れてくるかなって思い、内側の腿全体で圧すような意識で使ってみる。そのあと左手前でやったら、外に逃げてっちゃうようなとこあるんで、右ひじで壁ガッチリ作る練習する。
馬まだまだ元気いっぱいみたいだけど、おしまいにする。

手入れしようとしたら、まだ水道凍ってた。
おわったあと、食べないんぢゃなかったっけ、ってリンゴやったら、食べた。
でも、二口しきゃ食べないで、やっぱもう要らないって。たいしてうまいもんぢゃないってか。

余っちゃったリンゴは、欲しそうな顔してたご近所さんたちにお裾分け。


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